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第十四話

アルヴェリア王国は人間を主種族とした国家である。

その領地は大陸の西部に位置し、肥沃な平原と大河を有する強大な国家だ。

精強な騎馬隊と高い魔法技術を誇り、軍事的にも文化的にも大陸における主要な勢力の一つとして君臨している。


「あれがアルヴェリアが誇る防壁か。あれ、積み上げるの何十年かかるんだろうね」


街を囲うようにして、高く分厚い壁がそびえ立っているのを見て、アドリアンは感心したようにそう言った。

夕陽に照らされた平原の先に、王国の国境の街が見えてくる。広大な麦畑の向こうに、巨大な壁が威圧的に聳え立っている。

その壁は、アルヴェリア王国の国力を象徴しているかのように、高く、そして頑強そうに見えた。


「人間というのは不思議なものだな。あのような壁の中で、窮屈な生活に甘んじるとは」

「そうなんだよ。人間は自分で自分を閉じ込めるのが得意なんだ。壁の中で安全に暮らすか、それとも外で自由に生きるか。難しい選択だな」


そんなやり取りをしている二人を他所に、メーラは今までに見た事のないほどの大きな壁に圧倒されていた。


「すごい……こんな大きな壁、初めて見た」


メーラは、その城壁を遠くから見上げて思わず呟いた。

フリードウインドの街には城壁などなく、街を取り囲むのは草原と森だけだった。

しかし、アルヴェリア王国は違う。

国境の街であるこの街には空を穿つような壁がどこまでも続いている。


「ここは帝国と領地を接している。この壁の中は帝国の侵攻に備えるための要塞としても機能しているのだ」


アルヴェリア王国が帝国と隣接しているのは事実だ。

だが、その壁の中に街があるなどと、メーラはこれまで考えた事もなかった。


「お隣さんが来るたびに壁に閉じこもるなんて、随分と付き合いの悪い国だな。まぁ帝国も同じようなもんだけど」

「帝国と王国は、昔から仲が悪い。特にこの場所は要衝として、長年お互いに攻めあっているからな」

「なるほど。つまり、ここは二つの国の壮大な鬼ごっこの遊び場ってわけか。こんな場所に荷物を配達しろだなんてアデムのおっさんもやってくれるね」


アドリアンは今頃酒を飲んでいるであろうドワーフを思い出し、苦笑いを浮かべた。

今度フリードウインドに行った時は散々嫌味を言ってやろう。


「さぁ、二人とも。そろそろ行こうか」


アルヴェリア王国、国境の街。

巨大な門に飲み込まれるようにして、三人はその街へと入っていった。




♢   ♢   ♢




「いやぁ、ザラコスがいると門も素通り出来て楽だな!」


アドリアンは、検問所の衛兵に会釈をして街の大通りを歩きながら言った。

衛兵は敬礼をして三人を見送っており、アドリアンは振り向きながらそれに笑顔で応える……。

……しかし、衛兵が敬礼しているのはアドリアンではなく、ザラコスに対してだった。


「ザラコス閣下に敬礼!」

「……」


自らに向けられる敬礼に、ザラコスはうんざりとした表情で手を上げると、一際大きな溜め息を吐いた。


「アドリアン、お主がいらんことを言うから面倒くさい扱いを受けたではないか」


ザラコスは一般の旅人として門を通行しようと申請した。しかし、アドリアンが突如こう叫んだのだ。


『おお、なんと無礼な!ここにおわすはドラコニア皇国の騎士団長様だぞ!そんな高貴な爬虫類に検問とは、この街に竜の大群が押し寄せても構わんのか!?』


検問所は一時騒然となり、騎士団長を検問してしまったと平謝りする衛兵たちにザラコスは「もうよいから通せ」とだけ言って門をくぐった。

そのお陰でアドリアンとメーラは『騎士団長の御付き』として、まるでバターの上を滑るように簡単に街に入ることが出来たのだ。


「自分の身分と権力は使えるうちに使っとけって、昔どっかのリザードマンの爺さんから教わったんだ」

「はん、なんて常識の無いリザードマンだ。そのクソジジィの顔が見てみたいわい」

「鏡を見たらすぐにでも会えるよ」

「?」


ドラコニア皇国はこの戦乱の世にあって、中立と非干渉を貫く竜の国。

しかし、もしも敵対すれば……アドリアンの言う通り竜の大軍が全てを焼き尽くしにやって来る。

それは決して揶揄ではなく、文字通り空は竜で埋め尽くされ、あっという間に生命の痕跡が消滅し、領土は全て灰になるだろう。

それが分かっているからこそ、王国も皇国の重鎮には細心の注意を払うのだ。


「ねぇアド、すごい人の数だよ」


不意に、メーラがアドリアンの服の裾を引っ張った。彼女の目は、街の喧騒に驚きと興奮で輝いていた。

アルヴェリアの街は、夕暮れ時にもかかわらず活気に満ちていた。

狭い石畳の通りには、様々な商人や旅人、地元の住民たちが行き交い、その喧騒が耳を圧倒する。

露店の売り子の呼び込みの声、鍛冶屋のハンマーの音、酒場から漏れ聞こえる笑い声……。

それらが混ざり合い独特の街の音楽を奏でていた。


フリードウインドとはまた違う、王国の街。それにメーラは圧倒されていた。


「みんな、私たちのこと気にしてないみたい」

「人間の街の良いところは、誰も他人に興味がないってことさ。つまり、俺たちはここでは完璧に『普通』なんだ」


アドリアンは歩きながら、メーラに笑いかけた。

メーラは魔族だが、そのツノはアドリアンの魔法で見えなくなっている。

恐らくは人間の兄妹か、友人、もしくは恋人に見えていることだろう。


「普通……」


その言葉にメーラはピクリと反応する。


「そう、ここではメーラも俺も、ザラコスだって普通の旅人だ。まあ、ザラコスは少し背が高くて鱗のある普通の旅人だけどね」

「お主、普通の定義がおかしいぞ」

「いいや、おかしくないさ。俺たちがドラコニアに行ったら、少し背が低くて鱗がない普通の旅人になるんだ」

「アドリアンよ……その理屈は通ってるようで全然通ってないぞ」

「そうかな?」


アドリアンは首を傾げた。


「要するに、普通って相対的なものなんだ。もし俺が変わり者でも、どこか別の場所じゃ普通になるかもしれない。例えば、俺の冗談が普通の世界とか」


アドリアンの軽口を聞き、ザラコスは呆れたように笑い、メーラは少し困ったように眉を下げて笑った。


「そんな世界、存在するのかな?」

「ありゃ、メーラまで皮肉を言うようになったか」


アドリアンは胸に手を当てて大袈裟に驚いたふりをした。


「これは大変だ。俺の影響力はあまりにも強すぎる。もしかしたらこの世界は俺の『冗談』に浸食されているのかもしれない……!」


ザラコスの尻尾が、べしんと音を立ててアドリアンの背中をはたく。


「ええい!戯れ言もいい加減にせい!」

「あははっ」


三人のやり取りを、道行く人々は不思議そうに見ていたが、それも一瞬で通り過ぎていった。

そうして、暫く歩くとザラコスは立ち止まり、二人に言った。


「さて、ワシはここでお別れだ」


ザラコスが指差したのは大通りの先に聳え立つ巨大な屋敷であった。

白亜の壁と青い瓦屋根が、夕焼けに映えて美しい。

門の両脇には、鎧に身を包んだ屋敷を警備する衛兵が厳めしい表情で控えており、検問所の比ではない厳重な警戒が敷かれている。

まるで小さな城を思わせるようなその屋敷は、アルヴェリア王国の大貴族の別宅であった。


「おや、ザラコス。もうお別れなのか」


アドリアンの言葉にメーラも寂しそうにザラコスを見る。

そんな彼女の頭にぽんと頭を手を置き、彼は言った。


「ここからは『普通の旅人』ではなく、『皇国の騎士団長』としてあの屋敷の貴族に用があるのだ。流石のワシでも無関係の者を他国の貴族の屋敷に一緒に連れていく訳にはいかぬ」

「あのお屋敷は……あぁ、ランドヴァール邸か」

「知っているのか、アドリアン。そう、あの屋敷こそがここの街だけではなく、周辺地域一帯を治める大貴族……ランドヴァール侯爵家の邸宅だ」

「……そうだね。知っているよ、よく」

「詳しくは言えぬが、ワシはその貴族に用があってこの街に来た」


ザラコスの声色は、どこか重々しかった。

そのランドヴァールという大貴族とどのような関係なのか、ドラコニア皇国の騎士団長が何故わざわざアルヴェリア王国の貴族に会うのかは、アドリアンもメーラも知る由もない。


だが……。


「なんだ、じゃあザラコスとはもう少し一緒にいれるな」

「はぁ?」


こいつは何を言っているんだ、とザラコスはアドリアンを見る。

するとアドリアンは悪戯が成功した少年のような笑みを浮かべ、小包を見せつけるようにして口を開いた。


「奇遇なことに、この小包はアンタに付いていきたいって言ってるんだ。ほら、聞こえるだろ?『ザラコス様、一緒に行かせてください』って」


アドリアンは小包を耳に当てて、真剣な顔で聞き入るふりをする。


「なになに?キミの宛先は……おっと、これはまた驚きだ!アルヴェリア王国のランドヴァール侯爵家だって!?」

「なに?」

「え?」


アドリアンの言葉にメーラとザラコスは呆れと困惑の入り混じった表情で顔を見合わせた。

そしてメーラは思い出す。以前に聞いた、アドリアンとアデムの会話を。


『まぁ王国ではかなり名の知れたお貴族様らしい。名前はなんて言ったっけな……ラ、ランド……なんたら』

『あぁ、ランドヴァール侯爵か』

『それだ!』


それが、あの屋敷に住まう貴族であったのか。

メーラは遠くに見える壮麗な屋敷を見て、思わずゴクリと喉を鳴らしたのであった。




♢   ♢   ♢




ランドヴァール侯爵家。

アルヴェリア王国の建国時から、まるで古い家具のように王国に居座り続けてきた由緒正しき貴族だ。

古くは外国に対抗する為に国境に広大な領土を与えられ、ドワーフの帝国への牽制と、侵攻を防ぐ盾の役割を果たしてきた。

その歴史は王国の歴史そのものと言っても過言ではない。

幾度となく王国を襲った戦乱の中で、ランドヴァール家は常に最前線に立ち、時に外敵と、時に内なる敵と戦ってきた。

王国東部の軍家を取り纏める大貴族。それがランドヴァール侯爵家だ。


そんな栄えある侯爵家の屋敷の一角。

豪華な調度品が並ぶ応接室で、アドリアンは小包を手に静かに周囲を見渡した。

壁には歴代当主の肖像画が飾られ、その厳しい眼差しが部屋全体を見下ろしている。

重厚な木製の家具は、何世代にもわたって磨き上げられた風格を漂わせていた。


「なかなか立派な部屋だね。歴史の重みを感じるよ」


アドリアンはそう言い、小包をテーブルの上にそっと置く。

メーラは初めて見る豪華な応接間に明らかに緊張した様子で部屋の隅に小さくなっていた。


「こ、ここが貴族様のお部屋……?」


プルプルと、まるで小動物のように震えるメーラにアドリアンが笑いながら口を開く。


「メーラ、そんなに緊張することないって。もし、そこの花瓶を一つ割っても一生ここで働けばいいだけの話だからな」

「怖いこと言わないでよ!」


メーラは涙目になってアドリアンに詰め寄り、彼の服の裾をギュッと掴んだ。


「アドリアンよ、そんな冗談でメーラを怖がらせるんじゃない」

「緊張をほぐすには、笑いが一番さ」


アドリアンは、まるで自宅のリビングルームを歩くかのように優雅に応接間を横切った。

重厚な赤絨毯の上を足音も立てずに進み、そのしなやかな動きはこの豪華な空間に不思議とよく馴染んでいた。


「ほら、メーラ。このマホガニーのテーブルを見てごらん。確かに立派だけど、結局はただの木の板だ」


アドリアンは軽く指でテーブルを叩いた。その音が部屋に響き、メーラは小さく身を縮めた。


「それに、この金糸の刺繍が施されたカーテン。きっと誰かが何日もかけて作ったんだろうけど、結局は窓を隠すだけのものだ」


彼はカーテンの端を軽く引っ張り、その質感を確かめるように撫でた。

メーラはアドリアンの行動に息を呑んだ。

彼女の目は、部屋の隅から隅まで忙しなく動き、まるでいつ何かが壊れるかと心配しているようにオドオドと周囲を見回す。


「おや?これは面白いな」


突然、アドリアンは壁の一部にある小さな凹みを押した。

カチリという音とともに、隠し扉が開いた。

扉の中には、埃一つない棚に並べられた高級酒の数々があった。


「ほらね、貴族だって所詮は人間さ。奥方に隠れて、こんなところに密かな楽しみを隠してるんだ。俺が子供の頃にお気に入りのお菓子を隠したみたいにね」


あまりに自然な動きに、ザラコスもメーラが目を点にしてアドリアンを見つめていた。


「お、お主……何故隠し扉があると知っていたんだ?この部屋に来たことがあるのか?」

「夢で見たんだ。ここの当主が隠し扉を教えてくれる、そんな夢を」

「夢?」

「そう、夢だ。その時ランドヴァール侯はこう言ったよ。『息子が大きくなったら一緒にこの酒を飲もうと思っていた』ってね」


そう言いながらアドリアンは高級なブランデーの瓶を手に取り、ラベルを眺めた。


「なんでも、息子の誕生日に合わせて仕込んだ特別なブランデーらしい。毎年一本ずつ貯めて、成人した時に見せてやるって」


突然、アドリアンの表情が変わった。

彼は遠くを見るような目をし、一瞬だけ悲しみの色が浮かんだ。

それは、まるで遠い記憶の中の風景を見ているかのように……。


「まぁ、夢の話なんだけどな!」


アドリアンは急に明るい声を取り戻し、瓶を元の場所に戻す。

ザラコスはまだ疑わしげな表情を浮かべていたがそれ以上は追及しなかった。

メーラはアドリアンの表情の変化に気づいたようだったが、何も言わなかった。

──何故か、聞いてはいけないような気がしたのだ。


「さあ、そろそろ侯爵様がいらっしゃるかもしれないね」


アドリアンは軽快な足取りで隠し扉を閉めた。


「貴族の秘密を覗いちゃったけど、これも貴重な体験だ。メーラ、緊張がほぐれたかい?」

「……余計緊張しちゃったけど」


そこで、扉を叩く音がして一人のメイドが入ってきた。

彼女は恭しくお辞儀をすると、三人の前に歩み出た。


「ランドヴァール侯の御子息様がお見えになりました」

「なに?ランドヴァール侯はおらぬのか?」

「申し訳ございません、ザラコス閣下。当主様はつい先日、兵を率い出陣されてしまい、ご子息様が代理としてお客様をお迎えすることになりまして……」


ザラコスが「うむぅ……」と唸る。

彼にしても予定外だったのだろう。しかし急な用事ならぬ急な戦争ならば、しょうがない。


「……」


そんなザラコスの横で、アドリアンは思わず隠し扉の方をチラリと見た。その目には、複雑な感情が浮かんでいた。


──その時である。


応接間の扉が静かに開く。

部屋に入ってきたのは、まだ成人していない若い青年だった。アドリアンよりも歳若く、まだ少年の面影が残る顔立ち。

その青年はアドリアンたちの姿を認めると優雅に礼をし、口を開いた。


「お待たせしました。父に代わり、私がお客様をお迎えいたします」


麗しい青年の声が、応接間に響いた。

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