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第19回

「……ごめんなさい、辻さん」


 自分を捜している村人たちの持つ懐中電灯の明かりの中、久利の姿を見つけた未来は、自分を誰にも気付かれずに連れ出すためのルートを模索している辻の背中に向かって小さく謝罪すると、隠れていた草むらから飛び出した。


「石動さん」

 との呼び声に久利や、その周りにいた青年たちが反応して振り向く。未来は彼らの元へ駆け寄り「ごめんなさいっ」と頭を下げた。

「こんな大ごとになってしまって……」

「佐藤さん。今までどこに」

「あの……土蔵に……」

 このときすでに未来は、久利の近くにいて、未来が現れた一瞬驚きに目をみはった静子の反応から、彼女が自分を閉じ込めた犯人だと見当をつけていた。ほかの者たちも驚いていたが、すぐ安堵と笑顔になったのに、彼女だけが暗い表情で未来が何を言うか気にして心もとなそうにしているように見える。

 彼女がなぜあんなことをしたのかは、あのときの発言から想像はついた。未来と考えは違っていても、未来のことを思って行動した彼女を責めるつもりはなく、だから未来は久利たちに向かって

「わたしがお役目を終えるころにはお葬式も終わっているでしょうし、絃葉さんのご遺体に最後のごあいさつと、お焼香をしたかったんです」

 と説明をした。

「本来なら絃葉さんのお役目だったのに、こんなことになって……あんなにご熱心だったんですから、きっと絃葉さんも心残りだったんじゃないか、って……。それで、神嫁のお役目はわたしが引き継いで無事にやり遂げますからご安心ください、とお伝えすれば、絃葉さんも安心して心安らかに眠れるんじゃないかと思ったんです。

 そうして絃葉さんに話しかけているうちに、つい、疲労から眠ってしまったらしくて……」


 未来の言葉に久利の表情がやわらぐ。

「……うん。そうか。絃葉のことをそんなに思ってくれて、ありがとう」

 そして静子へ、少々厳しい視線を移した。

「土蔵の方面は、きみが確認してくれたんじゃなかったかい?」

「それは……ええ、そうです……」

「あのっ、……たぶんすれ違っちゃったんだと思います! わたし、いつの間にか眠っていたことにびっくりして、あわてて土蔵を飛び出したので!」

 ね、と静子のほうをちらりと見る。静子は視線を手元に落としたまま押し黙っていて、久利はそんな静子を少し怪しむ目で見ていたが、追及までは口にしなかった。


「とにかく、無事見つかってよかった。ここは山に囲まれているし、不慣れな者だと危険な場所も少なくないからね。中には、きみが怖じ気づいて逃げたんじゃないかと疑う者もいたんだ。そうでなくてよかったよ」

「わたしが望んだんです。逃げたりしません」

「そうだね。

 さあ、戻ろうか。みんなにも、きみが見つかったことを知らせないと」


 久利が別方面を捜している他の者たちへの伝令を周囲の青年たちに頼む少しの間、未来は背後を振り返った。

 暗闇にまぎれるように木の影に辻が立って、こちらを見ているのが分かる。未来を彼らから引き離して連れ戻そうと考えているのだろうか。辻には簡単にそれができる力があることを知る未来は、はらはらしながら心の中でそうしないことを願うしかない。

 その思いが通じたのか、あるいは澤田から何か言われたのか。辻らしき気配が後ろに退いて去っていくのを感じ取って、未来はようやく詰めていた息を吐き出すことができた。



◆◆◆



 朝、日の出とともに未来が乗る神輿は村の青年たちによって担ぎ上げられ、山へ向かった。


 淡い色で染まった紙を何十枚と用いて作られた美しい花かんざしが髪を飾り、黄金色の前天冠、襟元で三重に下がった玉飾りなどが朝日にまばゆくきらめいている。巫女装束の上に羽織った、目の覚めるような赤い千早は金糸銀糸によって華麗で緻密な刺繍がほどこされており、朱と黄の飾り紐が胸元と袖口で揺れるさまは、まるで巫女というよりも花嫁御寮。先導する黒袴装束の男衆や神輿を担ぐ白張仕丁しらはりじちょう、神輿の後ろに付き従う女衆など、はたから見れば、やはりそれは花嫁行列にしか見えないだろう。


 支度したくに1時間以上かかるため、結局ほとんど眠れなかった未来は、うつむき、袖口でこっそり眠い目をこする。岩場に到着するまで神輿に座っているだけなのだが、なだらかとはいえ傾斜した未舗装の山道を上る神輿はかなり不安定に揺れるため、バランスを取っていないと転げ落ちそうだ。そんなみっともないまねはできないと、懸命に意識を保とうとしながら、それでもつい、うつらうつらし始めたとき。突然真横で起きた、金属板をたたいたようなジャーン、ガッチャガッチャという音に驚いて、反射的、目を見開いて背筋をぴしっと伸ばした。


 それは、お囃子はやしだった。

 天狗の格好をして仮面をかぶった者数名が、行列の周囲を跳び回る。小柄な体格から少年だと推測する。少しおどけた身振り手振りで手から提げた小さな太鼓をバチでたたいたり、金属でできた皿状のかねや手びらかねと呼ばれる手のひらサイズのシンバルを鳴らしたりする。いずれも山の生き物や山の神さまへ、巫女の到来を知らせるためのものだ。


 騒々しい音に包まれながらも厳かに、行列は穴のある岩場まで、なだらかな山道を登っていく。そしてその音は、屋敷の地下の座敷牢にいる隼人の耳にも、かすかに届いていた。




「……よし。そろそろ出るぞ。準備はいいな?」

「うん」


 布団の上で正座して、瞑想めいそうで心身を整えていた綾乃が静かに目を開く。まだ熱があるのか潤みがちではあったが、それを克服し、ねじ伏せる意思の強さが隼人を見返す眼光に宿っていた。

(残って待ってろ、と言っても無駄なんだろうな)

 あらためてそれを確認して隼人はため息をつくが、同時に胸がすっとするほど気持ちよくもあった。

 自身がどんな状況であれ、パートナーを見捨てたりしない。それが藤井綾乃という女だ。


 なら今の自分の役割は?

 彼女にそれができるよう、サポートすることだ。


「離れてろ」

 格子の前に立ち、こぶしを固めた右手を後ろに引く。

 全身にみなぎった力が右のこぶしへと収束する。


「はああああっ!!」


 力をたたきつけるように殴りつけると、硬い木でできた厚い格子はその一撃で砕け散った。

 ずっと彼らをここに閉じ込めていた物が破壊された。

 それを見るのは、実に痛快だ。


「さあ行くぞ。この窮屈な場所からおさらばだ」

 振り返った隼人が心底楽しそうに笑っているのを見て、綾乃も笑顔で立ち上がった。

「うん。行こう!」



◆◆◆



 予想どおり、見張りとして屋敷に残っていたのは数名だった。


 いずれも隼人の敵にはなり得ない者たち。

 大音響を聞きつけて、あわてて集まってきた彼らを難なく排除して外に出、山へと向かう。

 詞為主のいる穴のある岩場がどこにあるか2人は知らなかったが、神輿行列が通れるほどに整備された道は簡単に見分けがついた。

「こっちだ」

 先導する隼人に続いて一歩山に踏み込んだ瞬間、綾乃はまるで見えない壁に気付いたように、顎を引いて立ち止まった。


 山の空気は渦巻く狂喜に満ちていた。まるで待ち受ける巨大な獣の開かれたあぎとの中へ入っていくような、背筋の凍る、ぞっとする感覚が頭上からのしかかる。

 けたたましい鳥たちの不協和音。葉擦れの音、風に枝が揺れる音、幹が軋む音までが耳に響き、その全てが彼女に対する敵意と大きな畏怖に満ちていた。


 おまえを歓迎しない、おまえはここで何も得ることはできない、それでも入るというのならば覚悟せよ――そんな冷徹な山の意思が心を凍らせにきて、ぐっと奥歯をかみしめた。心臓が脈打つ速度が急激に高まり、体から飛び出してしまいそうだ。

 強烈な山の気を浴びて、体が震え、足が動かない。


 そのとき、突然腕をつかまれた。

 隼人だった。

「こんなのはただのこけおどしだ。圧だけは立派だが、中身はない。無視しろ。それが難しいなら、何のために行くかを考え続けろ」

「……うん」

 恐怖から連想される、頭に浮かぶ余計な妄想を振り払って、隼人を見つめてうなずく。

 ――何のため? もちろん未来のためだ。そしてもう二度と、だれも犠牲にさせたりしないため。

 そう考えると、足が前に動いた。

「急ごう」

 そう言って、山へ踏み入った。


 前へ、前へ。

 急がないと間に合わない。未来を助けられない。

 ただひたすらにそればかり考えて、隼人の背中を見続けて歩くことで、周囲からひしひしと押し寄せる、隙あらば心をむしばもうとしてくる山の気を無視する。

 そうして木々の連なる曲がり角を曲がって、少し開けた場所に足を踏み入れたときだ。

 隼人の足が止まる。


「きっと来ると思ってたよ」


 久利と、そして村の者たち十数名がそこに立って、行く手をふさいでいた。


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