目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第14回

 車と聞いた一瞬、3人とも何のことか分からなかったが、すぐに昨夜のやりとりを思いだした。


「どうかした?」

 3人が無反応であることに、久利が不思議そうに小首をかしげる。

「あっ、いえ! 未来のことを、彼女の両親にどう説明しようかと思って!」

「ああ、そっか。難しいようなら、こちらに電話をくれたら俺が応対するって言うといいよ。今日はいろいろあるから難しいけど、明日なら対応はできると思うから」

 久利は名刺を取りだして綾乃に渡そうとする。それを、アレスタがひょいと横から取り上げた。

「これ、ワタシもらってもいいデスカ?」

「いいけど……?」


「町へ行くの、ワタシだけで十分デス。この2人、佐藤サンと話したいから、ココに残りたいッテ。それに、私タチ、佐藤サンの晴れ姿を見たいって、話してたんデス」

 久利の目がアレスタから綾乃と隼人へ向いた。

「そうなの?」

「あ、はい。彼女が絃葉さんの代わりを務めるって決まってから、彼女だけどこかへ連れて行かれちゃって、それから全然話せてなくて。……彼女と話せますか?」

 先の折、こっそり屋敷を抜け出して未来のもとへ行き、彼女と話したことはおくびにも出さず、さらりと言ってのける。


 久利はあごに手をあてて、うーん、と考え込み。

「どうかな……。祭りが近いから、突貫で禊祓みそぎはらえをしてるんだと思うんだよね。禊祓っていうのは――」

「分かります」

「分かる? そっか、きみたち神職を習ってるんだっけ。

 じゃあ分かると思うけど、彼女は今、山の清水に浸かって汚穢おえをその体から抜いて流しているし、それが終わっても祓詞はらえことばの奏上なんかがあって忙しいから、たぶん会うのは難しいんじゃないかな」

 心身から穢れを抜いて清らかに保ち、儀式に赴く。絃葉が10日かけて行ってきたそれを、未来は2日で凝縮して行うのだから、他に割く時間はないだろう、ということだった。


「分かりました。でも、未来の晴れ姿をどうしても見たいんです。見て、ご両親に伝えてあげたいし、未来の一生の思い出づくりのためにも写真に残してあげたいなって。

 絃葉さんのお父さんには、退屈だろうからって断られちゃったけど、久利さん、どうにかなりませんか?」


 助力を求める綾乃のお願いを、久利はきっと断るだろうと隼人は思ったのだが、意外にも久利は2つ返事で迷うことなく「いいよ」と応じた。

「伯父さんには俺から話してみる。

 それで、えーと。じゃあ、アレスタさんだけが町へ行くのでいいのかな?」

「ハイ。あ、途中でワタシの車、寄ってクダサイ。JAFに連絡するための必要書類、取りたいデス」

「分かった。松木に言っておく」

「? 久利サンじゃない、デスカ?」


「俺は……絃葉のことでいろいろ、しなくちゃいけないことがあるから……ここを離れられないんだ。

 俺が送るって言ったのに、ごめんね。でも、松木もいいやつだから。もし何か、ほかにしたいことがあるなら彼に言えばなんとかしてくれると思う」

 申し訳なさそうに謝罪して、久利は廊下に控えていた青年を呼んで、アレスタに引き合わせた。

「じゃあ、行ってキマス。学校にも、ご両親にも、ちゃんと話しておきますカラ、2人とも、待っててクダサイネ」

「はい、クロウ先生。よろしくお願いします」

 頭を下げる綾乃とアレスタの間で意味ありげな視線がかわされたのを、久利たちが気付いている様子はなかった。



 2人に続いて「じゃあ」と部屋を出て行きかけた久利を、「久利さん」と綾乃が呼び止めた。

「絃葉さんに、あたしたちも会うことはできますか? できたら、お焼香もさせていただきたいんです。知り合って短いですけど、絃葉さんにはこうしてお家に泊めていただいたり、とてもよくしてもらったご恩があるから」

「……いいよ。じゃあついてきて」

 手招きした久利が2人を案内したのは、離れにある土藏だった。

 主屋おもやとはつながっておらず、途中から下履きに履き替えて庭に下りて歩く。

 屋敷からは北に位置し、日陰にある土蔵は昼でも薄暗く、夏だというのに肌寒さを感じるほどひんやりしている。おそらく昔は、米を保存するための米藏だったのではないだろうか。


「こんな所に、ですか?」

「……伯父さんが、祭りで潔斎中の家に、穢れ(死体)を入れるなって」

 それを久利が納得していないのは、かみしめられた下唇からうかがえた。だが決定権は父親の泉燈にあり、久利にはどうしようもないことだった。


 久利が壁に設置されたスイッチを入れると、明かりがついた。

 見るからに重そうな厚い一枚扉を引き明けると、屋根近くの高い位置にある小さなはめ殺しの窓から差す光の下に、台の上に寝かされて白いシーツで覆われた絃葉の姿があった。シーツは体に触れている所で血がにじみ、下のほうは土で汚れている。


「今はこんなふうだけど、中野さんが棺とか花とか台とかいろいろ手配してくれてるから。夜までにはきちんと整えられると思う」

「そうですか。……あの、お顔を見ても……?」

 手を合わせたあと、訊いた綾乃に、久利は「見ないであげて。絃葉のために」と優しく、悲しげな顔で首を振った。

「分かりました。……すみません」


 そういった一連のやりとりを、隼人はボケットに両手を突っ込んだまま、無言で後ろから見ていた。




「あんたは手を合わせなくてよかったの?」

 藏からの戻り道、こそっととなりの隼人に問う。

「ああ。べつに、

「ふーん?」

 隼人の冷淡な返答を、綾乃は意外に思った。

 言葉遣いは乱暴だし、警戒心が強くて自分たちをうさんくさく思っているのは知っているが、それでも人の死に敏感で、愚直なほどお人よしな性格だと思っていた。

 だから絃葉殺害にも腹を立てているに違いないと。


 案外、そんな心の柔らかさを本人は弱さだと考えていて、気付かれまいと用心するあまり、動物のように虚勢を張っているのかもしれない。


 フーッと毛を逆立てたときの猫を想像してしまった。

 そういえばあのくしゃくしゃ頭も、細くてやわらかそうな髪質が長毛の猫っぽい。

 そう考えて、つい、くすりと笑ってしまう。


「……何だよ?」

「べつにーぃ。ちょっと、家の猫たちのことを思いだしただけ」

 ちょんちょんとステップを踏んで、ニヤニヤ笑って肩越しに見てくる綾乃の目つきに、絶対違うと確信する。

「だから何だって! 言えよ!」

 気になるだろ!

「あははっ。何でもないってば。

 あ、ほら。久利さんに置いていかれるよ」

 話しているうちに、前を行く久利との間に距離が開いていた。

「ごまかすなって!」

 むきになっている隼人の言葉は無視して。飛び石を小走りに駆けて、屋敷前の開けた庭先に出る。すると、彼らが下履きに履き替えた場所に、黒服で引き詰め髪の女性が白い紙箱を抱えて立っていた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?