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第十五話

「父ランドヴァール侯に代わりまして、このレオンがザラコス様のご来訪を歓迎致します」


レオンと名乗った青年はそう言うと、「さぁお座りくださいませ」と三人を促した。


「じゃあ遠慮なく座らせて貰おうかな」


アドリアンは一番にソファーに腰を下ろす。この屋敷の主人かと錯覚させるような態度だ。

レオンはアドリアンの態度に一瞬面食らったようだったが、すぐに表情を戻しにこりと微笑む。

対してザラコスは顔を手で覆い、天を仰いだ。

大貴族の嫡男を前にしてこの態度……この馬鹿者が……!

ザラコスはそう叫びたいのをぐっと堪えた。


「申し訳ない、レオン殿。こちらの馬鹿は少々礼儀を知らぬようで……後で厳しく言っておきます故、平にご容赦を」

「いえ。お客様なのですから、くつろいでいただければ」


随分とまぁ、出来た人物である。まだ歳若いというのに傲慢な素振りや、大貴族特有の驕りを全く感じさせない。

ザラコスは感心し、メーラは初めて見る人間の貴族に目を丸くし、アドリアンは涼し気な態度である。


「アド、貴族の人って優しいんだね」

「彼は特別だよ。普通の貴族なら、俺のこの素晴らしい態度に嫉妬して今頃は地下牢行きかもな」


小声でそう言ったメーラにアドリアンはそう囁き返す。

アドリアンの軽口を聞いて、レオンは苦笑した。


「確かにそのような貴族は多いかもしれませんね。しかし私は爵位もなにも持たぬ若輩者ですから」

「レオン卿、貴方は貴族の鑑だ。ランドヴァール侯の教育は王国一上手くいったと見える」


アドリアンの傍若無人な態度と言葉にザラコスは眉をひそめた。

しかしそんなザラコスの様子を見て、レオンはくすりと微笑むと、こう言った。


「閣下、お気になさらず。彼のような面白いお客様は久しぶりなので、むしろ楽しんでおります」

「ほら見たか、ザラコス。レオン卿から『面白い客』に認定されたぞ。これで貴族の称号をもらえるかな?『面白伯爵』とか」


レオンは思わず吹き出した。

彼の人生の中で、こんなにくだけた会話をしたのは初めてだったからだ。


「レオン殿。この男にあまり構わない方がいい。構うと調子にのりますぞ」

「すみません、ザラコス閣下。この方に調子に乗らせたくないのですが……面白いのでつい」


レオンは口元に手を当てながらくすくすと笑う。アドリアンも釣られて笑う。そして、メーラも。

いつの間にか堅苦しい雰囲気は消え去り、部屋中に和やかな空気が満ちていた。

高価な調度品や厳かな肖像画に囲まれた応接室が、親しい友人たちが集う場所に変わったかのようだ。

ザラコスは呆れたように首を振りながらも、口元には微かな笑みが浮かんでいた。


「このまま笑い続けてもいいが、そろそろ本題に移ろう。レオン卿」

「おっと、これは失礼いたしました。しかしザラコス閣下、彼らは……」


レオンがちらりとアドリアンとメーラを見る。

その表情は話を聞かれてもよろしいので?と言外に尋ねているようだった。

ザラコスは「うむ……」と頷くと静かに言った。


「よいのだ。この二人は話を聞く権利がある」

「?」


ザラコスの言葉にレオンは首を傾げた。それと同時に、アドリアンも首を傾げる。

はて、どういうことだろうか。二人が疑問に思っていると、ザラコスは語り始めた。


「──シャドリオス」


シャドリオス。それはフリードウインドの街で襲い掛かってきた影の兵士。

およそ自我というものを持たず、ただ破壊と殺戮を繰り返すだけの人形のような存在。

アドリアンはあれが何なのかを知らない。しかし、あの影の兵士たちは討つべきものだと直感していた。


「ある日を境に突如として現れた謎の存在……。我がドラコニア皇国のみならず全世界に現れては騒乱と破壊を巻き散らす異形の兵士よ」

「はい。私もその存在は存じております。アルヴェリア王国にも、宿敵グロムガルド帝国の領内にも現れたとか」

「そうだ。そして、奴等は日に日に活動を活発化させている。今現在、各国は互いに戦争ばかりして奴等への対処が出来ていない……」


そこまで聞いて、アドリアンはザラコスの『用事』というのが何なのかを理解した。

ドラコニア皇国の重鎮であるザラコスが、わざわざアルヴェリア王国まで来た理由……それはシャドリオスへの対策を練るために他ならない。


「戦をやめろとまでは言わんが、シャドリオスに関してだけは各国で協力し合って対策を練るべきだ。アレをこれ以上野放しにするわけにはいかないのだ」

「しかし、国同士での連携は容易ではありません。特にアルヴェリアは周辺国と敵対関係にあります。とても協力など……」


ザラコスとレオンは互いに譲らず、議論を戦わせている。

アドリアンは二人の会話を聞きながらも、シャドリオスについて考えていた。


(……確かに、あの影の兵士は放っておけない。そもそもアレは一体なんなんだ?)


前の世界では影も姿も、噂すらも聞いた事がない異形の兵士。

それがどうしてこの世界に蔓延っているのか、アドリアンには皆目見当もつかなかった。

だが、一つ言えることは……アレは生命の敵である、という事だ。

全てを憎むように、恨むように、破壊と殺戮を繰り返す。


その様はまるで……前の世界の魔族……。


(いや、やめよう。今は目の前のことに集中しよう)


そんな考えを頭の隅に追いやり、アドリアンは議論に意識を戻す。


「兎に角。ドラコニア皇国は他国の戦争に関与するつもりはないが、シャドリオスの件だけは全世界で協力すべきだと考えているのだ」

「私も同意見です。シャドリオスに関しては各国で協力し合うべきでしょう。しかし世情が許してくれるか……」


議論は平行線のまま進んでいく……と、思われたが不意にザラコスがアドリアンに目をやり、口を開いた。


「そこで、この男の出番だ」

「……は?」


突然話を振られたアドリアンが間の抜けた声を出す。レオンも訝しげな様子でアドリアンに視線を向けた。

二人のそんな様子に構わず、ザラコスは「実は……」と続けた。


「この男、軽口ばかり叩く道化師かと思われるだろうが……その実、異国の姫を護衛する大魔法使いなのだ」


はぁ?とアドリアンはザラコスを訝しげに見た。

メーラも何が何だか分からないといった表情を浮かべ、固まっている。


「大魔法使い、ですか?そして横にいる少女は、姫……?」


レオンの声には、明らかな困惑が滲んでいる。彼の目が、アドリアンとメーラを交互に見つめた。

無理もないだろう。アドリアンはただの青年にしか見えない。

そして横にいるメーラも、街で見かける普通の少女と何ら変わりはなかった。

アドリアンはレオンに聞こえないようザラコスに小声で耳打ちした


「なぁ騎士団長様。爬虫類ジョークは人間には理解し難いから、そろそろ引っ込めてくれないか?」

「ワシにいい考えがあるのだ。黙って聞いておれ」


ザラコスは自信たっぷりにニヤリと笑う。

アドリアンは不安だったが、それ以上何も言わずに様子を見ることにした。


「レオン殿よ。何を隠そう、この男はフリードウインドの街からシャドリオスを撃退し、街を救った英雄なのだ」


ザラコスの言葉にレオンは「なんと!」と呟いた。


「アドリアン殿が『シャドリオス』から街を?それは本当なのですか?」

「……まぁ、一応ね」


アドリアンは渋々と言った様子で頷く。

ザラコスが何をしようとしているかは分からないが、ここは話を合わせるしかないだろう。


「そしてこの少女、メーラ姫こそが彼の護衛対象であり……古くにシャドリオスに滅ぼされた亡国の姫でもある」


ザラコスの言葉に、部屋中の空気が凍りつく。

そして突然、ザラコスはメーラに跪き頭を垂れた。


「姫殿下……貴き身分を隠さざるを得ない状況とはいえ、姫殿下をこうして連れ歩くこと……心よりお詫び申し上げます」


ザラコスの突然の行動に、メーラは「え?え?」と狼狽え、その小さな体が震えている。

彼女の目は、助けを求めるようにアドリアンを見つめていた。

アドリアンはその様子を見て思わず吹き出しそうになった。それと同時にアドリアンは彼の思惑を知る。


(やってくれたな、ザラコス)


ザラコスの計略を理解したアドリアンの目が鋭く光った。

彼はアドリアンという、何処の勢力にも属していない人物を対シャドリオスの『切り札』として大々的に喧伝するつもりなのだ。

ドラコニア皇国は表向きは中立ではあるが、他国にとっては潜在的な敵国である。

その騎士団長がシャドリオスに対して一致団結を!と声高に叫んでも上手くいく訳がない。

しかし、アドリアンという無所属の英雄を担ぎ上げ、更にはシャドリオスに滅ぼされた古の国の姫という身分を使うことで他国が一致団結しやすいような状況を作り出すつもりなのだ。


(なるほど。そこでフリーの英雄アドリアンと、亡国の姫メーラの出番というわけか。これは面白い)


アドリアンは突然与えられたこの世界での「英雄」という役柄に、内心で苦笑していた。

隣でおろおろしているメーラを見て、彼女の「姫」としての演技力に少し不安を感じてもいたが。


アドリアンには確かな実力があるし、既にフリードウインドの街を救った英雄という輝かしい実績もある。

フリードウインドの英雄とドラコニア皇国の騎士団長が『姫殿下』という身分の人物を護衛している、という事実さえ作れれば他国も協力しやすくなるだろう。

アドリアンはザラコスの思惑を理解し、そして感心した。


ただ一つ、問題は……。


(俺とメーラの許可を一切取らずに、勝手に話を進めたってところだな!)


アドリアンは心の中で叫びつつ、表面上は愛想のいい笑みを浮かべていた。

「後で覚えてろよ、トカゲジジィめ」と心の中で呟きながら。

恐らくはレオンとの議論の途中でこの作戦を思い付いたのだろう。なんて奴だ。


「あっあの。な、な、な、にを」


状況が理解しきれていないメーラは顔面蒼白になりながら、小鹿のようにプルプルと震えながらザラコスに跪かれている。

可哀そうではあるが、可愛らしいメーラの姿にアドリアンは笑い出しそうになるのを必死に堪え、ザラコスと同じように跪き、頭を垂れた。


「姫殿下、このアドリアンが不甲斐ないばかりに貴女様に御苦労をお掛けしてしまい、誠に申し訳ありませぬ!私めの魔法で必ずや祖国を復興いたしましょう!」

「は、はい!?」


メーラが何か言おうとするが、アドリアンはそれを遮るように更に深く頭を垂れる。

まるでメーラの言葉を土の中に埋めようとしているかのようだ。

そしてザラコスもそれに続いて更に頭を深く下げた。


「どうか、今しばらくの辛抱を……姫殿下!」


とんでもない茶番だ。

アドリアンは笑い出したくなるのを我慢しながら、そしてザラコスの不敵な笑みを横目で見ながら、深々と頭を垂れ続けた。

なお、二人の肩が微かに震えているのにレオンとメーラは気付いていない。


「なんと……!貴き御方とは知らず、ご無礼を働きましたこと……深くお詫び申し上げます!」


更にはレオンまでがメーラの前に跪き、頭を垂れる。

ドラコニア皇国の騎士団長と、フリードウインドの英雄が二人揃って彼女に礼節を尽くしているのなら、もう疑う余地はないのだ。


「──」


アルヴェリア王国の大貴族に跪かれるという理解不能な状況に、メーラは泡を吹いて倒れるような思いだった。

不意に、アドリアンとザラコスと目が合った。二人は同時にニヤリと笑う。

その笑顔には、「作戦成功」という喜びと、「ごめんね、メーラ」という申し訳なさが混ざっている。


そうしてメーラに恭しく跪くという暫しの茶番劇が終わった後、不意にアドリアンが机の上に置いていた荷物を手に取って言った。


「さて、高貴なるメーラ姫の正体が判明したところで……レオン卿、ご注文の品をお届けに上がりました」

「え?」


アドリアンに荷物を差し出され、彼は一瞬きょとんとした顔を浮かべたが、すぐにそれが何か理解したようだ。


「実は私、お姫様の護衛をしながら副業で配達もやっておりまして。これがレオン卿にお渡しするように依頼された品でございます」

「なんと!姫君と大魔法使いどのに荷物を運ばせるとは、私はなんと失礼なことを……!」


そう言い、レオンは再びメーラに対して頭を下げる。

大貴族に何度も頭を下げられたメーラはもうこの異常な状況を受け入れたのか「オキニナサラズ」と片言で答えていた。

声が震え、頬は赤く染まっているメーラを見て、アドリアンは「さすが姫様、庶民の言葉まで完璧にマスターされておられる」と付け加えた。

メーラがキッとアドリアンを睨むもまるで気にしていない様子である。


「しかし、何故高貴な御方が配達業などを?」

「亡国の姫君も国を復興するのにお金が必要なのですよ。世知辛い世の中でね、お姫様もこうして働いていらっしゃるのです。ちなみに昨日の晩餐は大根のみでした」

「おぉ……なんと健気で、なんと高潔な姫君だ……そんな苦労をされておられるとは……うっうっ」


それを聞き、レオンの目には涙が光った。

同じ高貴な身分の者として、メーラの境遇に涙を流さずにはいられないのだろう。

メーラの"事情"を聞いたレオンは同情した様子で何度も頷く。彼の顔には、涙と共にメーラへの敬意と哀れみが浮かんでいた。


……なお、何から何まで嘘なのだが、レオンがそれを知る由もない。アドリアンは、自分の創作した物語に満足げな表情を浮かべているだけだ。

貴族に嘘を付いたのがバレたら、やっぱり死刑かな……とメーラは一人身体を震わせていた。彼女の小さな体が、寒さに震えるように微かに揺れている。


「ザラコス閣下。メーラ姫の為にも、私は貴殿らを全面的に支持いたします。父、ランドヴァール侯にも私から進言いたしましょう」

「それは心強い。是非とも頼みますぞ」


ザラコスはそう言うとレオンと握手を交わす。

……しかし突然、その二人の手の上にもう一つ手が置かれた。


「おや、なんて感動的な光景だ。これで王国と皇国の硬い絆が結ばれたわけだ。閣下の謀略……いや、外交手腕のお陰でね?いや、流石は騎士団長どのだ。武勇だけでなく、こんな見事な茶番……じゃなくて外交儀礼まで演出できるなんて」


ギリギリ、とザラコスの手だけに力を込めてアドリアンはザラコスに言う。

その握力は「後でたっぷりお礼させてもらうからな」と言っているようだ。

しかしザラコスは涼しい顔で「ほう?アドリアン殿、何か言いたいことでも?」と首を傾げる。


「アドリアン殿の軽口を聞きすぎてワシも耳が遠くなってしまったわい。何かおっしゃられたかの?」

「いや、なに、この度は閣下の御心遣いに感銘を受けたと申しただけですよ。特に、突然の配役変更には拍手喝采です」

「うむ、そうかそうか。それは愉快だ。アドリアン殿の即興演技力にも感服しましたぞ」


白々しく言うアドリアンにザラコスも白々しく答える。

レオンは二人を見て妙な雰囲気を感じ取った。彼の表情には「これは何かとんでもない駆け引きが行われているのでは?」という疑念が浮かんだいた。


暫く二人の言葉の応酬は続いていたが、不意にレオンがアドリアンに向かっておずおずと口を開く。


「……ところで、アドリアン殿は大魔法使いだと仰られましたよね」

「え?あぁ、一応ね」


自分で名乗ったことは一切ないが、何故か大魔法使い扱いをされているアドリアンは、レオンの言葉に頷く。


「その、シャドリオスを蹴散らせる程のアドリアン殿に、少しばかり私の用事に付き合って頂ければな、と……」

「用事?」


一体彼は何を頼みたいのだろうか。

シャドリオス狩りでも行うつもりか?それとも、魔法を伝授してもらいたいのだろうか?

どちらにせよ、レオンはランドヴァール侯を説得する上で重要な人物だ。

その人物の頼みを断る理由はなかった。


「その……実は……」


初恋を告白する少年のように顔を赤らめるレオン。

彼はもじもじと身体を震わせていたが、深呼吸をして、人生最大の決断をするかのように口を開いた。


「わ、私と一緒に……!奴隷市場に行って欲しいのです!」


その瞬間、アドリアンとザラコス、そしてメーラの三人は顔を見合わせた。


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