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第十三話

朝日が地平線から顔を覗かせ始め、夜の静寂が徐々に朝の活気に変わっていく。

草原の爽やかな風が四人の頬を撫でた。


「メーラさん、昨夜はよく眠れましたか?野宿は慣れないでしょうから」


リリアナは優しく微笑みながらメーラに向かって尋ねた。


「はい!昨日は素敵なお歌を聞いたから、ぐっすりと眠れました!」


リリアナは「それは良かったわ」とクスッと笑う。

朝陽に照らされたリリアナの横顔はとても美しく、つい見惚れてしまう程だ。


「リリアナさん、昨日は素敵なお歌をありがとうございました!」


メーラの声が朝もやを切り裂くように響く。

吟遊詩人が歌う物語というのをメーラは初めて聞いた。

旋律と調和した声の美しさと物語の深さに、今でも身体の奥が震えているようでメーラの頬は紅潮していた。


「メーラさん、あなたの純粋な心が私の歌をより美しくしてくれたのよ」


リリアナは優しく微笑む。

朝靄の中、リリアナの姿は一層神秘的に見えた。


「エルフの歌か……久しぶりに聞いたが、やはり心に響くものがあるな」


ザラコスは腕を組み、目を閉じて何度も頷いていた。


「我が国の宮廷詩人たちも、見習うべきところがあるな」

「へぇ、ドラコニア皇国にも詩人がいるのか。竜の詩って、『ガオー』とか『ゴゴゴ』とかそんな感じかな?」

「いや、そんな単純なものじゃないぞ」


ザラコスはハンっと息を吐いて言った。


「我々の詩は尻尾の振り方と鱗の光り具合で表現するんだ。お主では理解できまい」

「おや、それは失礼しました。確かに俺じゃ尻尾の振り方を見て『ガオー』か『グオー』かを判別するのは難しそうだ」


リリアナは二人のやり取りを見て、クスリと笑う。


「まあ、お二人とも仲が良いのですね」


リザードマンの老人と人間の青年が親し気に話している光景は彼女には珍しかったのだろう。

リリアナは興味深そうに二人を観察していた。


「ところで三人はこれからどちらに向かうのですか?」

「あぁ。アルヴェリア王国の街に少し用事があるんだ」

「アルヴェリアの街ですか。お二方は人間ですし、ザラコスさんはリザードマンなので大丈夫でしょうが……」


リリアナは眉をひそめ、心配そうな表情を浮かべた。


「今、アルヴェリア王国とグロムガルド帝国の軍勢が近くの平野で睨み合っているんです」


リリアナは声を低めて続ける。


「両軍の緊張は頂点に達していて、ちょっとした火種で戦闘が始まりかねない状況……」


リリアナが言うにはこの地に各地の軍勢が集結しつつあり、近々大きな戦が始まろうとしているらしい。

いつも小競り合いをしている両国だが、今回は大きな武力衝突に発展する可能性が高いようだ。


「こりゃ面倒くさい時に来ちゃったな。大勢の兵士がぶつかり合えば、魔物たちも活発になる。今この近辺はまさに動乱の最中、か……」


アドリアンは顎に手を当てて考え込む。

この世界が飽くなき戦争を続けているというのは知識としては知っている。

しかしこうして大規模な戦が日常的に行われているというのは、アドリアンの予想を遥かに上回っていた。


「……?」


アドリアンがそう思っていると、突然遠くから蹄の音が聞こえ始めた。

全員が音の方向を見ると地平線上に小さな点が現れ、徐々に大きくなっていく。


「あれは……」


ザラコスが声を潜めて言った。

遠目に見えるそれらは鎧に身を包んだ騎兵たちだった。彼らの掲げる旗が風になびき、その紋章が太陽の光を受けて輝いている。

リリアナは目を細めて旗を見つめ、息を呑んだ。

騎兵団は四人から少し離れた場所を通り過ぎていく。甲冑のきしむ音、馬のいななき、そして厳かな空気が周囲に漂い、やがて騎兵たちは彼方へと走り去っていった。


「アルヴェリアの騎士たちか。我々には目もくれず、通り過ぎていったな」


ザラコスは兵士たちの背中を見送りながら言う。


「この辺りを警戒する余裕もないのか、それとも……」


アドリアンが言いかけたところで再び遠くから足音が聞こえ始めた。

今度はより重く、そして規則正しい音だ。

地平線上に巨大な人の波が現れ始めた。

整然と行進する歩兵の大軍だった。無数の槍や盾が陽光を反射し、煌めいている。


「これはまた壮観な光景だ。まるで巨大な鉄の蟻の行列みたいで、思わず見惚れちゃうね」


アドリアンは軽く口角を上げてそう言うが、リリアナは深刻そうな表情を浮かべていた。


「あの紋章はブレンハイム侯爵家のもの……そしてあちらはカレンバーグ伯爵家……。なんてこと、王国の主戦派の貴族が一堂に会するなんて」


リリアナの言葉通り軍勢の中からは軍旗がちらほらと見え始め、その豪華で瀟洒な装いからそれぞれが王国を代表する有力な貴族だと分かる。

しかし旗の貴族紋を見るだけで、貴族の家名が分かるとはリリアナは博識だなと、アドリアンは感心した。

吟遊詩人という職業柄、世界を旅して色々と情報を仕入れる機会が多いのだろうか。

アドリアンはそんなことを考えながら、軍勢の行進を見守る。


「アド……あの先頭にいる人たちは、何で鎖に繋がれているの?」


メーラが怯えるように小さな声で尋ねた。

遠くを行く軍勢の先頭にアドリアンたちの目は釘付けになった。


──そこには、鎖に繋がれた人々の列が見えた。


痩せこけた体、擦り切れた服、そして虚ろな目。

鎖の音が、かすかに風に乗って聞こえてくる。

先頭を行く者たちの中にはまだ子供と呼べるような若い顔もあった。

その小さな身体には、重そうな盾や槍を持たされていたが、それらを正しく扱える様子はない。


「──」


アドリアンは一瞬言葉に詰まり、深く息を吐いてからメーラの目を見つめた。


「奴隷や、身なりのない子供を兵士として徴兵しているんだ。あの鎖に繋がれている人たちは、これから戦場へ連れていかれるんだよ」

「えっ……?」


メーラは絶句し、言葉を失った。

奴隷……。

メーラの瞳に奴隷たちの列が焼き付いていく。

鎖に繋がれている者たちの生気のない瞳がメーラの脳裏にこびりつく。

諦めと恐怖が混ざり合ったその目。

それはまるで、かつての自分のようで……。


「メーラ」


そんなメーラの身体をふわりと、アドリアンが後ろから優しく抱きしめた。


「目を逸らしてもいい。だけど見てもいい。どちらを選んでも、君は間違っていない」

「……」


メーラは震える手でアドリアンの腕を握りしめた。彼の手がメーラの小さな手を優しく包みこむ。

アドリアンは静かにメーラの頭を撫でながら遠くの奴隷たちを見つめていた。


(助けたい。俺には今すぐにでも助ける力はある)


アドリアンは内心で呟いた。


(だがここで彼らを解放したところで、世界は変わらない。新たな奴隷が作られるだけだ)


アドリアンはメーラを抱きしめる手に力を込める。

それは彼女を安心させる為……それと同時に、自分への戒めでもあった。


(変えるなら根本から変えなければならない。人々の心を、世界そのものを)


その為には……どうすればいいのだろうか。

前の世界は魔族という敵がいて、その敵を倒すために他種族は団結していた。

だがこの世界は……魔族の脅威がないというのに、異種族同士で争っている。

前の世界よりは幾分かは平和なのだろう。それが毒となり、奴隷というものが生まれているのかもしれない。


そう、この世界は……。


「……」


アドリアンとメーラは静かに佇み、そして遠ざかっていく軍勢を見送っていた。




♢   ♢   ♢




「くれぐれもお気をつけて……」


リリアナは心配そうな表情を浮かべながらアドリアンたちにそう言った。

アドリアンは軽く微笑んで、リリアナの方を向いた。


「リリアナも元気で。また機会があったら歌を聞かせてほしいな。ただ、今は急いでるからエルフ式の別れの挨拶は次会った時に」

「あら、じゃあ次会った時はエルフ式の挨拶をたっぷりと堪能させてあげますね」


楽しげに微笑みリリアナにアドリアンは肩をすくめてみせた。


「三日くらいは予定を開けとかなきゃダメかな」

「いいえ、二日で結構ですよ」


和やかに笑う二人。

不意にリリアナはメーラの方を向き、にこりと微笑む。

メーラは少し寂しそうに、リリアナを見上げた。


「また、会えますか?」


リリアナは膝を折り、メーラと同じ目線になった。

そして彼女の小さな手を取り優しく握りしめる。


「ええ、きっと。吟遊詩人は風のように自由に旅をするものです。いつかどこかで、また出会えるでしょう」


そしてウインクをして、こう言った。


「それまでに、メーラさんもたくさんの素敵な思い出を作ってくださいね。次に会ったとき、貴女の冒険の話を聞かせてほしいわ」

「私の、冒険……?」


メーラは言葉につまり、少し困惑した表情を浮かべた。


「そうだよ、メーラ。君の冒険だ。きっと素晴らしい物語になるはずさ。そうだ、『勇敢なお姫様メーラの大冒険』なんてどうかな?」


アドリアンは茶目っ気たっぷりにメーラに言うと、リリアナは目を丸くしてメーラを見つめ直した。


「まあ、お姫様だったのですか?」

「実はそうなんだ。彼女は遠い国からやってきた秘密の姫君なんだよ」


アドリアンは楽しそうに続けた。


「世界を救うための大切な使命を帯びてね。でも、それは内緒だから」


アドリアンは目配せしながら人差し指を唇に当てた。

メーラはきょとんとし、リリアナも可笑しそうに口元に手を当てた。


「ふふっ、世界を救うお姫様ですか……素晴らしいですね」


リリアナはメーラの手をそっと離すと、再びアドリアンたちに向き合った。


「行く先々でメーラ姫のサーガを紡いでいきましょう」

「や、やめてください!私そんなのじゃないから!」


顔を真っ赤にしたメーラが慌ててリリアナの言葉を遮る。

ザラコスはそんな二人のやりとりを見ながら、くつくつと笑っていた。


「いいではないか、メーラ。偉大なる魔法使いに護られし異国の姫……今のお前さんにピッタリだ」

「もう、ザラコスさんまで!」


ザラコスの言葉にメーラはさらに赤面し、アドリアンは楽しそうに笑った。


「おや、ザラコス。アンタまで乗ってくるとは意外だな」

「『ガオー』以外で、たまには冗談を言ってもいいだろう」


ザラコスは飄々とした様子でそう言うと、メーラの頭に手を置いてぐしゃぐしゃと撫でた。

アドリアンとザラコス、二人に撫でられたメーラはぷんぷんと怒った様子だったが、その顔は少し笑っていた。


「もう二人とも!からかわないで!」

「ごめんごめん、メーラ。でも、君が特別な子だってことは本当だよ。お姫様じゃなくてもね」


そうしてアドリアンは軽く咳払いをして、話題を変えた。


「さて、そろそろ俺たちも行かないとね。リリアナ……本当にありがとう。君の歌、忘れないよ」

「こちらこそ素敵な出会いをありがとうございます。どうかお気をつけて」


三人はリリアナに最後の別れを告げ、アルヴェリアの方へと歩き出す。

位置的にはここはもうアルヴェリアの領土内だ。少し歩けば、国境の街まで辿り着くだろう。


「不思議な人たち。本当に」


遠ざかっていく三人の姿を見送りながら、リリアナは呟いた。

そして小さく手を振り、言葉を紡ぐ。


「貴方たちの旅路に、世界樹の加護がありますよう……」


メーラは右手を軽く上げてリリアナの言葉を受け止め、アドリアンとザラコスも静かに頷きながら微笑んでいた。

そして、リリアナは静かに歌う。

彼女の優しい声が、風に乗って三人の背中に届いた。

歌声は徐々に遠ざかっていったが、リリアナは歌い続けた。


──そうしてどれくらい歩いただろうか。


彼女の歌声が聞こえなくなった時、不意にメーラがポツリと呟いた。


「アド」

「なんだい」

「さっきの、軍隊の奴隷の人達……」


メーラの呟きが、風に流されていく。

アドリアンは無言のままメーラの言葉の続きを待った。


「──みんな、ツノが付いてたね。私と同じ」


アドリアンの足が一瞬止まった。彼は静かにメーラの方を向き、優しく微笑んだ。


「気づいていたんだね」


アドリアンの声は柔らかく、しかし幾ばくかの悲しみを含んでいた。

ザラコスも足を止め、二人の方を振り返った。彼のトカゲの表情にも深い思慮の色が浮かんでいる。

メーラは目を伏せ、小さな声で続けた。


「魔族は、どうして奴隷にされてるの?」


この世界の魔族はシャヘライトの独占に失敗し、魔力をろくに使えない虚弱な種族だ。

本来の魔族の力は、人間や獣人をはるかに凌ぐ。しかし今の彼らは、その本来の力を発揮できずにいる。

だからこそ奴隷にしやすく、迫害されやすい種族なのだ。


「メーラ」


アドリアンは優しく、しかし力強く言った。


「この世界は魔族の本当の姿を知らない。とても強くて、とても勇敢で、とても誇りに満ちた種族ということを」


メーラにはアドリアンの言っている事がいまいち理解できなかった。

ならば何故、魔族があんなにも奴隷にされているのだろうか。


「メーラ、いつか君たちの本当の姿を世界に示せる日が来る。俺が……そうしてみせよう」


少し躊躇いながらも、差し出されたアドリアンの手を握った。


「アドが言うなら……信じる」


メーラはアドリアンの手を握りながら小さく頷いた。

ザラコスも二人に近づきメーラの肩に手を置く。


「種族だなんだと、そんなものに縛られることはない。メーラはメーラで、他の誰でもない。そのことは忘れるでないぞ」


ザラコスの言葉にメーラは頷き、再び歩き出した。


「さあ……行こうか。アルヴェリアの街までもう少しだ」


快晴の空に、アドリアンの明るい声が吸い込まれていった。



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