「……ん? なんで俺そっくりなやつがいるんだ?」
暗さに目が慣れて、中の様子に気付いた隼人が眉をひそめる。
そんな隼人の前、もう1人の隼人――詞為主が身を起こして隼人を見た。
『そっくり? そうか、おまえがわが巫女の言う『安倍』とやらか。
この姿はわが巫女が与えてくれたものだ』
「わが巫女?」
視線を彼の下に横たわった未来へ移す。未来には意識があり、隼人が現れたことを理解していて、泣いているようだった。
隼人は眉をしかめ、不愉快だと詞為主を見返す。
「俺の姿で気持ち悪いこと言ってんじゃねえ。そいつは未来だ。返してもらうぞ」
隼人の中で気が膨れ上がるのを視て、詞為主が未来へと視線を移す。
『ここで待っているがいい、わが巫女よ。少しの間だ、長くは待たせぬ。まずは望まぬ闖入者を排除して、それからゆっくりと続きを楽しもう』
未来の髪を一房持ち上げ、約束だというように愛しげに口づける。そして立ち上がり、王者の貫禄をにじませながら隼人へゆっくりと歩を進めた。
内側からにじみ出るように現れた黒い靄が全身を覆い、ゆらゆらとゆらめき立つ。
「未来!」
隼人の後ろから飛び出した綾乃が、地面に横たわったまま、身を起こすこともできずにいる未来へと走ったが、詞為主は目で追っただけで何もしなかった。
隼人を見、くつりと笑う。
『面白い。父、兄、夫、恋人と、わたしになにがしかの者を投影した女たちは数多くいたが、本人と会ったのは初めてだ。きさまを排除すれば、わたしが巫女にとって本物となるか。それも一興だ』
「うるせえ。山の神とか神霊とか持ち上げられながら、しょせん古いってだけの怨霊じゃねえか。
俺はな、今めちゃくちゃ腹が立ってんだよ。
否応なしに勝手につれてこられるわ、毒盛られるわ、座敷牢なんてやつに閉じ込められるわ。あげく、それをしたやつにようやく借りを返せると思ったら、ほかのやつに横取りされるわ。
このたまりにたまった鬱憤を晴らせるやつが、てめえしかいねえんだよ」
右のこぶしを左の手のひらにパシッと打ち当てる。
「全力で滅してやるぜ」
真正面からぶつかるかと思いきや、隼人は岩壁に沿って右に走った。
未来と綾乃を巻き込まないためだ。それとさとった詞為主も応じて走り、2人から距離をとる。
さほど大きな穴ではなかったが、十分距離がとれたところで隼人から仕掛けた。
「はあっ!」
至近距離からの応酬。ただ見守るだけの者の目からすれば、それは打撃の打ち合いに見えただろう。
本人同士にしか分からないことだったが、高速で繰り出される右拳、左フック、肘打ち、回し蹴り。全てがまともに入れば致命の一打となり得る威力を持っている。それらを回避、あるいは受け流し、ガードした上で、攻撃直後の隙を読んで自らの攻撃へとつなげる。攻撃と防御が一体となった、まさに水が流れるがごとき高度な闘いがそこで繰り広げられていた。
常に数手先を読み、読まれることを前提でのフェイクを織り交ぜた攻撃と紙一重の回避。
「……マジで俺ってことか? めんどくせえ」
切れ味の鋭い旋風のような回転蹴りの連続技を側転でかわし、そのままバックステップで距離を取った隼人がつぶやく。
額から吹きだした汗が頬を伝い落ちた。
最小限の防御は、極度の緊張と疲労を生む。乱れた息を少しでも整えようとする。
その呼吸に合わせるように、自然な動きで、だが恐るべき速度で、詞為主が距離を一気に詰めた。
「!」
とっさに両腕を交差させてガードするが、そんな中途半端な体勢からの反射行動で防ぎ切れる攻撃ではない。数発打撃を受けたあとガードは崩され、突破した拳が隼人を壁まではじき飛ばした。
だが隼人もやられるばかりではない。さらなる追撃に迫る詞為主に向かい、自ら間合いへ飛び込むやこぶしを突き上げる。
2人が同時に放った一撃は同時に相手に着弾し、同時に相手をはじき飛ばす。一方は転がった先で地に片手をついて勢いを殺しつつ反撃姿勢を保ち、もう一方は壁に激突するやすかさずその壁を蹴り、反動の乗った瞬発力でいまだ地に手をつけたままの相手に直進する。
そうして幾度となくぶつかり合った。防ぎきれなかった殴打が、蹴撃が、互いの服を裂き、皮膚を裂いて、赤い血の流れる傷を生む。
「……すごい」
その光景を見て、綾乃の口から知らず言葉が漏れた。
隼人はおそらくそういったものを習ってはいない。足運び、腕の動き、間の取り方、全てが我流と言えば格好もつくが、要は喧嘩と同じだ。綾乃の師が見れば、きっと
だが、その技術を超越した力が隼人の闘いにはあった。
あれほどの打撃、蹴撃、その威力を、たとえ技をもってしても、きっと自分には出せない。
「くやしいなあ」
ぽつり、つぶやいたとき。
「……綾乃、ちゃん……」
未来が彼女を呼ぶ力ない声が聞こえて、急ぎ顔を下に向けた。
抱きかかえた腕の中で、未来がうっすらと目を開いている。
「未来! よかった、目が覚めたんだね!」
綾乃が駆け寄ったとき、2人が現れた安堵からか、未来は意識を失っていた。
まだ肌は青白く、血の気が戻っていなかったが、流した涙で濡れそぼった目には意思の光がある。
「……ごめん、なさい……ごめ……」
「何言ってんの。あんたはよくやったよ、上出来」
ぎゅっと抱きしめる。
「……でも。……わたし、できな……」
「あいつを滅するのはあたしもできない。最初からそう言ってたでしょ。あたしの役目は、あいつが来るまで詞為主をここに引き止めておくことだった。あんたはちゃんとそうしたじゃない。
あたしこそ、ごめん。あんたはきっと、あいつの精神攻撃に耐えられないと思い込んでた」
違う、と未来は思った。
そうじゃない、と。
だけど言い返せなかった。凍えた心と体に、抱きしめてくれる綾乃のあたたかな手がうれしかった。
綾乃の肩越しに、隼人へと目を向ける。
「……彼……わたし、が。詞為、心……読んで…………わたしのせい、で……」
疲れ果て、うまく言葉をつなげられない。これだけを音にして口にするのもやっとだ。
その小さなつぶやきを耳元で聞いて、綾乃は体を放して未来を見た。そして隼人へと視線を移す。
「そっか。あいつ、強いからね。
(……そう、なの……?
彼から目を離せない、この気持ちは。だから、詞為主はあの姿になった……?)
未来は目をしぱたき、ふう、と息をついて脱力した。
「……綾乃、ちゃんも………………憧れたり、するんだ……」
「そりゃあ――」
そのとき。
隼人が全力で走り込んだ。減速は一切せず、瞬発力、推進力、疾走速度などを乗せた一撃を放つ。それを、避ける動きを見せずに堂々真正面から受け止める詞為主。
2人が激突した瞬間、空気が震えた。爆風にも似た衝撃波が2人を中心に走る。
詞為主は足を滑らせるも踏みとどまり、次の瞬間蹴りを放った。靴先は鋭く隼人の右脇腹をえぐり、距離を取った先でがくりと片膝をつく。脇腹に手をあてて痛みに耐える表情の隼人を見て、詞為主はしたり顔となる。
『先のダメージからまだ立ち直れていなかったようだな』
詞為主の口元に、己の勝利を確信した笑みが浮かんでいる。
立てないでいる隼人へ、追撃に入ったときだ。突然雷撃の白光が詞為主へと飛来した。
しかし雷撃はわずかに詞為主の髪先を揺らしたに過ぎず、手前の空間ではじかれて消滅する。
思わぬ横やりに不快げに目をすがめ、詞為主は雷の出所を見た。が。
「てめえ! 綾乃! よけいなことするんじゃねえ!!」
すぐ隼人の怒声がして、彼へと目を戻し、攻撃に戻る。
「ちょっと! よけいなことって何よ! あんたが危なかったのは事実じゃない!」
負けじと綾乃も怒鳴り返す。
詞為主からの攻撃を捌きながら、隼人はさらに怒鳴った。
「いいから病み上がりはそこでおとなしくしてやがれ!
第一、なんで雷が使えてんだ! 全部取り上げられたはずじゃ――」
「へへーん。差し入れもらったのはあんただけじゃないんだよー。辻さんからほら、このとおり」
詞為主の背中越しにも見えるよう背伸びして、3枚の雷符を扇状に広げてひらひらと振って見せてくる。
「くそっ、あの駄犬! 女にばかり甘くしやがって!」
俺なんか、三遍回ってコンだぞ!
もしここに辻がいたなら「僕じゃないよー」と言っただろう。
おそらく持たせたのはアレスタで、未来を救出に行くのにから手では危険だとの配慮から辻に頼んだのだろうが、そこまで読める隼人ではない。結果、辻が要らぬ貧乏くじを引くことになった。
「……病み上がり……?」
「あ、うん。でも、もう全然、気にするほどじゃないよ」
未来に、ほら元気! と格好をつけて見せる。
未来は小さく笑み、そんな綾乃に、ある物を指さした。
そうこうしている間も、詞為主の攻撃は隼人を追い詰めていた。
じりじりと後退を余儀なくされた隼人は、やがて壁へと行き当たる。壁を背に闘う隼人は詞為主のこぶしの軌道を読み、紙一重で避け続ける。だが紙一重とは、結局のところ紙1枚程度の差で直撃を避けているにすぎない。詞為主のこぶしの威力はすさまじく、背後の岩壁を穿ち、砕き、割っていく。その衝撃、砕けた石は容赦なく隼人を傷つけた。
粉塵と化したそれらが2人の周囲で煙のようにたゆたい、激しく闘う2人の姿を徐々に包み隠していく。
そんな中で。
――…………。
それは最初、ノイズのように感じられた。
長く続いたストレスからきた頭痛として、いつか消えるだろうと脇に追いやっていた、小さな違和感。
だが何度も繰り返し感じ取っているうちに、それはどこか別の場所から送られてきている何かであり、法則を持っていることに気付いた。たとえば海の奥深く、深海から送られてくるモールス信号のように。
(……くそっ。何だよ、いいから闘いに集中させろよ!)
それが何かも分からないまま、心の中で毒づきながら詞為主からの攻撃を避けて、三角飛びの要領で頭上を飛び越え距離をとったときだ。
「ハヤト! これ!」
綾乃の声がして、飛んでくる気配に向けて反射的に伸ばした手に、何かがぶつかった。
それは太刀だった。
古く、汚く、ずしりと重い。
――我を使え。
初めてノイズが言葉となって隼人の頭に響いた。
「……は?」
突然何を言いやがる、しかも刀のくせに人語を話すとか、とうさんくさげに手の中の太刀を凝視する。
そして攻撃が止まっていることに気付いて詞為主へ目を戻すと、詞為主が驚きに目を
どうやら詞為主とこの太刀は何かいわくを持っているようだ。
「…………」
隼人は量るようにぶんぶんと太刀を数回振ったのち。
「いらねえ」
ぽい、と放り捨てた。
――なんと!?
「女をいためつけるのが趣味のクズ野郎をぶちのめすのに、武器なんかいるか。
このこぶしで十分だ」
たたきのめしてやる。
太刀を手放した隼人に、ふ、と詞為主の口元が安堵のように緩む。
『ほんのつい先まで、わたしにいいようにやられていたにも関わらず、よくもそのような大口がたたけたものだ』
「そうか? そう思うなら、思ってりゃいいさ」
ストローをかんだ口元で、ニッと歯を見せて笑い。決意新たに詞為主に向かっていく。
うす暗い穴の中、閃光のように金と白の光が走る。
金は両目、そして白は隼人の前髪に一筋切り込むように現れた白い髪だ。
先までとはあきらかに違う、比較にもならない殴打が詞為主を襲う。
至近距離から体の中央線に対して入れられる激しい殴打を回避できず。両腕を使って捌き、防ぐも勢いまでは殺しきれず。詞為主はついに体勢を崩した。そこを、さらなる殴打でガードが突き崩される。
たまらず跳躍で後退したが、それこそが隼人の狙いだったことに、詞為主は遅れて気付いた。
気付けても、もう遅い。
宙にとどまるすべを持たない彼は着地せねばならず、そこにはすでに隼人が走り込んでいる。
最速の前傾姿勢からの強襲。
遅れて、詞為主も応酬する。
この明暗を分けたのは、単純に、打撃の手数の差だった。圧に押し負けて詞為主は吹き飛び、激しく岩壁に激突した。
先までとは打って変わった静寂が隼人の周囲を満たす。
隼人は心身を落ち着かせ、集中に入った。すなわち、必殺の一撃のための予備動作である。
強くこぶしを握り、弱め、そしてまた握る。この一撃で仕止めるとの意志が心を鎮めると同時に均衡のとれた力を右のこぶしへとみなぎらせる。
「しょせんただの怨霊でしかない野郎が、借り物の力で悦ってんじゃねえ!!」
研ぎ澄まされた一撃が放たれようとしていた。詞為主はもはや動くこともままならず、避けることもできない。
そのときだ。
――待ってくれ!!!
切羽詰まった太刀の声が、寸前でこぶしを止めさせた。
「……こいつにかわって命ごいか?」
殺意のこもったいら立ちが太刀へと向かう。
もし相手が人間だったなら、胸倉をつかまれて壁にたたきつけられていただろう。
――違う。おまえには分からぬだろうが、この、ただの卑しい盗賊でしかなかった男を怨霊に変え、ここまで変容させてしまったのは、我なのだ。
詞為主は、都から派遣された
その様子を見て、術士はこれを利用することを思いついたのだ。
彼はちょうど、この太刀の隠し場所を探していた。
それは、時の天皇の皇居炎上により焼身した二振りの剣のうちの一振りだった。鍛冶師によって再鋳造されたが、元の剣の形を完璧に再現したところで霊剣とはなり得ない。
ただの剣を霊剣とするもの、すなわち霊威(
『あのあほうに渡したところで、また倉の奥深くに転がされたまま焼身するだけだ』
都には複製品を送った。霊威など入っていない、ただの剣だ。それと気付かないはずがないのに、保憲が何食わぬ顔で献上したと聞いたことを思い出して、笑いながら彼は密かに穴の中へ運び入れさせた祠にこの太刀を奉納したのだった。
――あれがそうなったのは、我の霊威を浴び続けたがゆえだ。望んでではないとはいえ、あれをあのようにしたのは我だ。この手で引導を渡すことが我の役目だ。
「つまり、おとしまえをつけたいって言うんだな。それで、そのために俺に手を引けと?
俺だってこいつには頭にきてんだ」
――分かっている。全て、我はここから見ていた。……我には、見ていることしか、できなかった……。
その声からは純粋に、自身に対する失望と落胆が伝わってきた。
人であれば口惜しさから恥じ入って、唇をかみしめていたのではないか。
この太刀は、理不尽に詞為主になぶり殺される何十人もの女たちを、ただ見ているしかなかったのだ。自分のせいだとの
「……分かったよ」
この太刀と詞為主の間に、何か深いいわくがあることには気付いていた。
正直、この手で決着を付けたい思いは強く、またか、という思いもあったが、この太刀の思いはおそらく今隼人が感じているものよりも、ずっと重い。
それが分かって、隼人は太刀へと近づき、地面に転がるそれを拾い上げた。
鞘から刀身を抜く。
それは数百年の間一度たりと抜かれたことがなかったとは思えないほど、あっさり抜けた。
そのやりとりを見ながら、詞為主は古い友に裏切られたような思いでいた。
胸が重い。胸の奥深く、こんなにもズキズキとした痛みを感じるのは初めてだ。
荒い息で岩壁に手をつき、痛みをおして、立ち上がる。
『……そうか。おまえは、わたしの友では、なかったのだな……』
――いいや、正しく友であったよ。命を命とも思わぬ傲慢さから、最期は当然の報いを受けたおまえだったが、何百年とこの地に縛られるうちにだんだんと無感動になっていくおまえを見て、不憫に思い、出歩けるようにしてやったのは、その思いからだ。
しかしそれによって、おまえは再び命を奪うことに喜びを感じるようになってしまった。その罪過は我にもある。ゆえに、我は友であるおまえを自ら断つことにより、
太刀の言葉には、言いようのない深い苦渋と悲哀がこもっていた。
これほどの思いを自分に向けてくれた者がいただろうか?
詞為主は自問する。
何十人もの女性が彼の足下にひれ伏して、心からの思いだと言葉を繰り返した。しかしその言葉はどれも真実の思いなどではなく、またどの女性も、彼を一番に考えてはくれなかった。彼にだれかを投影し、いつも最期に口にする言葉は、彼以外の者の名か、ここ以外の場所だった。
あの高潔な最初の巫女も、そうだった。
未来へと目を向ける。
しかし彼女が見つめているのは隼人だった。
詞為主ではない。
だれ一人、本当の彼を見ず、彼を受け入れてはくれなかった。
この太刀以外は。
詞為主の全身から出ていた黒い靄は勢いを弱め、寒気にしぼむ花のようにみるみるうちにその勢力を失う。
『……そうか』
深く息を吸い、吐き出す。
――さらばだ、友よ。
詞為主は目を閉じて、購いの刃が振り下ろされるのに甘んじたのだった。