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第十一話

大陸中央に位置する街、フリードウィンド。

周囲の国々との交易を盛んに行い、経済都市として名を馳せる街。

その立地から様々な勢力から侵攻され、支配者が何度も入れ替わった歴史がある。

しかし、今現在は独立都市としてその地位を確立していた。


そんなフリードウインドの街の一角。

衛兵の駐屯所にてアドリアンとザラコスは応接間へと通されていた。

巨躯のリザードマン……ザラコスは静かに佇み、ソファーに座るアドリアンと向かいあう。


「いやぁ、流石騎士団長様だな。立場を口にした途端、こんな豪勢な部屋に通されるなんて」

「こうなるから地位を明かしたくなかったんだがね。何処へ行っても客人扱いになって窮屈だ」

「客人、ね……」


アドリアンが含みを持った視線を送るも、ザラコスは動じない。

彼の脳裏に、先程聞いたザラコスの叫び声がよぎる。


『我が名はザラコス!ドラコニア皇国の騎士団長であり、現女王の後継人である!』


──ドラコニア皇国。

大陸の北部に位置する国家。領土こそ小さいものの、竜人という最強の種族が支配する国家だ。

大昔、ドラコニア皇国に侵攻しようとした国が竜人たちの逆鱗に触れ、一夜にして炎に包まれ消えたという逸話は歴史に残っている。

だからこそ周辺国家は皇国を恐れ、不可侵の領域と定めているのだ。


「皇国の騎士団長なら、誰も無下に出来ないさ。それに、女王の後継人なら尚更だ」


リザードマンとは竜人に仕える種族である。

彼らは竜人を信奉し、時には命を投げ打ってでも守ろうとする。

その忠誠はある意味でリザードマンの本能とも言えるのだ。

更にザラコスは現女王の後継人と名乗った。それは即ち女王が最も信頼する者であり、その発言力は下手な竜人よりも強いだろう。


「フン、肩が凝ってしょうがないわ。……しかしお主はワシが騎士団長だと知っても、態度を変えんな」

「俺は誰に対しても態度を変えない男として有名だからな。それとも騎士団長閣下は恭しい態度がお好みであらせられますか?」

「おぉ……お主のそんな口調を聞くと胃が痛くなるからやめてくれ」


頭を抱えるザラコスだったが、アドリアンは笑いながら続ける。


「じゃあ、こういうのはどうだ?『おぉ、偉大なる騎士団長様!貴方の鱗一枚一枚が、この世界の全ての宝石より輝いておりますぅ!』」

「やめんか!」


ザラコスは怒鳴ったがその目には笑みが浮かんでいた。

まるで旧来の友人との会話を楽しむような、穏やかな笑みを浮かべ二人は話を続ける。


「お主と話していると退屈せんな。同年代の悪ふざけが過ぎる老いぼれと話してるようだ」

「そりゃどうも。俺がこんな捻くれた性格になった原因の一つにアンタも入ってんだがね」

「……はぁ?」


二人がそんな話をしている時である。

不意に扉が空き、一人の少女が部屋に入ってきた。


「アド!」


少女……メーラは血相を変えた様子でアドリアンに駆け寄る。


「アド、大丈夫!?怪我はしてない!?」


メーラはアドリアンの身体をペタペタと触りながら、心配そうに見上げる。

そんな彼女の様子にアドリアンは苦笑しつつも答えた。


「あぁ、大丈夫だよ」

「本当?本当に大丈夫?」

「俺が嘘を言ったことがあったかい?」


アドリアンはメーラの頭を撫でる。

するとメーラは安心したように微笑んだ。


「私……アドが危険なところに行っちゃったから……心配で……」

「悪いな。ちょっと面倒な事に巻き込まれたんだ」

「……うん、わかってる。アドは強いもんね」


メーラはアドリアンに抱きつくと、彼の胸に顔を埋めた。

その様子を見てザラコスは微笑ましげな表情を浮かべていた。


「お前もご苦労だったな、ドラゾール」

「はっ……」


ザラコスの言葉にアドリアンは顔を上げるとそこには一人のリザードマンが立っていた。

鱗に皮膚を持つが、ザラコスとは違いスラリとして細身に見える。

戦士というよりは、隠密行動に長けた斥候のような雰囲気を醸し出していた。

恐らくは彼がザラコスが言っていた部下で、メーラを守ってくれていたのだろう。


「アンタがメーラを見守っててくれたのかい?ありがとな!」


アドリアンが笑みを浮かべて言うと、ドラゾールは首を横に振った。


「ザラコス様に命令された故に。礼ならザラコス様に」

「でも君個人にも礼を言わせてくれ。ありがとう!」


アドリアンが再度頭を下げるとドラゾールは一瞬目を細め、そして背を向けるとそのまま部屋から退出してしまった。


「ありゃ、恥ずかしがり屋なのかな?」

「職務に忠実で真面目な男なんだ、あれは」


アドリアンとザラコスが話している中、ドラゾールと入れ違いになるように衛兵の一人が部屋に入ってきた。

壮年の男で、他の衛兵よりも絢爛な服装をしていることから地位の高い人物なのだろう。

彼はザラコスの前で跪くと、口を開いた。


「ザラコス閣下……!知らぬとはいえ、この度は皇国の貴き御方に大変失礼な事を……!」

「正式な訪問ではないのだ。名乗ってしまったが、ここにいるのはただの老いぼれたリザードマンだと思ってくれ」


ザラコスは「それよりも」と続ける。


「この若者に礼を言うがいい。彼こそがこの街を火の手から救った英雄なのだからな」


その言葉に衛兵は目をパチクリとさせ、そしてアドリアンに視線を移す。

アドリアンの見た目はただの人間の青年だ。勲章を付けている訳でも、特別な武器を持っている訳でもない。

そんな青年が大魔法で街を救う……俄かには信じられぬことだが、皇国の重要な地位に在るリザードマンがそう言うのだから信じるしかあるまい。

衛兵はアドリアンに近付くと大袈裟に頭を下げ、そして手を握ってきた。


「貴方様が街を救った大魔法使い様であらせられるか!」


腕をぶんぶんと振り回されながらアドリアンは苦笑いを浮かべる。


「街の者が口々に大魔法使い様を称えておりました!なんでも風の精霊様を使役し民を救い、華麗なる魔法で火の手を払ってくれたと!」

「魔法使いじゃないんだけどな」

「こんなにも若々しい御姿だというのに、大魔法を扱えるとは……!いやはや、貴方様が来訪されていた事がこの街にとっての僥倖でありますな!」


アドリアンの言葉など聞こえていないのか、彼は一人で興奮し続けている。

先程出ていったリザードマンと違って、彼は随分感情を豊かに表現するようだ。

彼は脚本の台詞を読み上げるようにつらつらと言葉を並べる。


「評議会からも、街を救った英雄様には多大なる報酬をとの事です!」

「へぇ、そいつは太っ腹だ」


アドリアンが笑みを浮かべて言うと、ザラコスは「それは良い」と頷いた。


「貰っておけ、アドリアン。街としても英雄に褒美をやらねば面子が立たんのだろう」

「じゃあ遠慮なく。これだけ貰っちゃおうかな?」


アドリアンは目の前の男に希望の金額を言った。

それを聞いた男は目を丸くし、アドリアンに確認する。


「そ、その程度の金額でよろしいので……?」

「あぁ」


アドリアンが提示した額はアデムから受け取った前金と同じ額。

つまり、アドリアンが他人に施して失った金額……それだけだった。


「アドリアンよ。少なすぎやしないか?」


あまりの少なさにザラコスは眉を顰めるが、アドリアンは微笑みながら続ける。


「人ってのはな、金を持ちすぎると頭の中が金貨で一杯になっちまうんだ。そうなると歩くたびに頭の中で金貨が鳴るからまともに歩くこともできやしない」


アドリアンはメーラの頭を撫でながら、優しい声音でそう言った。

そうしてメーラに目配せしながら、冗談めかして言葉を続ける。


「メーラ、想像してみな?俺が大金持ちになって、金貨を詰め込んだズボンで歩いてる姿を。きっと変なアヒル歩きになっちまうだろうな」


メーラは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、そして困惑する。


「アドはアヒルなの?」

「金を持ったらみんなが俺を『お金持ちのアヒル様』って呼ぶようになるかもな。そうなったら、金に塗れて俺の魅力的な人格は消えてなくなるかもしれない。ザラコス、アンタは俺のこの愉快な性格が消えるのを見たいか?」


アドリアンのそんな言葉を聞いて、ザラコスは今日何度目になるか分からない溜め息を吐き、そして笑った。


「お主の言う魅力的な人格とやらが鳴りを潜めてくれると付き合うのも楽になりそうだが」

「はぁ、金持ちの爺さんは冷たいな。いいかいメーラ、覚えておくんだ。金は心を凍らせる。だから、適度に持つのが一番幸せなんだ」


そう言い、アドリアンはメーラの瞳を覗き込む。


「……」


メーラは何故、アドリアンがお金を最小限で良いと言っているのか理解出来なかった。

あればあるだけ良いのに。そうすればもっと幸せな生活が出来るのに。

そんな考えが顔に出ていたのだろう、アドリアンはフッと笑う。


「まあ、要するにだ」


そうして、アドリアンはメーラを見据えたまま口を開いた。


「金なんてのは、ちょうどいい量があればいいのさ。多すぎず、少なすぎず。ちょうど今の俺くらいがね」


そう言って、アドリアンは軽やかに笑った。

ザラコスはそんなアドリアンを眩しそうに見つめ、衛兵の男はポカンと口を開けたまま固まっていた。


「……」


アドリアンの言っていることにはメーラにはまだ理解出来ない。


──だけど。


何かが分かりそうな気がして。


メーラはぎゅっとアドリアンの服を掴んだ。


「アド、もう危ないことはしないでね」


メーラの呟きが聞こえてしまったアドリアンは、フッと笑う。


「仰せのままに。我が愛しのお姫様」


そして彼女にだけ聞こえる声で囁いたのだった。




♢   ♢   ♢




駐屯所から出ると、そこには人集りができていた。


「おぉ!大魔法使い様だ!」

「街を救っていただき、ありがとうございます!」


ざわざわと人集りが騒ぎ、アドリアンは苦笑いを浮かべる。

怪我人こそ出たものの、死者は出なかったので雰囲気は明るい。

市場は全焼に近いというのに逞しい住民達だ、とアドリアンは思った。

自らの力で独立を勝ち取った街、フリードウィンド。

そこに住まう市民が逞しいのも当然か、とアドリアンは一人納得し人集りに満面の笑顔を返す。


「おい、手を振ってやったらどうだ。『大魔法使い様』」

「勿論振るさ。でも『騎士団長様』も一緒にやろう」

「ワシはいい。老いぼれだからな」

「都合のいい時だけ老人になりやがって。たまには若者を見習えよ」


アドリアンが手を上げると、住民達は一層沸き上がった。


「おい!大魔法使い様が手を!」

「大魔法使いさまぁ!こっち見てくださーい!」

「大魔法使い様万歳!フリードウィンド万歳!」


街の危機を救った英雄として住民達に持て囃されるアドリアンだが、こういうことには慣れている。

──『前の世界』で幾度となく味わったことだ。

英雄というのは……人々に希望を与える義務がある。

だからこそアドリアンは英雄として振る舞い、そして英雄として生きるのだ。


「一人で手を振るのは寂しいな。そうだ、メーラ!一緒に振ろうか!」

「えっ……えぇ!?」


急にそんなことを言われたメーラは顔を真っ赤にしてイヤッイヤッ!と首を振った。

しかしアドリアンはメーラの腕を優しく引いて振らせようとする。

自分は何もしていないのに手を振るなんて──

そうメーラは思ったが、アドリアンに掴まれている腕は振り払えなかった。


「大魔法使い様の横にいる少女は誰だ?」

「さぁ……でも、大魔法使い様が連れているくらいだから何かありそうよね」

「もしかして何処かの国のお姫様なんじゃないのか?」

「おぉ、彼は姫様の護衛なのか!?」

「二人とも素敵……」


ざわめき立つ人々を見て、メーラは困惑していた。


(アド……どうすればいいの!?)


目線でそう問うが、アドリアンは悪戯が成功した少年のような顔で笑うだけだ。


「みんなメーラのことが気になってるみたいだ。手を振ってあげれば、もっと喜んでくれると思うぜ?」


そう言って笑うアドリアンに、メーラは顔を真っ赤にしたまま小さく手を振った。

すると、群衆からは歓声が上がった。


「お姫様が手を振ってくれた!」

「なんて可愛らしいんだ!まるで天使だ……!」

「大魔法使いと天使の姫……お似合いじゃないか!」


そんな声があちこちから聞こえ、メーラはさらに顔を赤くする。

どうしていいか分からなくて、再びアドリアンに視線を送るが彼は楽しそうに笑うだけだ。


「メーラは人気者だな!これで人間の王国に行っても、きっと上手くやっていけるよ」


「そうだろ?」とアドリアンはメーラにだけ聞こえる声で囁く。

メーラはアドリアンを見上げると、彼は優しく微笑んだ。


──何故、彼がこんなことをするのかは分からない。

でも、メーラはアドリアンの微笑みと、沢山の人が自分に手を振るのを見て不思議と心が温かくなった。

この感覚は一体何なのだろうか。

答えは、出ない。


「さて、そろそろアルヴェリア王国に行くとするかのぅ」

「え?ザラコスも付いてきてくれるのか?」


ザラコスは無一文だった自分を哀れみ、名ばかりの護衛を依頼したと思っていた。

だからこそ金を手に入れた今それも破談になったとばかり思っていたのだが、どうやら違うらしい。


「言ったろう?ワシも王国に用事があるとな。それに、お主の性格じゃすぐに面倒ごとに巻き込まれそうで退屈せん」

「心配しないでくれ、ザラコス」


アドリアンは軽く笑った。


「俺には面倒ごとを解決する才能があるんだ。退屈しないどころか、楽しい旅路になることは保証してやるよ」

「おぉ、そうか。なら楽しみだのぅ」


ザラコスが大笑いし、アドリアンも笑う。

観衆に手を振りながら、三人は街の出口へと歩みを進めた。


「……」


その途中、メーラは人々を見た。

街が焼けてしまったというのに笑顔を絶やさない人々を。

きっとそれはアドリアンがいるからなのだ。

彼がいればきっと何があっても大丈夫だと皆が信じているのだ。


不意に空を見上げる。


青く広がる大空には、白い雲が悠々と流れていた。


メーラの暗く燻った心に染み込むように何処までも清々しい空だった。

そして気付く。

この街の空気が自分の心に静かに寄り添っていることに。

壊れたものの中にも希望が芽生え、傷ついた心にも温かさが宿る。


それは、まるで──


「ねぇ、アド」

「なんだい?」

「私……ここが好きになれそう」


メーラがそう言うと、アドリアンは一瞬動きを止め……そして笑った。


「──よかった」


アドリアンの安堵したような呟きが聞こえ、メーラはアドリアンを見上げる。

彼の笑みは柔らかく……そしてどこまでも優しかった。


風が吹きメーラの髪が優しく揺れる。


その風に乗って新たな冒険への期待が膨らんでいく。


青空の下、三人は街の住民達に見送られながら一歩を踏み出したのであった。


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