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第12回

 昼を過ぎて。村に戻った久利たちを、村の者たちが出迎えた。


 顔についた土汚れを落とす気力もないほど憔悴した久利に、中野がおずおずと声をかける。

「お帰りなさい、久利さん。お疲れさまでした。

 …………それで、あの…………本当に……?」

「うん。絃葉だった」

 聞いた瞬間、中野の目からどっと涙があふれた。

 待っている間じゅう、これは何かの間違いだ、見間違いだと、ずっと思い続けていたのだろう。母親が神嫁として召されたとき、絃葉はまだ小学生だった。以来、家政婦として屋敷へ入り、何かと世話を焼いてきた彼女にとって、絃葉は娘も同然だった。

 そんな彼女が神嫁に選ばれたときは驚き、胸がざわつきはしたが、この村に生まれた女の宿命として、受け入れられることだった。だけども、これは……。


 急に足から力が抜けて、よろめいた彼女を久利が支える。面を上げたとき、彼の後ろを白いシーツがかけられた担架が運ばれていくのが目に入り、引き寄せられるようにそちらへ向かおうとしたが、腕をつかんで止められた。


「見ないであげて。……顔から落ちたんだ。途中で、いろいろ、体のあちこちを岩にぶつけていて……。だから……」


 その言葉に、もう堪えられないというように、中野はわあっと声を上げて泣いた。

すがりつく彼女の丸まった小さな背中をなだめるようにさする久利。彼も疲れきっていた。肉体は当然として、精神のほうも疲労が激しい。

 だが、まだやることがある。

 ずくずくとこめかみの奥でうずく頭痛に堪えながら、久利は中野に尋ねた。


「それで、中野さん。昨夜、俺が連れてきた4人はどこです? 彼らを町へ送っていく約束があって」

 久利の服をつかむ中野の手に、ぎゅっと力がこもる。

「そのことですが、久利さん。実は――」

「……え?」



◆◆◆



 がらりと勢いよく玄関の戸が開いた。上がりかまちがきしみ、ついで、板張りの廊下を早足で進む足音が聞こえて、控えの間にいた使用人があわて気味にそちらへと向かう。


「久利さん、お戻りで」

「伯父さんたちはどこ? 表の間?」

「ご報告ですか? でしたらご来訪を私が伝えてまいりますので、別室で少しお待ちになってください」

「いいよ、直接行くから」

 久利はそう言い捨てると歩く速度を速めて彼を置き去りにし、来客をもてなす表の間――表座敷――へ着くや、ためらうことなく大きく障子戸を開けた。


 そこには絃葉の父・泉燈だけでなく、村の名家の代表の男たちが勢揃いしていた。

 彼らをざっと流し見て、やっぱり、と思う。


「なんだ久利、不作法だぞ。礼を正しなさい」

 久利の父・久行が軽く叱責する。しかしすでに話し合いは終わって、全員が飲み物を手に居住まいを崩しての雑談に入っていたため、すぐに「ああ、いいよいいよ久行さん」「息子さんかい? 大きくなったね。見違えたよ」など、周囲から笑顔で声がかかって、久利の不作法は大目に見られた。


 ここに座れ、との父の手を無視して、久利は泉燈の前へ行き、座った。

「伯父さん。ただいま戻りました」

「うん。ご苦労だった」

 泉燈は口元から湯飲み茶碗を放して言う。

 久利は、彼からの言葉を待つように間を開けたが、泉燈が何も言おうとしないので、再び口を開いた。


「佐藤さんを神嫁にすると聞きました。どういうことですか」

「どうもこうもない。絃葉が死んだ以上、代理となる神嫁がいる。それだけだ」

 泉燈の返答は素っ気ない。

「祭りを中止したらいいでしょう。あるいは、延期するとか。その間に、靖史なり俺なりが、代理に適した女性を見つけてきます」

「中止はしない。延期もだ。神嫁にふさわしい者がいるのに、する理由がない」


「軽率過ぎると言っているんです!」


 なぜ分からないのか、そんなにも冷静でいられるのか。みんなも、なぜへらへらとうれしそうに笑っていられるのか。

 理解できず、久利はついに声を荒げた。

「久利、失礼だぞ」

 久行がいさめるように肩に手を伸ばしてきたが、肩に乗る前に神経質に払う。

「彼女がどんな人かも分かっていないんですよ? 大人の女性が自分の意思で消息不明になるのと、未成年の少女が合宿の途中で行方不明になるのとでは世間の反応が全く違います。ただでさえ、現状彼女たちは丸1日行方不明も同然になっているんです。町へ連れて行き、家族に連絡を入れさせないと、警察に捜索願いを出されるかもしれない」

「連れて行けばいい。彼女たちも安心するだろう。

 いいか、久利。わたしたちも鬼ではない。彼女に強制したりはしていない。いつもそうだろう? 祭りの巫女として参加してもらえるか、ちゃんと承諾を取っている。これまでの女性たちも、自主的に参加してくれた者たちばかりだ」

「それは……でも!」


「佐藤さんもそうだ。わたしは、もう一人のほうでも良かったのだが――なにしろ本人が乗り気だったからな。しかし詞為主さまがじきじきに彼女の前に顕現され、彼女を望まれたとなれば、やはりこれほど神嫁にふさわしい者はいないだろう」

 そうだそうだ、と後ろの男たちが声をそろえてはやしたてた。

 笑顔で、うれしそうに泉燈に同意する父や村の有力者たちを肩越しに見て、久利は小さく舌打つ。

「……ほかの3人はどうするんです? 佐藤さんが戻らないと知って、もし警察を呼ばれでもしたら破滅――」


「そうはならない。

  


「…………ッ!」

 眼光鋭く、ねめつけるような眼差しで見据えられて、久利は戦慄した。憤るよりも先に、背筋が凍った。


 そんなことを平然と口にする目の前の男が、急に知らない男に思えてくる。幼いころからかわいがってくれた伯父、大きな手で何度も頭をなでられ、褒められて。優しく、穏やかな人だと思っていた。

 それなのに――いや、知っているつもりだっただけか。頭の中で勝手に、優しい伯父という姿を作り上げていただけなのかもしれない。


 疑念を持った途端、後ろでわいわいと楽しげに酒盛りを始めた男たちにも、薄ら寒い思いがしてくる。

 ぞっとして、久利はやおら立ち上がった。


 これ以上話しても無駄だ。佐藤さんを説得したほうがいい――そう思い、障子戸の引手ひきてに指をかけて、久利は立ち止まった。

「……伯父さん。1度も訊きませんでしたね、絃葉について」

「それがどうした」

「…………いえ」

 ぐっと奥歯をかみしめ、あごを上げる。

「お役目を受けると言ったときから、あの子は詞為主さまのものになった。由佳里と同じにな」

 泉燈の声が、少し遠くなった。

 12年前のことを思い起こしているのだろうか……。


 久利は振り向かず、無言で部屋を出ると、そっと障子戸を閉じた。




 あそこにいただれも、絃葉の死を悼んでいない。

 20年以上、この村でともに暮らしたというのに。父も、みんなも、絃葉のことを心からかわいがっていると思っていたのに。

 祭りの新しい巫女が決まって、ほっとしている。

 詞為主さまが望んだ者だと、喜んでさえいる。


 屋敷を出た今、ようやく恐怖は薄れて、怒りがじわじわと沸いてくる。

 こみ上がる嫌悪を、ぐっとのどに力を入れて飲み下した。


 彼らを糾弾することはできなかった。

 なぜなら久利も、同じようなものだったからだ。


 屋敷の玄関門に赤羽根の矢が刺さっているのを聞いた泉燈は、すぐに息子の靖史に電話をかけて、絃葉の代理になりそうな女性をリストにして出せと命じたという。それを、絃葉が止めた。

『あたしが神嫁になるから、そんなのいらないよ』

 まるで朝の雑談でもしているように、快活な声で絃葉はきっぱりとそう宣言した。


『だって自分のお役目なのに、ひとに押しつけて、そのあとも平然と生きていける気がしないもん』


 笑顔で、潔斎も進んで行っているように見えた。

 だから久利も、彼女は納得しているのだと思っていた。


 これは霧嶺村に生まれた娘の宿命で、他の家のように、娘が生まれたら村外へ出して、赤羽根の矢が打ち込まれたら代理の娘をだまして穴に下ろすようなことをしない従姉妹を、久利は内心誇らしくさえ思っていた。

 最近になって急に代理を欲しがったりして、失望を感じていたりもしたのだが、それでも絃葉は逃げたりしなかったし、2日後にはちゃんと神嫁として穴に下りてお役目を全うすると信じていた。


 絃葉は神嫁となって山の神、神屋磐伏詞為主のもとへ嫁す。

 二度と戻らない、それは死と同義ではあったが、その死には、村のためという誉れがあった。

 人々から称賛され、こうしてわれわれが繁栄しているのも彼女のおかげだと、何年も人々の心に残って、感謝され続ける。

 それこそが絃葉にふさわしい。


そう、彼女は誇り高く死ぬはずだった。


 だがこれは何だ?


 あんなむごい死に様をさらして、こんな扱いを受けて。

 何の誉れもない。ただ、死んだだけ。

 ただただ無意味に、無価値に、死んだだけだ。



あんな死に方をしなければいけなかった何かが、絃葉にあったというのか?



「……違う」


 あんな死に方をしなければいけなかった責任は、絃葉にはない。絶対にない。

 責任があるとするなら、それは――――――。




 久利はよろよろと、おぼつかない足取りで帰路を歩いた。

 心の中が真っ黒で、今は何も見えなかった……。

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