月明りに照らされた街道を進む2つの影。
人間の青年アドリアンと、魔族の少女メーラである。
荷車の車輪がガラガラと音を立てる中、不意にメーラがアドリアンに尋ねた。
「そういえば、アド。この荷車に積まれている石みたいなのはなに?」
「ん?あぁ、これか」
アドリアンは荷車からひょいと鉱石をひとつ取り出し、メーラに見せるようにして掲げる。
薄く光っている黒い石はどことなく神秘的な雰囲気を醸し出し、メーラの目を惹きつけた。
「これはな、『シャヘライト』と言うんじゃ」
「しゃへらいと?」
そう言えば、先程の暴漢達も言っていたような……。
メーラが首を傾げているとアドリアンはシャヘライトについて説明を始めた。
「魔力が宿った鉱石、シャヘライト。この魔法の石の中には膨大な魔力が詰まっておる」
アドリアンの言葉に共鳴するように、シャヘライトは微弱ながらも光っていた。
「その魔力の含有量によってシャヘライト自体の価値が決まる。小指の先ほどの小さな欠片でも町を1つ買い取れる価値を持つものも中にはあるのう」
「そ、そんなすごい石なの!?」
「この荷車に積んであるシャヘライトはそこまで高価ではないけどな」
シャヘライトの価値に驚いたメーラは目を丸くしてアドリアンを見る。
こんな小さな石にそんな価値が?俄かには信じがたいが、アドリアンが言うのならばそうなのだろう。
「シャヘライトには様々な用途がある。武器の素材として使ったり、魔法道具のエネルギー源として使ったりな。だが、その真の価値は……」
アドリアンの瞳にシャヘライトの輝きが映り込む。
そして不意に、彼の脳裏には前の世界……セフィリス世界で見た光景が浮かんだ。
──魔族が、自らのツノを介してシャヘライトから魔力を供給している光景。
戦場で嫌というほど見たその光景は、アドリアンの鼓動を高鳴らせた。
魔力を一瞬にして補充する魔法の鉱石シャヘライト……前の世界では魔族がシャヘライトを独占し、それをエネルギー源に利用していた。
膨大な魔力を蓄えることが可能な魔族は、呟き一つで世界の理を歪める魔法を行使し、その爪の一薙ぎで万物を両断する圧倒的上位者であった。
魔族にとってシャヘライトとは単なる魔法の石などではなく、まさに生命線とも言えるべき代物なのだ。
しかしこの世界の魔族はシャヘライトの独占に失敗したらしい。
他種族から迫害され、奴隷のように扱われる哀れな存在……それが、この世界の魔族だ。
「……」
アドリアンは横にいる魔族の少女、メーラを見る。
彼女の額からは小さなツノが生えており、それこそが彼女が魔族だという証左だった。
もし、メーラがシャヘライトの力を真に理解し、魔力を取り込んだならば……前の世界の魔族のように強大な力を振るうことが出来るだろう。
そうなった時、彼女は──
「どうしたの?アド」
視線に気づいたメーラが首を傾げる。
彼女の言葉にアドリアンはハッと我に返ると微笑んだ。
「いや、すまんすまん。ちとシャヘライトの光に見とれておった。年寄りは物思いにふけりやすくての」
「年寄りって……まだ18歳でしょ、アド」
「え?あ、あぁ、そうだった!つい俺がまだ若いってことを忘れてた!わはは……」
「忘れるわけ無いでしょ……」
思わずツッコミを入れてしまうメーラ。
アドリアンは「あちゃー」と自分の額をぺちっと叩いた後、シャヘライトを荷車の中に戻した。
「アド……なんか喋り方変になってるけど大丈夫?もしかして岩に当たった影響で……」
ギクリ、とアドリアンの身体が硬直する。
しまった。無意識に前の世界の口調が出てしまっていたようだ。
何しろ90歳以上生きた精神だ。肉体年齢が18歳なだけで、その口調は老人のそれに近かった。
このままではメーラに不審を抱かせてしまう。なんとかこの世界のアドリアンの口調に戻すべく、必死で頭を捻った。
「い、いやぁ!たまには落ち着いた口調にしてみたいと思ってさぁ!メーラもそう思うだろ?」
「……お爺ちゃんみたいな話し方は似合わないよ。いつものアドの方が私は好き」
「そ、そうかぁ!ならそうしよう!」
メーラの言葉にホッと胸をなで下ろすアドリアン。
なんとか誤魔化せた……ような気がしないでもない。しかし口調を若い頃に戻すと言うのは中々に難しいものだ。
「(若い頃はどんな口調で話していたっけな……)」
アドリアンは記憶の糸を手繰り寄せ、自分の口調を思い出そうとしていると……。
「ん?」
ふと、アドリアンは前方から何かを感じ取っていた。
それはアドリアンからすれば微弱な気配で、メーラもどうやら気づいていないらしい。
アドリアンはさりげなくメーラを後ろへと下がらせた。
「アド?」
「しー……」
前方から漂う気配に耳を澄ませていると……それは姿を現した。
ギャウギャウと鳴きながら姿を見せたのは、3匹の魔物だった。
灰色の体毛に鋭い爪や牙を光らせた肉食獣のような姿をしたその魔物は、まさに血肉を喰らう獰猛な生物である。
「おぉ、こんなところに犬が……」
「オ、オオカミの魔獣だよ!アド、逃げよう!」
アドリアンが暢気に犬呼ばわりするがメーラが慌てて叫ぶ。
そんなメーラを宥めながら、アドリアンはそのオオカミ達を見る。
「うーん、こんな街道近くに魔獣が出るなんて妙だな。シャヘライトの気配を感じて寄ってきたか?」
「アド!そんな悠長な事言ってないで逃げようよ!」
「まぁ待て。犬相手じゃ逃げてもすぐ追いつかれるだろうから、ここで何とかした方がいい」
「だから犬じゃないよ!」
アドリアンはシャヘライトを積んだ荷車から離れると、オオカミ達の前に立ちふさがる。
それを見た3匹の魔獣達は牙を剥き出しにして唸り声を上げ始めた。
「グゥルルルル……」
「ガァウ!ガウガウ!」
3匹の魔獣達は威嚇するように唸り声を上げるが、アドリアンは余裕綽々といった様子でその唸り声を聞いている。
「こいつらを見てると前の世界で飼ってた犬を思い出すなぁ。よくこうやって吠えてたっけな!」
こんな時に何を言って……!とメーラが思っていると、遂にアドリアンに3匹の魔獣達が容赦なく襲い掛かる。
鋭い牙を光らせながら跳びかかってきた魔獣。
しかし──。
「ほいっ」
ギャウン!と1匹のオオカミが悲鳴を上げて吹き飛んだ。
見ればそのオオカミはアドリアンのデコピン一発で吹き飛ばされたではないか。
「ほーら」
続けて2匹目のオオカミも蹴り飛ばされ、地面をバウンドしながら転がっていく。
メーラは唖然とした表情でアドリアンと吹き飛ばされたオオカミ達を見ていた。
何が起こっているんだろう。メーラがそう思っていると、アドリアンが「はぁ」と溜め息を吐きながらまるで何かを思い出すかのように語り始めた。
「俺、犬好きなんだけど懐かれないんだよなぁ。俺の顔を見たらすぐ吠えるし、触ろうとすると噛みつくし……」
「ガゥウ!」
「あ、でも1匹だけ懐いてくれた犬がいたな。俺が餌をやろうと思っても警戒して寄ってこないんだけど、ちょっと離れたところからパンの耳を落としてやると、匂いを嗅ぎながら擦り寄ってくるんだよ。ほんと可愛くてさぁ」
アドリアンははにかむような笑みを浮かべ、メーラを見る。
最早魔獣のことなど眼中にないらしい。メーラはそんなアドリアンを見て、思わず息を呑んでしまった。
何度も向かってくる魔獣を巧みにあしらい、撃退してしまう。
まるで子どものような無邪気さと老練な戦士の佇まいを同居させるアドリアンにメーラが呆然としていると、唐突に戦いは終わった。
「キャウン……」
ボロボロになった魔獣は情けない声を上げながら、1匹また1匹と森の奥へと逃げ去っていく。
尻尾を巻いて逃げるとはまさにこのことだろうか。アドリアンはそれを寂しそうに見送って呟いた。
「どうして動物に好かれないのかなぁ。俺ってそんなに怖い顔してるのかな?」
普通ならば命の危機に晒される場面だと言うのに、アドリアンは雑談をするような軽い調子でそんな事を呟く。
「……」
目を見開きながらアドリアンを見ていたメーラであったが、不意にクスリと笑った。
「……おい、俺の顔見て笑うんじゃない」
「ふふ……いや、アドは昔から変わってないなって」
アドリアンが加護持ちだったとは知らなかったし、こんなに強いとは知らなかった。
先の戦い……暴漢達を吹き飛ばしたアドリアンを前にした時、メーラは一瞬彼が別人のように見えた。
だけど……目の前にいるのは自分がよく知るアドリアンだ。
誰にでも優しく、手を差し伸べる青年。
動物にも、そして魔族にも……。
そう思うとメーラの心に温かいものが流れてくる。
「そりゃ俺は変わらないさ。昔から『勇者さま』って呼ばれてたからな」
そう言ってニヒルに笑うアドリアン。それを聞いたメーラは顔をカーッと赤くしてアドリアンに食ってかかった。
「そ、それって昔のおままごとのことでしょ!?なんでそんな昔のこと覚えてるの!?」
幼い頃、アドリアンとメーラは孤児院で一緒に過ごすことが多かった。
その時のおままごとでメーラはアドリアンのことを『勇者さま』と、アドリアンはメーラのことを『姫さま』と呼んでいたのだ。
そんな恥ずかしい思い出をまだ覚えているとは……。
「メーラは俺の中ではまだお姫さまだからなぁ」
「もうっ!私はそんなんじゃないから!」
2人の会話は和やかなものとなり、荷車を引く音が静かに響いていた。
そうしてアドリアンとメーラは、昔懐かしい余韻に浸りながら街道を歩き始める。
夜が更けるにつれて、辺りは静けさを増し、星々が今まで以上に輝き出した。
「さて、今日はここで休もうか」
「え?ここで?」
「次の街まで結構距離があるし、メーラも疲れただろ?歩きっぱなしだったからな」
思い返してみれば今日は激動の一日だった。
暴漢に絡まれたと思ったら、アドリアンと一緒に街を飛び出して、岩にも蛇にも人間にも襲われて、最後にオオカミの魔獣にまで襲われて散々な目に合った。
慣れない山道と、歩き通しだったことで疲労が溜まっているのは確かだ。
「気配ももうしないから、大丈夫さ。元々ここは安全な街道だからな……」
「?」
アドリアンは荷車を街道の横道に置いて、焚き火の準備を始めた。
メーラも薪になりそうなものを集めてくるとそれを手伝う。
やがてパチパチと炎が音を立てて燃え始めると、アドリアンとメーラは焚き火の前に座り込み、暖を取り始めた。
「どうぞ、お姫様。パンでございます」
「やめてよ!もう……」
アドリアンは懐から取り出したパンを半分にちぎり、片方をメーラに渡す。
2人は焚き火の前でそれを口にすると、ホッと一息ついた。
「ねぇアド」
不意に。メーラがアドリアンに呼びかける。
「アドは昔からこうして一人でシャヘライトを運んでたの?」
「あぁ、そうだよ。一人きりになってからはずっとな」
一人きり。
そうだ、アドリアンも自分と同じく両親を失くし、一人で生きていくしかなかったのだ。
「アドは、寂しくなかったの?」
メーラの問いに、アドリアンはパンを頬張りながら空を見上げる。
「そりゃ寂しいさ」
「え……?」
「メーラ。人ってのはな、一人じゃ生きていけない生き物なんだ。誰かと一緒に飯を食ったり、会話したり……。そうでなきゃ、いつか崩れちまう」
アドリアンは空に向かって手を伸ばす。まるで星を掴もうとするかのように……。
メーラはアドリアンのその横顔を見てドキリとする。
彼の瞳には星が映っていた。
それはまるで、今ではなく、遠い過去を見ているような……そんな瞳だった。
「だから、俺はみんなが寂しいと思わないような世界を作りたいんだ。誰かが悲しまない世界……魔族も人間も関係ない。みんなが笑って暮らせるような世界を……」
アドリアンはメーラに向かって微笑んでみせる。
その笑みにメーラは言葉を失った。
アドリアンの願いはとても大きく、そしてとても優しいものだ。しかしそれはあまりにも難しい。
それを事もなげに言ってみせるアドリアンにメーラは息を呑むことしか出来なかった。
「まぁ、とりあえずこのシャヘライトを届けるのが先決だけどな」
そう言ってアドリアンは再びパンを齧り始める。
そんなアドリアンを見ながら、メーラは自分の中に芽生えた感情がなんなのかと考えていた。
それが何なのか……まだ彼女には分からなかったが、いずれ分かる日が来るのかもしれない。
「……」
その内にメーラは自身の眠気に誘われ、静かに瞳を閉じていった。
あどけない顔で眠るメーラを、アドリアンは優しい眼差しで見つめる。
「おやすみ、メーラ」
アドリアンはメーラに毛布をかけ、その頭を優しく撫でる。
そうしてメーラが寝静まったのを確認すると、彼女を起こさないように立ち上がり、荷車からシャヘライトを取り出すとそれを天に掲げた。
「シャヘライト……使い道一つで、人を幸せにすることも、不幸にすることもできる鉱石……」
この世界のアドリアンの記憶を、今のアドリアンも持っている。
だからこそ、メーラとの思い出も知っていたし、そしてこのクルファスという世界で、シャヘライトがどのようにして使われてきたかを知っている。
前の世界では魔族がシャヘライトを独占し世界を恐怖の渦に陥れた。
しかし、この世界ではドワーフがシャヘライトを発見し、そしてそれを巡って世界中の国々が終わらぬ戦争を続けている。
「結局、魔族がシャヘライトを独占しなくても争いは起こるんだな」
アドリアンは星空を見上げながら、力なく笑った。
シャヘライトは素晴らしい鉱石だ。しかしその力に魅了された者は争いを引き起こしてしまう。
それはこの世界でも変わらないのだ……。
「……」
アドリアンはシャヘライトを荷車に戻すと、毛布にくるまって眠るメーラを見る。
そして、そっと呟いた。
「どうやら、世界はまだワシに働けと言っているようじゃのぅ。人使いが荒いのは、前の世界もこの世界も変わらんな……」
満天の星空の下で、英雄の寂しげな声が響いたのだった。