「いやぁ、助かったぜ!何せ有り金全部使っちまったからさ、食事する金も無かったんだ!」
アドリアンの声が食堂に響き渡る。
ここは街の大通りに面した食堂で、昼時ということもあってか多くの客が食事を楽しんでいた。
そして横にいるメーラは顔を赤くしながら俯き、呟くように言った。
「ア、アド……声が大きいよ……そんなこと大声で言うことじゃないし……」
「はは、何言ってんだメーラ!こんなきたねぇ店で声が大きいもないさ!」
恥ずかしがるメーラに、笑いながらそう叫ぶアドリアン。そしてそんな彼の言葉に『きたねぇ店で悪かったな!』と店主の声が返ってくる。
雑多な雰囲気の大衆食堂。二人はそんな場所で食事を取っていた。
そして、彼らの対面に座るのは巨大な図体のオオトカゲ……リザードマンである。
「ふむ、ふむ。いい食べっぷりだ。人間とは思えぬ豪快な食べっぷり、実に気持ちが良い」
リザードマンは食事を貪るアドリアンを見ながら、朗らかな声色でそう言った。
その声はまるで子供を……いや、孫と接するような優しさがあり、その厳めしい風貌とは対照的に何処までも穏やかであった。
──あの後。
アドリアンが一文無し宣言をした後、目をパチクリとさせるメーラの横で突然リザードマンの男が笑い出したのだ。
『わははは!なんて間抜けな奴だ!他人に施しすぎて金が尽きたとはな!』
そんなアドリアンの情けない姿を彼は大層気に入ったらしい。
大笑いするリザードマンにアドリアンは『なんだよ、アンタも施しをご所望か?』と軽い調子で言うと、リザードマンは首を横に振った。
『いや、施しなど要らん。ワシはただ、お主が気に入っただけだ』
『?』
『いいものを見せて貰った礼に、一緒に食事でもどうだ?勿論、ワシの奢りでの』
そう言って肩を叩くリザードマンに対してアドリアンは『マジで!?』と目を輝かせた。
そして、そのまま食堂へと向かい……今に至る。
「いやぁ、助かるよ!まさかこんなうまいもんがタダで食えるなんてなぁ!」
「アド……もう少し遠慮してぇ……!」
バクバクと食事を貪るアドリアンに、メーラは顔を赤くしながら呟く。
アドリアンはタダ飯だと思っているからか、大量の料理を注文し次から次へと自らの口に放り込んでいたからだ。
だが、そんな二人に対してリザードマンの男は愉快げに頷いた。
「よい。幼子が遠慮などするものではない。好きなだけ食え」
「幼子……」
メーラは自分の身体を見下ろしながら困ったような表情を浮かべる。
もう自分は14歳だ。まるきり子供……ではないと思うのだが、どうやらリザードマンからすればまだまだ子供に見えるらしい。
まぁ彼の巨体に比べればアドリアンもメーラも等しく子供のようなものなのかもしれないが。
「おい、リザードマンだぜ」
「珍しいなぁ、俺初めて見たよ」
食堂に訪れた人々は彼の異形の姿を見て口々にそう話す。
リザードマン……亜人の一種であり、人間よりも体格が遥かに大きく、その頭部は爬虫類のそれに近い。
様々な種族が集う自由の街でも、彼の姿は一際目立っていた。
「注目の的だな、爺さん」
唐突にアドリアンがそんな事を言った。
リザードマンはアドリアンの言葉にフッと笑うと、手元のコップに注がれた水を口に含む。
「若者よ、これが老練さと風格というものだ。お主もいつかこのような存在感を持つようになるといい」
アドリアンは一瞬呆けたような表情を浮かべると、すぐに『ははは!』と笑う。
「もっとも、お主のやり方では人を驚かせることが多いだろうがな」
「それも悪くないさ。驚かせて、人の心に何かを残せればそれはきっといい事だから」
アドリアンは穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
──そして、続けて小さく呟く。
「この世界でも、貴方は変わらないんだな。ザラコス……」
「ん?何か言ったか?」
「いや、アンタの尻尾があまりに格好良すぎて見惚れてただけだよ」
アドリアンはそう答えると、目の前の料理を口に運ぶ。
その瞳は何か懐かしいものを見るように、優しく細められていた。
メーラとリザードマンは首を傾げていたが、アドリアンはそれに反応せず、ただ料理を口へと運ぶ。
「しかしお主……えぇと」
「アドリアン。で、こっちがメーラだ」
「おぉ、そうか。アドリアンにメーラか。うむ、二人とも良い名だ。おっと、ワシも名乗っていなかったな。ワシはザラコス……ただの老いぼれたリザードマンだよ」
リザードマンの老人……ザラコスはうんうんと頷くと、改めて二人に向き直る。
「アドリアンにメーラよ。お主らは旅をしているのか?」
「あぁ。旅なんて大層なもんじゃないけどな。荷物運びの仕事ついでに、世界を回ってるって感じだ」
逃げるようにして孤児院の街を飛び出してきたメーラに帰るところはない。
アドリアンも似たようなもので、今の二人は根無し草のような立場である。
とは言ってもシャヘライトを運んだ報酬と、アデムの依頼の前金で資金には余裕があった……。
のだが、アドリアンが投げ捨てるようにして他人に与えてしまったため所持金は皆無である。
ザラコスがこうして食事を奢ってくれなければ今頃お腹を空かせていただろう。
「アド、これからどうするの……?お金なくなっちゃったけど」
「なぁに、なんとかなるさ」
「ならなかったら?」
「そりゃ、二人で歌でも歌って稼ぐしかないな!あはは!」
アドリアンはそう言って快活に笑う。
そんな彼の姿を見て、メーラは真顔のまま『うぅ……』と息を漏らした。
「アド……それって結構深刻じゃない?」
「まぁなんとかなるって!」
能天気に笑うアドリアン。そしてそれを呆れたように見るメーラ。
そんな二人に対してザラコスは遠くを見るように目を細めると、懐かしそうに呟いた。
「ふむ……ワシも若い頃は旅をしたものだ」
「へぇ。アンタも旅を?」
「あぁ。色んな街を見て、沢山の仲間と出会い……そして別れる。あれは良いものだよ」
彼は遠い過去を思い返すようにしながら呟く。その横顔はどこか寂しげに見えた。
しかしそれも一瞬、すぐに柔和な笑みを浮かべると口を開く。
「それで?次は何処に行くんだね?」
「あぁ、アルヴェリア王国だよ。荷物を運ばなきゃならないんだ」
アルヴェリア王国。
その単語を聞いた瞬間、ザラコスの目の色が変わった。
「アルヴェリア王国?しかし、あの国は……」
彼はそう呟くと、何かを考えるように顎に手を当てる。
そしてメーラの額にあるツノを一瞥すると、小さく呟いた。
「あの国は他種族……特に魔族を迫害し、奴隷として扱っている国だ。魔族にとってはあまり心地良い場所とは言えないだろう。彼女は連れてかない方がいいのではないかね」
どうやら彼はメーラのことを心配してくれているらしい。
外見は荒々しい雰囲気のザラコスだが、その心根は優しく、そして思慮深いようだ。
アドリアンは彼の言葉に頷きつつも、メーラの頭に手をポンと置く。
「そうだな。確かに魔族のメーラにとっちゃ辛い場所かもしれない」
「……」
ザラコスからアルヴェリア王国のことを聞き、俯いて震えるメーラ。
アドリアンは彼女の頭を撫でながら、優しく微笑んだ。
「だけどさ、俺はメーラにこの世界の全てを見せてあげたいんだ。綺麗なところも、汚いところも、全部。だから俺はアルヴェリア王国に行くよ」
そして彼はメーラの瞳を覗き込んだ。漆黒の瞳が真っ直ぐに彼女を見つめている。
アドリアンの瞳に吸い込まれそうになりながらも、メーラは意を決したように口を開く。
「わ、私は……アドの行く場所に付いていきたい。それがどんな場所でも、アドが行くなら私も行く……!」
アドリアンに付いて行く。主体性のないような言葉だが、その瞳には確かな意志があった。
ザラコスは見つめ合う二人を眩しそうに見つめると、やがて静かに頷いた。
「そうか。いや、老人が出しゃばったことを言ってしまったな」
「はは、出しゃばるのがお年寄りの役割だろ?あと、説教じみた言葉をぶっかけるのもな」
「ほう?生意気な若造よの……だが、それがお主の良いところなのだろうな」
アドリアンの軽口に、ザラコスは愉快そうに笑う。
和やかな雰囲気が漂う中で、アドリアンはおもむろにメーラの額に手を添えながら呟いた。
「それにさ。こういうことも出来るんだ」
アドリアンはゆっくりと、何かを念じるようにメーラの額のツノに手を翳す。
掌からは淡い魔力の光が浮かび上がり、幻想的な光景を演出している。
「ア、アド?」
いきなりツノに手を翳されたメーラは困惑しながらも、アドリアンを見上げる。
すると次の瞬間、メーラのツノが淡い光に包まれたかと思うと……徐々に姿を消していき、ついには無くなってしまった。
「えっ?」
メーラは唖然として、自分の額をペタペタと触る。
ツノが、確かに消えた。
まるで最初から無かったかのように、そこに何も存在していなかった。
「なんと。変身魔法か……!」
変身魔法。非常に高度な魔法で、使い手はかなり限られている。
ザラコスは驚いたように目を大きく開くと、アドリアンを見つめた。
「まぁ、幻術みたいなもんで本当に無くなったわけじゃないんだけどさ。俺の魔力が続く限りは他人からは普通の人間に見えるはずだ」
アドリアンが持つ加護の一つ『魔力炉心』。
この加護は所有者の魔力を高速回復させるという能力があり、実質的にアドリアンは無尽蔵の魔力を持つことになる。
如何なる大魔法を連発しようとも、彼の身体には世界から魔力が供給され続けるのだ。
──そして、アドリアンは人類が知り得る全ての魔法を習得している。
子供が使う児戯の如き魔法から、大魔術師が扱うような魔法まで……その全てを。
故に、彼が『変身魔法』を使えない道理はない。
「ツノが……ない」
メーラは驚愕していた。
あれほど忌み嫌っていた自分のツノが無くなったからだ。アドリアンが言うには本当に無くなったわけではないようだが、それでも彼女は嬉しかった。
メーラにとってツノは、自分の人生を絶望に陥れた原因だ。このツノが無ければ……そう考えたことは一度や二度ではない。
それをこうして簡単に見えなくしてくれたのだ。メーラはそのことに深く感動していた。
──しかし、こうも思った。
こんなことができるのであれば、最初から……それこそ孤児院にいた頃からこの魔法をかけてくれればよかったのに、と。
彼女は大きな疑問と小さな抗議を込めた視線をアドリアンに送る。
そんなメーラの表情を汲み取ったのか、彼は哀しげに笑った。
「本当は使いたくなかったんだ。本当の自分を隠すだなんて、そんなの気分悪いだろ?」
アドリアンの脳裏にはかつての世界で堂々とツノを晒す魔族の姿が浮かんでいた。
残忍な魔族もいたし、人の心を持たぬ悪魔のような魔族もいたし、殺し合いを忌避する優しい魔族もいた。
だが、彼らに共通するのはツノを誇りに思っていたという点だ。
アドリアンは、そんな彼らの在り方を美しいと思っていた。敵でありながらも、どこか憧憬を抱いていたのだ。
だけど。
その美しさがこの世界では生き辛いものであることをアドリアンは理解していた。
だからこそアドリアンはメーラに変身魔法をかけたのだ。
「最初は少しずつでいいんだ。少しずつ、この世界を見よう。そしていつか、ツノを隠さなくても大丈夫だってメーラが思った時は……その時は変身魔法を解除するよ」
「……うん」
メーラは小さく頷く。アドリアンはそんな彼女の頭を優しく撫でると気持ち良さそうに目を瞑った。
ザラコスはそんな二人を微笑ましそうに見ながら、水を飲み干すと口を開く。
「ところでアドリアンよ。お主、もう金が無いのだろう?どうやって王国まで行くつもりだ?」
「そうなんだよな、旅をするにも金が必要だしなぁ。いっそのことこのきたねぇ店で皿洗いでもすっかなぁ」
アドリアンがそう言うと厨房の奥から『テメェなんか雇わねぇよ!きたねぇきたねぇうるせぇな!』と店主の怒声が聞こえてきた。
その様子にザラコスはカラカラと笑うと、アドリアンに向かって言った。
「ならば、ワシの護衛をしてくれんか?報酬は前金で出そう」
「へ?護衛?」
アドリアンとメーラは目をパチクリとさせる。
目の前のリザードマンは見るからに強靭な体躯で、歴戦の強者を思わせる佇まいだ。
そんな彼に護衛が必要なのだろうか……?
「実はワシはイイトコのお坊ちゃんでのぅ。お忍びでこうして世界を旅しているのだよ」
「ただの老いぼれたリザードマンって言ってなかったか?」
「そうとも。ただの老いぼれたお坊ちゃんリザードマンだ。だから、よく不届き者に誘拐されそうになるのだよ」
「誘拐、ねぇ……」
老いているとはいえ、戦士階級の巨大なリザードマンを誘拐出来る存在がいるとすれば巨人か、あるいは竜くらいなものだ。
無論それは彼の冗談だとすぐに分かった。それと同時に、この老人は自分達に慈悲をかけているのだと悟った。
護衛と称して、アドリアンに金を稼がせる。そういう魂胆だろう。
「実はワシも王国に用事があってなぁ。お主のような強力な魔法使いが一緒に旅をしてくれるならば心強いのだ。どうだ、引き受けてはくれないか?」
ザラコスの真っ直ぐな瞳に見つめられると、アドリアンはフッと笑った。
「いいよ、引き受けよう」
「おぉ、引き受けてくれるか。ありがたい!」
こうして彼が気を利かしてくれたのだ。
ならば、自分はその厚意をありがたく受け取るだけである。
アドリアンにとって施しとは与えるものであると同時に、受け取るものでもあるのだ。
「さて、では少し準備をしてからこの街を発とうか……王国まで少し距離があるからのう」
ザラコスがそう言って尻尾を揺らしながら席を立った。
──その瞬間である。
ドンッと店の外の方から轟音と衝撃が鳴り響いた。
「なんだ!?」
その衝撃は街に響き渡るほどのもので、店内のテーブルや椅子がガタンガタンと揺れる。
そして、それと時を同じくして外から人々の悲鳴や叫び声が響いてきた。
「……っ!?」
騒ぎ出す客に混じって、アドリアン達は慌てて店外に飛び出すと、辺りを見渡す。
すると、市場の辺りからは煙のようなものが上がっているのが見えた。
「か、火事か……!?」
「いや、これは……」
店主や客たちに混じって、アドリアンが険しい目をしながら呟く。
そう、これは。
「戦いの音だ」
アドリアンがそう呟いた瞬間。
凄まじい轟音と共に、市場の中央から巨大な火柱が上がった。