「何を考えているの! あの子は!!」
会合が終わって部屋へ戻ったアレスタは激怒していた。
部屋は隼人と2人だけだ。肝心の未来は、祭りまで2日しかなく、それまでに巫女になるための潔斎を全て終わらせなければいけないとして、部屋の外に控えていた村の女たちに囲まれてどこかへ連れて行かれた。隼人たちには声をかける暇もなかった。
綾乃は、それでも未来と接触できる方法を探しに出ている。
そのため、部屋にいるのは2人だけだったが、アレスタには隼人が見えていないようだった。戻ってからずっと、1人でぶつぶつと怒りを発散している。
(……まあ、いいけどな)
紙袋から取り出したいちご大福味の牛乳パックにストローを差し、ズコーっと飲む。
未来の行動は隼人にも不可解だった。
隼人は未来とあまり話した記憶がない。一緒に動いた記憶もほとんどなく、何かと自己主張の激しいアレスタや思ったことをはっきり口にする綾乃とは対照的に、おとなしい少女だな、ぐらいの印象しかなかった。
2人の言いなりになっているというわけでもなさそうだが他者の意見を尊重するあまり強く意見を主張するわけでもなく、一歩引いた所から2人のやりとりを眺めて、出た意見に迎合する、控えめな――人見知りもある――女子。
はっきり言って、綾乃の後ろにいつもくっついているな、くらいの、クラスによくいるタイプの女子だと思っていた。
こういったスタンドプレーに走るようなタイプには見えなかったが……。
「なあ。本当にこれはおまえたちの計画になかったんだな?」
隼人の質問に、アレスタはチッと舌を打ち。「当たり前でしょう!」と即返したが、
「じゃあ、まだ俺に隠していることはあるか?」
との言葉には、ぐっと顎を引き、唇を引き結ぶ。それを見て、隼人はさらに突っ込んだ。
「あの絃葉って女、おまえらの協力者だったんだろ」
「……気付いてたの」
隼人は肩を竦めて応じた。
「車でおまえに身代わり提案したくらいから」
「そんなに早く?」
「なめんな。でなきゃ、あんな偶然があるかよ」
車をわざわざ壊して、あの時刻にあの道を村の者の車が運良く通るのを期待する?
そんなことは120%あり得ない。
「あら? 分からないわよ? そんなの」
「そういうのは今はいい」
「……久利くんも気付いたかしら」
「さあな。あいつは、おまえが演技していると知らないし、わざと車を壊したと知らないから、気付いてないかもな。
とにかく、あの女を本当はどうする気だったんだ」
アレスタは神経質に髪をすき上げ、ため息とともに吐き出した。
「綾乃との交代をあの父親が受けてくれたら、どうする気もなかったわ。
でもきっとすんなりいかないだろうとは彼女も考えてた。第1に、祭りまで日がない上、綾乃は1人旅の成人女性じゃないから。存在を消すには面倒がいろいろあるから、きっと安牌を取るだろうって。
だからもしそうなったら、昨夜のうちに澤田くんと辻くんが彼女に手を貸して、だれにも気付かれないように村から脱出させる手はずだったのよ」
「澤田と辻?」
「あなたを連れ出すのに協力してくれた2人組」
「あいつらか!」
自室ということもあり、気を抜いていたところでいきなり黒シーツをかぶせられ、訳が分からないまま寝間着姿で連れ出された恥辱がよみがえり、あとでぶっとばす、と心のリストに名前を書き込む。
「今回は相手が相手だから、別チームがサポートに入っているのよ。経験豊富でとても優秀な2人なの。
それなのに、どうしてああなったか、私にも分からないわ。今朝から何度もコールをかけているけど応答してくれないし、定時連絡も入ってない」
アレスタは胸の前で腕組みをして、イライラと親指の爪を歯ではじいた。そして机上の小型端末へと視線を落とす。
ここは盆地で、周囲を山に囲まれている。普通のスマホは圏外だが、機関が配布しているこの端末は特別製で、衛星を利用していることからそういった影響を受けない。通信に問題はないはずだ。端末を破壊されない限りは。
「詞為主にやられたか」
絃葉を追い詰めているのを目撃されている。おそらくわざと目撃させたのだろうというのが隼人の見解だが、どちらにしても同じだ。彼女と一緒にいて、彼女を護れなかったというのなら、彼女を逃がすための壁となって先にやられたのだろう。
せっかくぶっとばしリストに名前を入れられたのに。
チッと内心で舌打ちしつつ、名前に二重線を引く。
「確証はないわ。さっきも言ったけど、
アレスタが内心の不安を吐露するように、大きくため息を吐き出したときだ。
ピーっと端末が小さく鳴った。
赤外線センサーが近づく熱源を感知したのだ。
しかしそれは綾乃だった。
「どう?」
部屋に入ってきた綾乃にアレスタが訊く。
綾乃は眉を寄せた渋い表情で首を振った。
「会えなかったの?」
「会えたけど……だめだった。絶対おりないって。
もうそろそろ頭も冷えてるころかと思ったんだけど」
ふう、と息をつく。
顔色も冴えず、いつも快活な綾乃らしくなく、めずらしくまいっているように見える。どんな会話をしたかは分からないが、相当こたえているようだ。
「まったく。あの子ときたら、妙なところで頑固なんだから」
何もこんなときに発揮することないでしょう、とアレスタが愚痴る。
「たぶんだけど、昨日の
それを聞いたアレスタが、腑に落ちた顔になった。
「ああ……。あれはそんな単純なものじゃないのに。むしろ、作戦行動中の独断による単独行動で適正がマイナス判定になりかねないわ」
それを報告書に記載するのがアレスタの役目でもあるだけにやるせない思いなのか、声に覇気がない。
「だよねえ」
「これってそんなに深刻な話か?」
2人が同時にため息をつくのを見て、隼人が言った。
「俺が行くまでの時間稼ぎなんだろ。どっちがやってもたいして違いはないように思えるんだが」
「大ありだよ!」
かみつくように綾乃が即返した。
「言ったでしょ、詞為主は神嫁を自分のテリトリーへ連れ込むんだ。そこに外から侵入するには、
熱弁されても、隼人にはいまいちピンとこない。13のときからずっと単独で怨霊退治をしてきていた隼人には、ナイトフォールへ入ることなど造作もなかったからだ。
(あれってそんな難しいことか?)
という考えが、正直ある。
しかし神霊の領域に入った経験はない。できるかと問われたとして、自信を持って「やれる」とは言えなかった。ので、黙って牛乳をすする。
「それに」とアレスタが綾乃の言葉をつなぐ。「あの子と詞為主の相性は最悪なのよ。絃葉ちゃんによると、詞為主は神嫁にずっと問い続けるらしいわ、「それは本当の願いなのか」と」
最初のころ、詞為主は神域に神嫁を連れ去ることはなかった。だから村の者が穴に食糧を届けたり、様子を訊いたりすることができていた。なぜそうしなかったかは分からない。単純に、そのころはできなかったのか、思いつかなかっただけか。しかしだんだんと村の者が邪魔になって、連れ込むようになったのかもしれない。
「詞為主という名前も、そこからついたんだと思うわ。
ともかく、伝承から、常に同じ返答をし続ける間、詞為主は何もしないという結果が得られて、それが対処法と考えられるようになったの」
「未来は適当に流すってできないから。相手の言葉を
いいことを思いついた、というふうに、綾乃がぱちんと手を打つ。
「あんたが行って、あの子を説得してよ」
「……は?」
いきなりボールがこっちへ飛んできたぞ、と驚く隼人に、さらに綾乃がまくしたてる。
「
あの子、裏山にある滝のそばの小屋にこもって
「……いや、話聞いてると俺もアウトだろ。機関の者じゃない、部外者の俺が何言ったって、心に響かねーよ。
第一、俺に説得なんてできると思うか?」
綾乃とアレスタは、じっと隼人を見つめて、また同時にため息をついた。
「そうね」
「言葉足らずなあんたに、繊細な未来の説得なんて無理か」
(……言ったのは俺だけど、納得されるとなんか腹立つな……)
ストローをかみつぶし、むう、と押し黙ったとき。
またもや赤外線センサーが反応して、廊下をこちらへやってくる人間を探知する。
アレスタが音を切ると同時に障子戸が開いて、久利が現れた。
「皆さん。お待たせしてすみませんでした。車の準備ができたので、町まで案内します」
かすかに、微笑と呼べるかもしれない表情と白さの目立つ顔色で、久利は静かに告げた。