「静子さん」
久利に静子と呼ばれた女性は、3人を見て会釈する。
「久利さん。これをどうぞ」
「ああ、すみません」
静子が差し出してきた白い紙箱を、久利が受け取る。表には何も書かれていない、ただの白い箱で、菓子箱のようだった。
「向こうの用意もしてありますから」
「ありがとうございます」
「じゃあ、わたしはこれで失礼します」
ここで待たせ過ぎたのだろうか? 何について腹を立てているのか分からないが、少し不機嫌そうな早口で、伝えるべきことだけを口にすると、静子は2人を見ないように目を伏せ、久利にだけ頭を下げると廊下を歩いて行ってしまった。
「彼女は中野さんの娘さんで、それもあって絃葉とはすごく仲のいい、姉妹のような親友だったんだ」
なんとはなし、背中を見送っていた2人に久利が説明をする。
「絃葉が神嫁に選ばれたと知って、村へ戻ってきたんだ。絃葉を説得しようとしたけど、だめだったって。
当たり前だ。絃葉は尊い
「……久利さん?」
静子を侮蔑するような、その冷たい言い方にひっかかりを覚えて、綾乃が名を呼ぶ。
久利ははっと箱から顔を上げると、「ごめん」と苦笑して、方向転換すると庭を歩きだした。
静子は用意があると言っていたが、それは主屋ではないらしい。
「それ、何ですか?」
「これ? これは、絃葉が生前、自分が神嫁になったあとで燃やしてほしいと言っていた物だよ。中身は俺も知らない。
絃葉を連れ帰ってきてからふと思いだして、静子さんに部屋から持ってきてもらったんだ。
本当は、葬儀が終わってからするほうが正しいのかもしれないけど、みんな祭りのことで頭がいっぱいで忙しくて。それに、祭りの前に葬式をするのは縁起が悪いからって、祭りが終わってからすることが決まったんだ。
でも、絃葉は、できるだけ早く燃やしてほしいんじゃないかと思って」
話しながら、久利は白い箱を大切そうになでてから、砂利の上に枯れ草と枝を積んで作られた山の上にそれを乗せた。
廊下の上に用意されていた布で口と鼻をおおい、マッチで枯れ草に火をつける。枯れ草はあっという間に燃え上がった。
お焚き上げだ、と綾乃は思う。
隼人と2人、廊下に座って、その様子を眺めた。
炎は枝を下からあぶり、熱して、枝は白い煙を噴き出す。
神妙に手を合わせていた綾乃は、顔にきた煙にこほっと咳き込み、自分たちが風下側にいることに遅れて気付いた。
普通薪には枯れ木を使用するが、久利が燃やしているのは生木らしい。用意する時間がなかったためかもしれない。
そこを指摘しても意味はない。綾乃はこほこほと咳をし、腰を浮かせて隼人のほうを向いた。
「煙いから、場所を変えよう」
そう口にしたつもりだった。
だが舌がもつれて言葉が出なかった。
(……えっ?)
驚き、口元に手をあてる。その指も震えていた。しびれて指先の感覚がない。
隼人は? と急いで視線を上げると、何かをさとった横顔で、あごを引き、苦痛に耐えるように強く歯をかみしめて久利のほうをにらんでいた。
「…………ハヤ…………ト……」
視界が揺れる。上下が反転し、ぐるぐると回転を始める。目が回る。気分が悪い。吐きそう――頭の中がそれで埋まる。
廊下についた右手が体を支えきれなくなり、ぐらりと前傾したのが分かる。目の前に迫るのは足を乗せていた踏み石だ。顔をぶつけると思ったが、全身に力が入らず、どうしようもなかった。
倒れ伏す寸前、体をつかみ止められた。背に回された腕が、彼女を強く引き寄せた。
顔に押しつけられたのは隼人の胸だった。保護するように抱き込んでいる。隼人は平気なのかと不思議に思ったが、すぐに聞こえてきた心臓の音が異常なほど早く、呼吸が浅く不規則で、隼人も危険な状態にあるのだと分かった。
「……ハヤト……頭が割れそう……」
「ああ、俺もだ。あの野郎、俺たちに毒を盛りやがった……!」
「……食事に混ぜることも考えたんだ。そのほうがあまり苦しまずにすむかな、って。だけど、そんなことをしたらせっかくの中野さんの料理が台なしになるでしょ。それは中野さんに悪いから」
久利は淡々とした声で、足元の火をかき立てながら独り言のように話した。
声がこもって聞こえるのは、小型の防毒マスクをしているからだ。きっちり鼻と口をおおうように巻いた布が少し緩んで、その下の様子が隼人にも見えていた。
毒は、あの白い箱の中身か、それとも燃やしている木のほうか……。
隼人がにらんでいることに気付いた久利が、面を上げて隼人のほうへと体を向ける。
「きみは強いね。まだ意識があるんだ。彼女のほうは、もうそろそろやばそうだよ」
その言葉にはっとして綾乃を見下ろすと、綾乃は青ざめた顔でぐったりと隼人に寄りかかっていて、意識がないようだった。
「おい、綾乃! 綾乃!!」
揺さぶろうと肩に伸ばした手ががくがくと震えていることに、隼人自身愕然となる。
「……俺たちを、殺す気か……」
「どうかな。伯父さんたちはそうしてほしいみたいだったけど……それは、できれば最後の手段にしたいんだ。人は、死んだら生き返らないからね、やり直しがきかない。それに――」
ブルルと腰が震えて、久利がスマホを取り出す。
「……衛星電話……持っていたのか……」
「そりゃ、こういう場所柄だからね。数は少ないけど、あるよ」
彼は成功した、裕福な家の三男坊だということを隼人は思いだした。素朴で古めかしい家ばかりだが、この村の住人はほぼ全員がそうなのだ。詞為主の神力によって……。
久利はスマホの画面を見て、ため息をついた。
「ああ、やっぱり。
きみたちの先生、松木をまいて逃げちゃったそうだよ。トイレに行って、いつまでも席に戻ってこないから確認してもらったら、消えてたって。
おかしいな。気付かれるようなことは何もなかったと思うんだけど……松木が何か、口をすべらしたのかなあ。
まあいいや。ほらね? さっそくきみたちの命に使い道ができたよ」
苦痛に汗をにじませた隼人に向かい、良かったね、と久利はほほ笑みかけた。