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第20回

 座敷牢に閉じ込められているはずの2人がここに現れたことを、久利が驚いている様子はなかった。


それどころか来ると予想して待ち伏せしていたことからも、アレスタかもしくはほかの仲間が2人を逃がすと予想していたに違いない。


「そこをどけ。今はてめえらの相手をしてる暇はない。話があるならあとで聞いてやる」


 山の中だというのに虫の音1つしない、不自然な静寂に包まれた中で、隼人が言う。

 見るからにまだ毒が抜けきれていない綾乃は戦力にならない。1対多。村の者たちは棒など武器を持っているのに対し隼人は何も持たないから手で、まさに多勢に無勢という状況下にありながらそれら一切を気にもとめず、むしろおどしともとれる強気の言葉を言い放つ隼人に対して、久利はほほ笑みを崩さなかった。

 さもありなん。言葉一つでおとなしく道を譲るなら、最初からここでこうしてはいない。


「あそこで養生してればいいのに、どうしてそうも邪魔をしたがるのかな? 佐藤さんはべつにだまされてるわけじゃないのに。何が起きるか分かってここに来て、神嫁役を引き受けたんだ。お山の神も彼女を望んでいる。何も問題ないと思うけど」

「だからこれ幸いに彼女を犠牲にするっていうんだな。

 大の大人が何十人と寄り集まって、ただの1人も戻ってきたことのない穴へ彼女を投げ込んで、全て彼女の責任だと言い放ち、何の痛痒も感じませんってか?

 そうして得られるのは何だ? 金、地位、権力か。山の神の機嫌をうかがって、へつらって、女を生け贄に差し出して自身の安泰をはかる。

 くだらねえ。てめえら、どいつもこいつもただのクズ野郎じゃねえか!」


 隼人の罵りに、とたん久利の後ろの者たちがいろめき立った。

 痛いところを突かれたと恥じ入るならまだ救いようもあったが、どう見てもそうではない。「世間をろくに知りもしない、親に面倒を見てもらってる子どもの分際で生意気なことを言うな」と。そしてそれに似たような言葉を申し合わせたように吐きだして、口々に隼人を責める。それが反論になるとでもいうように。

 罪を犯している意識など全くなし。


(こいつら、マジでイカレてんのか?)

 ふつふつと怒りが沸き立つ中、久利が突然くすくすと笑いだして、後ろの者たちの口を閉じさせた。

「面白いね。烏眞からすま議員のご子息のきみの口からそんな言葉を聞くなんて。きみこそそういった恩恵がどんなものか、意味を理解できているはずでしょ」

 在籍確認がとれたと言った時点で、身辺調査をされていることは読めていた。あの座敷牢で、次回の神嫁に利用できる綾乃はともかく利用価値のない――アレスタに対する人質は1人で十分。2人残すのはそれだけリスクだ――隼人をそれでも生かしておこうと判断されたのは、単純に、権力者の息子という背景があったからだ。

 機関のようなプロの調査員でない素人による1日調査では、高級マンションでの1人暮らし、家政婦付きの自由生活を享受しているお気楽な金持ち息子、そんなふうに見えたのかもしれない。ある意味それは正しい。だが。


「詭弁を弄して話の本質をそらそうとするんじゃねえ。こっちは人の命を犠牲にしてまですることじゃねえって言ってんだ!」

「隼人くん。きみの言葉は正論だけど、それは悪手だよ。俺たちはとっくに手遅れなんだ。何十年とこの慣習に手を染めてきている。今さらやめることなんてできないし、やめたいなんて考えない者も多い」

「ああそうだろうよ。

 てめえらにできないのは分かってる。かわりに俺がやってやる。

 少しでも恥を知るなら、そこをどいて俺たちを行かせろ。もうこんなことは終わりにするんだ」

 隼人が一歩前に出る。どかないなら力尽くでどかせるまで、との強い意志が全身にみなぎっている。


「だめだよ。行かせられない。言ったでしょ? この祭りは絶対に行われなくてはならないんだ。でないと、絃葉が犠牲になった、その死に意味がなくなってしまう」


 久利は淡々とした態度を崩さなかった。久利の後ろに控えた者たちも、退く様子を見せない。

 完全に隼人を侮っていた。隼人は年齢の割に小柄で体格も普通、しかも毒煙を吸って弱っているはず。そんな少年など、これだけの人数がいれば楽に押さえ込めるという考えが透けて見えて、隼人が肉食獣のそれに似た笑みを浮かべる。隼人は見かけで軽んじられることが嫌いなのだ。

「手加減くらいはしてやるよ」

 一方的な蹂躙が始まるかに見えた、そのときだ。


「できるよ!!」


 突然隼人たちの背後から女の声がして、全員の注意がそちらへと移った。

 身をねじった隼人と綾乃の間に開けた空間に、息を切らせた絃葉の姿が現れる。その後ろには、控えめに辻も立っていた。彼女の護衛役だろう。


「絃葉!?」

 久利が驚きに息を呑む。

「絃葉ちゃん、生きて……!」

 それまでずっと久利の影に半ば隠れるようにして立って、隼人と目を合わせられないというように視線をそらしてうつむいていた静子が、はっと面を上げた。

 口元を手でおおい、涙をこぼす。そして村人たちが驚愕して動けないでいる中、絃葉の元へ走った。

「絃葉ちゃん、私、私、てっきりもう……っ」

「うん。ごめんね、あんな最悪なかたちでだますことになっちゃって」

 静子は感極まって言葉が出ず、首を振って絃葉に抱きついた。子どもをあやすようにぽんぽんとその背をたたく。次に絃葉は静子の肩越しに久利と視線を合わせた。

「くりちゃんも。ごめんね」

「絃葉……? 本当に……? いや、そんなはずない。彼女は死んだんだ」

「死んでないよ。死にかけたけど、助けてもらったの」

 ね? と後ろの辻を見る。

「だって、確かに絃葉の無残な死体をこの手で抱き上げて――」


「それ、僕だよー」

 辻が答えた。

 偽装したにしても辻と絃葉では全く似たところがない。体格は当然、性別から違っている。岩に激突したらしい顔はつぶれていて、直視するのはつらく、長く見ていられなかったが、それでも絃葉と辻を間違えるはずがないと、とまどっている久利に気付いた絃葉が説明した。


「あれはTUKUYOMIの人。あたしの身代わりになってくれたの、あたしを逃がすために」


 人間でない辻が化けていたと言うよりは、まだ説得力のある言葉だった。間違ってもいないため、辻もあえて訂正はしない。

「逃がす? 逃げるって、どうして? 逃げる必要なんかなかったよね?」

 詞為主の神嫁となる絃葉が詞為主から逃げるなんて、意味が分からない、と久利は考えているようだった。

「あったの。だってあたし、神嫁なんてまっぴらだったから」


「そんなはずあるか!!」


 久利が叫んだ。

 ここにきて、初めての感情の爆発だった。

 全員が驚く中、久利は熱に浮かされたように続ける。

「絃葉は神嫁の重要性を理解していた。赤羽根の矢が刺さったと知ったときもそれまでの女性たちみたいにおびえたりしなかったし、受け止めて、霧嶺村に生まれた女の宿命だからと受け入れていた。誇りにしていたんだ。

 おまえは絃葉じゃない!! 彼女は――」


「受け入れてなんかない」


 言葉を遮り、絃葉は言い切った。

 静子をそっと横に押しやり決然と前へ出る。

「だれが死ぬと分かってる役目を突然押しつけられて、言われるままに受け入れたりするの? そんな人間なんか、いないよ、くりちゃん。

 次の神嫁だと言われて従ったのは、そうしないとほかの無関係な人があたしの身代わりにされるから。でも、あたしだって死にたくなかった。だから助けてくれそうなところがどこかにないか、必死で探したの。

 そんなあたしを見つけて、助力を申し出てくれたのがTUKUYOMI機関だった」

 機関はずっと前から霧嶺村と神屋磐伏詞為主かむやいわふしことなぬしの関係に気付き、見張っていた。内部からの協力者となる絃葉が現れたことは、機関にとっても渡りに船だった。

「TUKUYOMI?」

「科学で説明のつかない超常的な事象を調査・解析・解明することを主として活動している国際機関だ」疑問符を口にした久利に、後ろから出てきた男が説明をする。「絃葉、おまえ、俺んちに泊まりに来てた間、そんなことしてたんだな」


「うん。ずっと黙っててごめんね、靖史兄ちゃん。

 みんなも、だましてごめん。

 だけどこんなことおかしいよ! 人を殺してまでやること!?」


 絃葉の言葉に、村の者たちがざわつく。

「……俺たちが、殺してるわけじゃない……」

「そうとも。俺たちの言葉を届けてもらってるだけで、死んでほしいなんて思ってないんだ」

「戻ってくれば、いくらだって――」


「そんなの言い訳にもならないよ! 真実から目をそらさないで! あたしたちはみんな、何十人もの人たちの死によってその利益を享受してきたんだ! 生まれたときから!

 でもこんなの間違ってるって、本当に1度も思わなかったの!?」


 絃葉は1人1人を見て問う。射貫くようなその視線を見返せる者はおらず、みんな、視線を足元へ向けた。

「こんなこと、もう終わりにしなくちゃ」

「……しかし、そんなことをしたら……なあ?」

「ああ。俺たちが「やめます」なんて言っても、お山の神さまが赦してくれないに決まってる」

「そうだそうだ。どんな恐ろしい厄災が降りかかるか、知れたもんじゃない」


 口々に言いつのる彼らに、絃葉は大きくため息をついて自分のほうへ注意を戻させた。

「事業が傾く? 会社がつぶれる? お金がなくなる? 貧しくなる? 今まで経験したことないもん、確かに怖いよね。でも、そんなリスク、世の中の人みんな抱えてやってきてるんだよ。これからはみんなと同じになるだけ。それってそんなに怖いこと?

 だれかが危なくなったら、村のみんなで支え合えばいいじゃない」


「絃葉……」

「くりちゃん。あたしは、たとえくりちゃんが事業で失敗して無一文になっても、絶対くりちゃんを見捨てたりしないよ。どうすればいいか、一緒に考えて、一緒に立ち向かっていこう。だってあたしたち、血のつながったいとこだもん。

 みんなもそう。あたしたちは同じ村で育った、家族も同然。だから何も怖がることなんかないんだよ」


 絃葉が笑顔で手を差し伸べて、その手にふらふらと吸い寄せられるように久利が近づいたとき。

 後ろから飛び出した青年が、どん、と久利の背中に体当たりをした。

 久利の目が見開かれ、脱力し、くずおれる。後ろから現れた青年の両手にはナイフが握られていた。


「だめだよ……そんなことをしたら、詞為主さまが怒って、どんなことが起きるか……。みんな、破滅しちゃうよ……くりちゃんとこの事業だって、うちだって……。うちは、だめだ……そんなことになったら……」

 うわ言のようにぶつぶつとつぶやいている。


「くりちゃん!」


 地面に手をつき、荒い息をしている久利に絃葉が駆けよる。

 隼人が飛び出した。

「てめえ!」

 血に濡れたナイフを持って、ぶるぶる震えている男の胸倉をつかみ、岩壁へとたたきつける。殴ろうと腕を引いたところで

「だめ!」

 綾乃の強い制止の声が入って、隼人は動きを止めた。

「その人を殴ったところで、何もならないよ」


「……くそッ」

 いまいましげににらみつけ、ナイフを落とさせるとほかの男たちにぶつけるように解放する。その勢いの強さに男たちは彼を受け止めきれず、その場に一緒に倒れ込んだ。


「詞為主は俺が滅する。だから、そんな心配は無用だ。分かったな」


 だがそれは結果的にそうなるのであって、絶対におまえたちのためにするわけじゃないと、男たちを見下ろす。そして、チッと舌打ちをして、後ろを振り返った。

 後ろでは絃葉が小型端末を使い、急いで連絡を取ろうとしているが、切羽詰まった状況に混乱した頭では操作がおぼつかないようだ。それを見た綾乃がそれまでしていた圧迫止血を静子に任せ、かわりに操作をして救助要請をしていた。


「おい、犬」

「何? 狐」

「時間が惜しい。ここはおまえに任せる。俺たちを追ってくる者がいたら、おまえが何とかしろ」

「……「お願いします、辻さま」はー?」

「はあ!? この状況で何ボケたことぬかしてんだ!」


 辻は少し考え込むように見渡した。

 絃葉の言葉に感じ入り、直後仲間が久利を刺したという衝撃展開に最後の毒気を抜かれてしまったのか、だれもかれもすっかりふぬけた顔をしている。

 刺した男も、靖史たちに抱きかかえられ、声掛けをされながらも脱力して無気力にうつむいたまま、何の反応も見せない。


「いいよー。でも、もうだれも何もする気ないと思うよー」

「それでもだ。

 綾乃、行くぞ。それともここに残ってアレスタたちが来るのを待つか?」

 久利の応急手当を終えた綾乃は、目を閉じて地面にうつ伏せた久利と、心配そうに彼を見つめている絃葉と静子を見た。救援要請はした。あとは到着を待つだけのここに、自分は必要ないと判断したか。

「行くよ、もちろん」

 立ち上がり、隼人の横についた。

「未来を助けなくちゃ」

 綾乃と視線を合わせ、隼人もうなずく。

 そこに、絃葉が突然思いだしたように顔を上げて声をかけた。


「忘れるとこだった!

 隼人くん、これ、アレスタさんから!」


 上着のポケットに引っかけながらも急いで取り出した物を放り投げる。

 振り返りざま受け止めたそれは、牛乳パックだった。


 期間限定・スモモ味と書かれた文字と絵に、にやりと笑い、ちぎり取ったストローをぶっ刺して勢いよく吸い込む。

 数日ぶりに口にした牛乳が、隼人も気付かないほど牛乳を求めてカラカラに乾ききっていた全身の飢えを満たしていく。


「ああ、くっそ。

 やっぱ、これがなくちゃな!」


 そして2人は同時に走り出した。詞為主がいるという、岩穴へ向かって。


(こんなこと、絶対に終わらせてやる!)

 この地へ来て初めて、そんな強い思いが隼人の胸を熱くしていた。




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