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第十二話

地平線まで真っすぐに伸びる街道がまるで道標のように横たわっている。

草原は鮮やかな緑に覆われ、風に揺られる草花が波のように揺れていた。


「う~ん、夜の街道もいいけど昼の景色も最高だな」


アドリアンは軽快な足取りで先頭を歩き、そう呟く。

メーラはアドリアンの後ろ姿を眺めながら、広大な景色を目に焼き付けていた。


「わぁ……この街道は何処まで続いてるんだろう」


メーラは何処までも続く街道と、その周りに広がる草原の壮大な景色に圧倒されていた。

生まれ育った街とも、フリードウインドの街とも違う自然溢れる景色。

それを目の当たりにした彼女は、改めて旅をしているのだと実感していた。


「この街道はな、アルヴェリア王国に繋がっているのだよ」


物珍しそうに辺りを見渡すメーラにザラコスが声をかけた。

アルヴェリア王国……今回の旅の目的地。

メーラは孤児院のある街から外に出た事がなかった。そんな彼女にとって、国外に出ると言う事は、まるで別の世界へ行くような不思議な感覚なのだ。


(どんな場所なんだろう……)


人が沢山いるんだろうか、どのくらい大きな街があるのだろうか、もしかしてお城とかもあるのかな……。

メーラの脳裏を様々な想像が駆け巡る。幼い頃、アドリアンに呼んで貰った絵本のような世界が広がっているのかと思うと、期待に胸が膨らんだ。


「フリードウインドの街からは全ての国へ続く街道があるんだ。それに、関所もないから簡単に行き来出来るんだよ」


アドリアンは道の傍らに咲いていた花をヒョイと摘むと、ふわりと宙に浮かせる。

花は風に舞うようにしてメーラの周りをクルクルと回り始めた。


「わぁ……すごいっ」


メーラは風に舞う花を捕まえようと手を伸ばしたが、ふわふわと漂う花は掴めず空を切るばかり。


「わっ……わっ……!」


花に翻弄されるメーラだが、その内にアドリアンが魔法で花を操っているのだと気付き、途中で追うのを止めた。

そして顔を真っ赤にしてアドリアンを睨むと、恥ずかしさを隠すように口を開く。


「アドッ!」

「あはは、ごめんごめん!」


そんな姿を見ていたザラコスはクスリと笑い「悪戯小僧だな」と呟き、巨体に似合わぬ速度で花を摘み上げた。

そのままメーラに手渡すと、頭をポンポンと撫でてやる。

その光景は孫を可愛がる祖父のようであり、慈愛に満ちた瞳であった。


「アドリアンよ。メーラのような幼子をからかうものではない」

「幼子?おいおい、メーラは立派なレディだよ。ね?メーラ」


アドリアンは目配せしながら言った。

だが、メーラは頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。


「私は子供じゃないし、レディでもないもん」

「あはは、ごめんごめん。ほら、機嫌を直して」


アドリアンがメーラの頬を指でつつく。

メーラがさらに怒った顔でアドリアンを睨むと、アドリアンは急に真面目な顔になった。


「よし、わかった。お姫様の機嫌を直すために、俺の秘密の魔法を見せてあげよう」


アドリアンは両手を広げ、空中に向かって何かを描くようなしぐさをした。

すると突然、メーラの周りに小さな光の粒子が現れ、キラキラと輝き始める。


「わぁ……」


メーラが感嘆の声を上げると、光の粒子はメーラの周囲をクルクルと回り始めた。

そして、まるで踊るように動き回ると、今度は彼女の体に溶け込むように消えていく。


「これは『ご機嫌取りの光』という魔法さ。怒ってる人の周りで踊るんだ」


アドリアンがそう言うとメーラの体が淡く輝き、その光はやがてメーラの全身を包み込んだ。

光の粒子はメーラの髪を優しく撫でると、そのまま彼女の体に消えていく。

メーラは自分の体が光に溶け込んでいく不思議な感覚に、思わず身震いした。


「わぁ……温かい」

「どう?機嫌は直った?」


アドリアンが悪戯っぽい笑みを浮かべると、メーラは頬を膨らませて顔を背ける。

だが、その表情はどこか嬉しそうだった。


「お主、そんな魔法ばかり覚えてどうするのだ」

「ザラコス。アンタにも使ってみせようか?怒った顔のまま嬉しくなる感覚は格別だぞ」


やれやれ、とザラコスは首を振る。

アドリアンというのは不思議な青年だ。大魔法や精霊召喚を使える賢者でありながら、どこか子供っぽい一面がある。

かと思えばふと見せる真剣な表情には、底知れぬ深みを感じる事もある。

彼は一体何者なのだろうか、と思うザラコスだが深く詮索したりはしない。

アドリアンが何者であろうと、彼は善良な男で、友人である事に変わりはないのだから。


「さあ、これで仲直りだ。次は『お姫様抱っこの魔法』を見せようか?」

「そんなのあるわけないでしょ!」


メーラは顔を真っ赤にして叫んだ。

ザラコスはため息をつきながらも、口元には微かな笑みが浮かんでいた。


「全く、子供同士のようだな」


ザラコスの呟きが風に乗って消え去っていく。

メーラの笑い声と、アドリアンの声が響いていた。




♢   ♢   ♢




夕暮れが近づき、三人は街道沿いの野営地に到着した。

オレンジ色の夕日が地平線に沈みかけ、空には淡い紫色が広がっている。


「今日はここで野宿をしようか」

「え?まだ明るいけど……」

「野宿の準備は意外と準備がかかるからな。このくらいの時間から準備を始めるんだよ」


前回二人が野宿した時は、逃げるように街から出てきた為に真夜中の野宿となった。

しかし普通は日が沈む前に野営の準備を始めるのが一般的なのだ。


「あれ?」


不意に、メーラは野営地に先客がいる事に気付いた。

焚火の前で、一人の女性が座って本を読んでいる。

女性は長い金髪を後ろで束ねており、切れ長の目と整った鼻立ちはどこか気品を感じさせる。

服装は質素な布の服だが、それが彼女の美しさを際立たせていた。


「先客がいた……って、キミは」


アドリアンが女性に声をかけると、女性は本から顔を上げ、三人に視線を向けた。


「あら……旅の方?」


女性が首を傾げると、金色の髪がサラリと流れる。

アドリアンの視界に彼女の長い耳が入ると、彼は悲しげな表情を浮かべる。だがそれも一瞬。

すぐに人懐っこい笑みを浮かべた。

そして、微笑みながら口を開く。


「イリス・エル。ファラドン、ユグドリア……シャラミンテラス(月光の下で出会いし者よ、この出会いに世界樹の祝福あれ)」


そう言ってアドリアンは、右手を胸に当て、左手を前に伸ばし、優雅に腰を折って頭を下げた。

これはエルフの間で相手に敬意を表す挨拶の仕方だった。

女性の目が驚きで見開かれる。そして一瞬の戸惑いの後、彼女も同じ仕草で応えた。


「ヴァラ・シン・テラス、エル・ファラドン(あなたの言葉に感謝します、月光の下で出会いし者よ)」


アドリアンが顔を上げると、女性の表情に興味の色が混ざっていた。


「エルフの挨拶をご存じとは、貴方は一体何処からいらしたのかしら」

「実は昔、挨拶に煩いエルフの友人がいてね。彼女と会うたびに、こんな風に30分くらい挨拶を交わさされたものでさ。おかげで腰を折るのには自信がついたよ」


エルフの女性は驚いた表情から、クスリと笑みを浮かべる。

アドリアンの冗談が面白かったようだ。本当は冗談でもなんでもないのだが。


「まあ、なんて面白い方……」

「彼女は『挨拶は魂の交わり』なんて言ってたけど、俺はいつも『交わりすぎて魂が疲れちゃうよ』って返してたんだ」

「それは素敵なご友人だわ。私たちは確かに挨拶を大切にするけど、30分は流石に長すぎね」


アドリアンはウインクしながら言った。


「じゃあ、今回は5分で勘弁してくれるかな?エルフの友よ」

「5分……いいわ、今回はそれで勘弁してあげる。人間の友よ」


そう言って互いに笑い合う二人を見て、メーラとザラコスは互いに顔を見合わせる。

まだ出会って間もないはずの二人が、まるで長年の友人であるかのように笑い合っているのが不思議だったからだ。


「メーラよ。アドリアンはエルフに育てられでもしたのか?」

「ち、違うと思うけど……」


何故アドリアンがエルフの言葉や流儀を知っているのかは分からなかった。

だが、アドリアンの人懐っこい性格のせいか二人はまるで古くからの友人のように打ち解けているように見える。


「良かったら一緒に火を囲みましょう。お友達も一緒にね」

「お言葉に甘えさせてもらうかな」


アドリアンとザラコスは焚火の周りに腰を下ろした。

メーラは二人の様子を気にしながらも、アドリアンの隣に座る。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。私はリリアナ。吟遊詩人として世界を旅しています」

「吟遊詩人?あぁ、そうか……」


アドリアンは興味深そうに、そして何かを思い出すように目を細めた。


「『月光の騎士』様が吟遊詩人か……」

「え?」

「ああ、ごめん。つい、昔読んだ物語の登場人物と混同しちゃったよ。でも、吟遊詩人ってのは興味深いな。歌いながら旅をする……それはとても素敵なことだと思うよ」


リリアナは少し不思議そうな表情を浮かべたが、すぐに微笑んだ。


「ええ、本当に素敵な仕事です。世界中を旅して、様々な物語を集めて歌にする。時には悲しい歌も、時には勇ましい歌も」


アドリアンはリリアナの言葉を聞きながら、遠い目をした。

戦場で聞いた剣戟の音色が、耳の奥に蘇る。

月光の下で靡く彼女の金色の髪が、まるで戦場に咲く花のように美しく思えた。


「すごい……吟遊詩人って、本当にいたんですね」


メーラの声でアドリアンは我に帰る。

見るとメーラは目を輝かせて、リリアナを見つめていた。

無垢な瞳に、リリアナも思わず笑みがこぼれる。


「ふふ、そうね……珍しいものね」


そう言いリリアナは荷物の中から美しい木製の楽器を取り出した。

それは繊細な木彫りが施された優雅な形状で、弦は月光を受けて淡く輝いている。

幻想的な楽器にメーラは目を奪われるも、すぐに疑問を口にする。


「楽器……ですよね?」

「ええ、そうよ」


リリアナは優雅に指を弦に這わせた。

するとまるで風が木々を揺らすような、清らかな音色が夜空に響き渡った。


「今宵こうして巡り会ったのも何かの運命……是非、歌わせてくださいな」


そう言ってリリアナは楽器を爪弾きながら歌い始めた。

リリアナの歌声が三人を包み込む。その歌は、月の女神と星の王子の切ない恋の物語を紡いでいた。

繊細な音色がリリアナの透き通るような歌声と完璧に調和し、まるでその場に月の光が降り注いでいるかのような感覚に陥る。

メーラは息を呑んで聴き入り、ザラコスも普段の無愛想な表情を崩し、静かに目を閉じて音色を楽しんでいた。


「……」


アドリアンは、リリアナの歌声に耳を傾けながら、徐々に遠い記憶の中へと引き込まれていった。

眼前の穏やかな焚火の光景が、かつての戦場の情景と重なり始める。

月光に照らされた剣の輝き、戦友たちの息遣い、そして優雅に舞う、彼女の姿。


そう、それはまるで──。




♢   ♢   ♢




「挨拶がなってないわ」

「はい?」


初めてリリアナと会った時、アドリアンはそんな素っ頓狂な言葉を口にした。

白銀の鎧を着た壮麗なるエルフの女騎士が、アドリアンに厳しい視線を向けている。

アドリアンの挨拶が気に食わなかったらしい彼女は、まるで教師のように説教を始めた。


「エルフに対する正式な挨拶を知らないの?教えてあげましょう」


そう言って、リリアナは延々とエルフ式の挨拶を教え始めた。複雑な動作と長い台詞。

数十分経ってもまるで終わりそうにないその挨拶を、アドリアンはげんなりとした顔で聞いていた。


「申し訳ない、『月光の騎士』様。魔族を倒す前に、エルフの作法で倒されそうなんだけど、どうすればいい?」

「英雄ともあろう御方がなんてことを言うの?挨拶は魂の交わりなのですよ」

「交わりすぎて魂が疲れちゃうから、少し休憩させてもらえないかな」


アドリアンは肩をすくめながらそう言った。

リリアナはアドリアンの言葉に顔を真っ赤にし、怒りで肩を震わせている。


「た、魂が疲れるなんて……無礼にも程があります!私たちエルフの文化を馬鹿にするつもり!?」

「まさか。他種族の文化には敬意を払うさ。ただ、この挨拶が終わる頃には魔族の世界征服が完了してるんじゃないかって心配になってね」

「貴方……!エルフの作法は何千年もの歴史と伝統があるのですよ!」

「そりゃすごい。じゃあ、最初の挨拶を始めたエルフは今でも挨拶の途中かもしれないな」


リリアナの目がアドリアンを射抜く。

殺意すら滲ませたその鋭い眼光だがアドリアン何処吹く風で受け流す。


「無粋な人間ね。幾ら英雄といっても、貴方のような人間とは一緒に戦うことは出来ません」

「大丈夫だよ。魔族に挨拶をしたら彼らも退屈してすぐに和平のテーブルに着くさ」

「……もういいです。貴方のことなんか知りません」


──二人の出会いは最悪であった。

アドリアンはリリアナをからかい、リリアナはそんなアドリアンに怒りを覚えながらもエルフの騎士達を率い、戦場を駆け抜けた。


最初の戦いでは、アドリアンは魔族の大軍を見渡しながら横にいるリリアナに言った。


「月光の騎士様!エルフ式の挨拶で魔族を眠らせる作戦はどうだい?」

「貴方こそ、その軽口で魔族を憤死させればどうですか?」


とある戦いでは、魔族の砦を包囲する連合軍の最前線でアドリアンとリリアナは敵の動きを観察していた。


「ねえ、騎士どの。あの砦、エルフの建築様式に似てないか?」

「まさか。エルフの建築とは全く違うわ」

「そうかな?だって、作るのに無駄に何千年もかかりそうじゃないか」

「くだらないこと言ってないで、さっさと魔族を討ち取ってきなさい!」


広大な平原で繰り広げられる大規模な戦闘の時には、騎兵による突撃を行おうと準備しているリリアナにアドリアンは言った。


「リリアナ、エルフの馬術ってのは『馬に挨拶してから乗る』とかじゃないよな?」

「まさか。でも貴方なら、馬に冗談を言ってから乗るんでしょう?」

「そりゃそうさ」


アドリアンはニヤリと笑った。


「馬だって笑う権利があるからね。でも今日は遠慮しておこうか。笑いすぎて戦場で転ばれたりしたら困るから」

「貴方ね、本当に……」


二人は互いに視線を交わし頷き合った。

そして号令と共に、敵陣へと駆け出していった。


幾度となく死線を潜り抜け、数多の戦場を駆け抜けた。

時に敗北し、窮地に陥りながらもアドリアンとリリアナは戦い続けた。


「ねぇ、アドリアン」

「なにかな」


戦いの合間、二人が休息を取っているときだった。

リリアナは遠くを見つめながらふと呟いた。


「もし私が騎士でなかったら。平和な世だったら。歌を歌って旅してみたかったわ」


アドリアンは少し驚いた表情を見せたがすぐに優しく微笑んだ。


「とっても素敵な夢だと思うよ。リリアナが転職したら、俺が最初の聞き手になろうかな」

「いいの?」

「勿論。いつもキミの挨拶を聞いていて、その美声で歌を聴けないのは勿体ないと思っていたからね」

「もう、からかわないで。でも貴方の冗談は聞かないわよ」


いつものやり取りを交わした二人は、互いに微笑み合った。

戦友との、何気ない日常の会話。

戦いに明け暮れる日々の中、それが安らぎだった。


「この戦が終わったらエルフの礼儀作法を完璧に教えてあげる」

「それは遠慮しとこうかな」


リリアナはそう言って笑った。それはアドリアンが初めて目にする彼女の本心からの笑顔であったかもしれない。

その笑顔はとても美しく、そしてどこか儚かった。



その数日後であった。



「アドリアン様!ベゼルヴァーツ率いる魔王軍の急襲を受け、北部戦線が崩壊しました!」


伝令の声に、アドリアンは瞬時に立ち上がった。


「被害状況は?」

「詳細は不明ですが、甚大な被害が出ているようです。そして……」


伝令は言葉を詰まらせるが、意を決してアドリアンに報告を続けた。


「リリアナ様が……討ち死にされたとの報告が……」


アドリアンの世界が一瞬にして凍りついた。




♢   ♢   ♢




リリアナの歌が終わり、メーラとザラコスは感嘆の声を上げた。


「綺麗な歌でした……!」

「ああ、感動的だった」


リリアナは少し照れたように微笑むと、楽器を丁寧に布で拭きながら口を開く。


「ありがとう。私の故郷に伝わる歌なのよ」

「エルフの文化は興味深いな……アドリアン?」


ザラコスは横にいるアドリアンが異様に静かなことに気づいた。

アドリアンは、まるで遠い世界から戻ってきたかのように、ゆっくりと目を開いた。

その瞳には、懐かしさと深い感慨が宿っている。


アドリアンは深く息を吐き微笑んだ。

その表情には、普段の軽さとは異なる何か重みのあるものが感じられた。


「ありがとう……素晴らしい歌だったよ」


満足気に笑うアドリアンの表情にリリアナもつられて微笑む。

そして彼は誰にも聞こえぬようにそっと呟いた。


「ようやく聞けたよ、キミの歌を」


それは目の前の女性に向けた言葉だったのか。それとも別の誰かに向けたものなのか。

アドリアンの瞳には、月光の下で剣を振る白銀の騎士の姿が浮かんでいた。

かつて見たその背中は、まるで戦場を舞う歌姫のようで──。


「貴女の夢は、この世界で生き続けているんだね」


かつての戦友の幻影にアドリアンはそう語りかけた。

その呟きは誰に届くこともなく、焚火の薪がパチンと弾ける音と共に消えていった。


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