「ほら、たんと食べな!」
「わぁ……」
メーラの前には、ドワーフの料理が並んでいた。
孤児院の質素な食事と違い、山盛りに盛られた料理にメーラが目を輝かせる。
「い、いいんですか……?」
「子供が遠慮なんかするんじゃないよ。特にアンタは小さいから沢山食べて大きくならないと!」
バシン、とメーラの背中を叩くのはライラだ。
彼女は幼子のような身体で豪快に笑い、メーラの頭を撫でる。
「ライラの方が小さいけどな」
横にいたアドリアンがそう呟くと、ライラは鋭い視線で彼を睨んだ。
「今なんか言った?」
「なーんにも」
アドリアンは肩を竦めて目を逸らす。
つい言わなくていい事を言ってしまうのが彼の悪い癖だ。
若い頃はそこまででもなかったが、歳を取るにつれその傾向が顕著になってしまったのだ。
「アンタ、前より性格悪くなってないかい?前見た時は純真無垢で馬鹿な男だったってのに」
「馬鹿は関係ないよな?喧嘩売ってんのか?」
外見こそ若い姿であるが、彼の精神は老齢のアドリアンである。
前の世界で90年も生きたのだから、性格もそれなりに捻じ曲がるというものだ。
「おいライラ。人間ってのはちょっと見ねぇ内に成長するもんだ。俺らドワーフと一緒にしちゃいけねぇ」
そう言って酒を煽るアデム。
彼は巨体を揺らし、上機嫌な様子でアドリアンの肩を叩く。
アルコールの匂いがアドリアンの鼻腔に充満し、彼は顔を顰めた。
だがそんなアドリアンにお構いなしに、アデムは話を続ける。
「さっきだって酒場にいた飲んだくれのクズ共を、あっという間にのしちまったんだからなぁ!?おいおい、テメェいつの間にそんな強くなりやがった!」
アデムは先程の酒場で見たアドリアンの強さに興奮しているようだった。
無理もないだろう、以前は荒くれ者たちにボコボコにされていた人間の優男が今度はその荒くれ者を圧倒的な力で叩きのめしたのだ。
ドワーフは強い者を好む。戦士として、武器職人として、力や技術に対する憧れがドワーフという種族にはあるのだ。
だからこそ、素晴らしい光景を見せてくれたアドリアンをアデムは夕食に誘った。
アドリアンと肩を組んで帰宅するアデムを見て、ライラは首を傾げて訝しんでいたが。
「さっきの連中……?あぁ、あの手応えが最高だったチンピラ共か。まるで特訓用のサンドバッグが口をきいてくれるみたいで楽しい時間だったな」
アドリアンの言葉にアデムは一瞬ポカンとした表情を浮かべた後、豪快に笑い始めた。
「ガハハッ!何があったか知らねぇが、前のテメェより今のテメェの方が俺は好きだぜ!」
バシバシとアドリアンの肩を叩くアデムだが、それとは対照的にメーラは今のアドリアンの台詞を聞き、まるで信じられない言葉を聞いたかのよう表情で彼を見つめた。
「えっ……?ア、アド……?」
「っ!」
メーラの呆然とした表情を見てアドリアンはしまった!と自らの失態を悟る。
この世界のアドリアンは荒事とは無縁の男で、誰に対しても真摯に、そして紳士的な男であった。
それがあのチンピラ相手に喧嘩を吹っ掛けた挙句、まるで自分の力を見せつけるかのように悪態をつくなど……以前のアドリアンを知る者が聞けば驚くのも当然だろう。
「い、いや違うんだメーラ!俺はただ、アデムのおっさんが暴漢達に襲われているのを見かけてね?颯爽と助けに入ったってわけさ!その結果怪我人を出してしまったけど……くぅ~、俺だって本当は暴力なんて振るいたくなかったけど人助けだから仕方なく……」
メーラを怖がらせてしまったかと焦ったアドリアンは咄嗟にそんな事を言ってしまう。
「はぁ?何言ってんだアドリアン。絡んできた奴らを逆に挑発し返して、笑いながらボッコボコにしてたじゃねぇか。いやぁ、爽快だったぜ!チンピラ以上に凶暴なテメェの姿を見て、俺も思わず笑っち……ひっ!?」
アデムの言葉は最後まで紡がれることはなかった。何故ならアドリアンが殺気の籠った視線をぶつけてきたからだ。
アデムは情けない声を上げ、酔っていたにも関わらず酔いが一瞬で醒めたようだった。
そして彼は自分が何を言うべきか理解した。
「そ、そうだったな。俺が絡まれているところを、テメェが助けてくれたんだった……いやぁ、飲みすぎて記憶が曖昧になってたぜ!ガハ……ガハハハッ……」
アデムはわざとらしい笑い声を上げながら、その場を誤魔化した。メーラとライラは彼の様子に首を傾げていたが、その内に納得したらしい。
メーラは安堵したようにホッと息を吐き、にこりと微笑んだ。
「そうだよね。アドがそんな酷いことするわけないもんね」
「……あぁ、もちろんさ!」
山で暴漢に襲われた時はメーラを助けるために力を振るい、オオカミに襲われた時は正当防衛なのだ。
アドリアンが理由無く誰かを傷つける事など、絶対にありえないと彼女は信じているのだ。
彼女の前でにこりと微笑むアドリアンは、慈愛に充ちた表情をしている。
それを見て、メーラも安堵したように笑い返した。
「……なーんか変だね?」
ライラが零した呟きは誰の耳にも届くことなく消えていったのだった。
♢ ♢ ♢
「じゃあアドリアン、頼んだぜ」
「あぁ、任せな。ちゃんと送り届けるからさ」
──翌日。
工房の二階にあるアデムたちの住居に一泊したアドリアンとメーラは、朝一番で工房を後にしようとしていた。
アドリアンの手には小さな小包がある。
昨日の夕食時に、アドリアンはアデムから仕事の依頼を受けたのだ。
『アドリアン、テメェの強さを見込んで一つ頼みがあるんだが……』
『頼み?』
『王国に行って、この小包をとある貴族に渡して欲しいんだ』
そう言ってアデムは小さな小包をアドリアンに手渡す。
小包は小さく、片手で簡単に持てるサイズだ。重さも全くなく、本当にこれを運ぶだけの仕事のようだ。
『これを王国の貴族に?一体誰に渡すんだ?』
『まぁ王国ではかなり名の知れたお貴族様らしい』
アデムは酒の入ったジョッキを傾けながらそう答えた。どうやら依頼主は相当に位の高い貴族らしい。
アドリアンは訝しげにその小包を見つめる。
──アルヴェリア王国。
人間を主種族とするその国家は、このフリードウインドの街と比べ物にならないくらいの規模を誇る大国である。
『アデムのおっさん、王国の貴族に伝手なんてあったのか?』
『詳しくは俺も知らねぇよ。俺も街の組合から委託されただけだからな』
アデムはそう答えて、残った酒を飲み干した。
『中身は?』
『そこまで言えるか。テメェは運び屋なんだからただ黙って運んでくれりゃあいいんだ』
『それもそうだな』
アドリアンとて別に中身に興味はない。どうせ目的もないのだから、この小包を王国まで運ぶことに異論はなかった。
『報酬は弾むぜ?何せお貴族様だ。事前にたんまりと金を渡してくれたからな!がはは!』
……というのが、昨晩の経緯である。
アドリアンは受け取った小包を鞄に詰め込んで、メーラと共に工房を後にした。
「ねぇアド。人間の国に行くの?」
「あぁ、そうだよ」
二人で街中を歩いていると、不意にメーラがそんなことを聞いてきた。
「不安かい?」
アドリアンにはメーラが何故そんな表情を浮かべているのか分かっていた。
メーラがいた孤児院は殆ど人間しかいない街だ。そこで彼女は人間に迫害され、酷い目に遭ってきた。
だからこそ、人間しかいない国に行く事に不安を覚えるのだろう。
「ううん、大丈夫。アドが一緒なら平気だよ」
そう言って微笑むメーラ。しかしその表情は僅かに暗い。
メーラはアドリアン以外の人間が苦手だ。人間から受けた仕打ちが原因で、どうしても身体が強ばってしまう。
だがそれでも彼女はアドリアンに心配をかけまいと、気丈に振る舞っていた。
「大丈夫だよ、メーラ。人間だって嫌な奴は沢山いるけど、それと同じくらい良い奴だっているんだから」
「うん……」
アドリアンがそう言ってメーラの頭をポン、と撫でる。彼女は少しくすぐったそうに目を細めた。
無論こんな言葉だけで彼女の不安が拭えるなどとはアドリアンも思ってはいない。
だがそれでも……少しでも彼女の心の支えになればと彼はそう言葉をかけるのだ。
「それに俺はメーラの勇者様だからな。お姫様を悲しませることはさせないから安心しろ」
「もうその話忘れてよ!」
アドリアンがウインクしながらそう言うと、メーラは恥ずかしそうに唇を尖らすのだった。
そうして二人は、フリードウインドの賑やかな市場を歩いていた。アドリアンの目的は王国への旅に必要な物資を揃えることだ。
市場は活気に満ち、様々な店が立ち並んでいる。色とりどりの果物や野菜、手作りの工芸品や布地が並び、買い物客で賑わっている。
「アド、この果物見たことないよ。何て言うのかな?」
メーラは目を輝かせながら、見慣れない果物を指差した。アドリアンはそれを一つ手に取って太陽に翳す。
「これは『ルナベリー』だ。夜になると青く光るんだよ。甘酸っぱくて美味しいし、旅の途中で食べるにはぴったりだな」
青く、そして光ると言う果物をメーラは興味深そうに見つめる。
そんな物欲しげな目をするメーラに、露店の男はニコニコと笑いかけた。
「嬢ちゃん、一つ買っていくかい?安くしとくよ」
露店の男はそう言ってルナベリーを一つ手に取りメーラに差し出した。彼女はちらりとアドリアンを横目で見る。
「アデムのおっさんから前金も貰ったし、買ってこうか!おっちゃん、そのルナベリー何個かくれ!」
「はいよ!まいど!」
メーラは青く光る果物を嬉しそうに受け取り、カバンにしまった。
やはり彼女も年頃の少女なのだ。甘味の魅力に抗えないらしい。
──その時であった。
「この役立たずめ!荷物を持つくらいできないのか!」
響き渡るような怒声が大通りに響いた。市場の喧騒の中でもはっきりと聞き取れるその声の主は、身なりの整った小太りの男性だった。
彼の所有物であろう奴隷が重そうな荷物を地面に落としてしまったようだ。
「うっ……」
荷物を落としたエルフの男がその場に蹲る。しかし主人である男性は彼を足蹴にし、罵り始めた。
「エルフの分際で私に逆らうのか!?この卑しい奴隷共が!さっさと荷物を持て!」
「申し訳ございません、ご主人様……」
「口答えをするなぁ!」
主人の男は奴隷を容赦なく蹴りつけ始める。メーラはその光景を見て、唇を噛み締めながら顔を背けた。
まるで物のように扱われ、暴力を受ける奴隷。
あれは過去の自分だ。メーラの脳裏には、かつて受けた仕打ちが鮮明に蘇った。
だから見たくなかった。この世界が如何に過酷かを、彼女は知っているから。
そんな彼女にアドリアンは優しく声をかけた。
「メーラ」
「?」
「勇者様ってのはな。お姫様だけじゃなく……みんなを笑顔にするのが使命なんだ」
唐突にアドリアンがそんなことを言った。
彼はメーラの目を真っ直ぐ見つめながら、言葉を続ける。
その瞳はとても澄んでいて、まるでメーラの心を見透かしているかのようだ。
「だから目を背けずに、これから俺がすることをよく見ておくんだよ」
「これから……すること?」
アドリアンはメーラの問いかけには答えず、蹲っているエルフの奴隷に向かって歩き始める。
そして彼は奴隷の男に手を差し伸べるのだった。
「大丈夫かい?荷物なら俺が持つよ」
市場の喧騒が一瞬静まり返り、注目が彼に集まる。
主人に折檻を受けている最中の奴隷に手を差し伸べるアドリアンを、周囲の者は奇異と好奇の目で見た。
市場が僅かにざわめく。
「なんだ貴様は?私の奴隷に気安く触れるな!」
主人はアドリアンを睨みつけるが、彼はそれに全く怯まずに涼しい表情をしていた。
そして、にこりと笑うとこう言った。
「俺って偽善者だからさ。目に映る可哀想な光景を見て見ぬ振りが出来ないんだよな」
アドリアンの掌が煌めいた。魔力が彼の身体から迸り、周囲に可視化された。
風を伴うその魔力は、まるでアドリアンの感情に呼応するかのように吹き荒れる。
「だから俺の目の前で誰かを虐げる奴を見ると……なんていうかさ、空気の読める人間にしてあげたくなるんだ。おっさん、アンタ空の散歩は好きか?」
「──は?」
ゴゥッとアドリアンの掌から暴風が巻き起こった。
まるで竜巻のようなその風は、主人の男を空高く巻き上げる
「おあぁぁぁぁぁ────ッ!?」
男の絶叫が市場に響き渡った。
メーラも、奴隷のエルフも、周囲の人間も……その場にいた誰もが呆然とした表情で空高く舞い上がった男を見上げていた。