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第11話

 絃葉の父、石動 泉燈せんどうによって、速やかに絃葉救助隊が組まれた。


 絃葉が滑落した場所は山の途中から突き出した巨石で、その下は鬱蒼うっそうと茂った森だ。時折、露出した岩肌から剥がれた小石がカラカラと落ちる音が聞こえる。いつあの巨石が崩落するとも限らず、危険な場所として普段からだれも近寄らない場所だった。


 人が入れる道もないため、担架で運び出せるような、なるべくなだらかな場所を選んでなたで切り開いていくしかない。そのため、選ばれたのは20代の村の若者たち8人だった。

 全員が絃葉とは物心ついたころからの友人で、一緒に学校に通ったり、遊んだりした仲だ。その中には、久利もいた。


 木々で隠れて見えないが、巨石の下は、崩れた小石などが積み上がった岩場だ。そこに落ちたなら、まず助からない。

 救助と名前は付いているが、実際には遺体の回収だと、全員が知っていた。

「久利さん……絃葉さんを……」

「必ず連れて戻ってきますから。どうかお屋敷で待っていてください」

 準備を終えた久利は、涙で目を真っ赤にした中野の肩を軽くたたいて慰めると出発した。



◆◆◆



 沈痛な表情をした村人たちに見守られながら出発する8人。

 その光景を、隼人たちは少し離れた場所から見ていた。

 絃葉は知り合いで一宿一飯の義理もあったが、まだ関係は浅く、どんな人となりの者かも知らず、あの輪の中に入っていって彼らと悲しみを分かち合えるほどではない。


 それよりも、隼人たちには対処すべき事態が起きていた。


 発端は、未来が口にした言葉だった。

 村の者たちの前で、犯人に心当たりがあると口走ってしまったのだ。


『昨夜そんなことがあったなら、なぜすぐに私たちを起こして報告しなかったの!』


 遅れて知ったアレスタは激しく叱責した。激怒していたと言っていい。隼人は初めて見る姿だった。

 数日前、目の前で人を殺され、救えなかったことで隼人が荒れたときも彼女から叱責を受けたが、そのときの比ではない。

(おっかねえな)

 と、となりの綾乃に視線を流す。視線に気付いた綾乃は目を伏せて、軽く肩を竦めた。これは怒られてもしかたないと考えているのだろう。


 未来は言い訳をせず、「ごめんなさい……」とだけ小さくこぼして、うつむいていた。


 アレスタが怒っているのは主に、村人たちの前で口走った言葉についてだった。

 つい口にしてしまった、迂闊うかつだったと未来も認めたが、出た言葉は返らない。


『とにかく、なんとかこの状況を打破しなくては……』


 そのとき、ちょうど部屋に中野が呼びにきた。ついて行った先は広い和室で、そこには泉燈ほか村の重鎮と分かる12人の男たちがいた。

 上座に泉燈が座り、対面位置で他の男たちが座っている。下座の入り口に近い半数はスーツ姿で、髪も整えられ、洗練された風貌で正座をしている。残る奥の半数は、着慣れた普段着姿であぐらをかいており、普段から村に在住の者たちだと分かった。村の中でも格差があるのだろう。


 男たちはアレスタ、綾乃、未来を順に見て、「どの方ですか?」と泉燈に問うた。

「黒髪のお嬢さんだ」

 泉燈が答え、中野に手を振って見せた。

 中野は未来の手を取り、泉燈と同じ、上座に用意された座布団の元へ誘導する。他の3人は、障子戸の前に並べられた座布団に座れということだろう。まるで使用人のような扱いだ。

 自分だけ扱いが違うことに未来はとまどっていたが、3人が従っているのを見て、ためらいながらも与えられた席へつく。そして自身へと集中した視線――それは彼女を品定めするような、無遠慮なものだった――に、恐縮そうに肩を縮めて視線を畳に落とした。


「佐藤未来さん、だったか。きみが見たものを、わたしたちに話してくれ」


 どきん、と心臓が強く波打った。

 思わずアレスタに視線を向けるが、アレスタは視線を落として無表情だ。何を考えているか分からない。

(どうしよう……)

 胸がドキドキして、きゅうっとなって、緊張に手が汗ばむ。

(どう言えばいいの? あれは夢でしたと言えばいい? 何が正解なの?)

 これ以上アレスタを怒らせたくない。かといって、彼らをごまかせる自信もない。

 どうすればいいか分からないまま、無言の圧にこれ以上堪えられずに、未来はひざの上の手をぎゅっと握り込んで、口を開いた。


「……昨夜、庭に……とても美しい、男性の神霊がいて。まっすぐの、長い髪をしていて、白目も真っ黒で……黒い和装を、していました……」


 未来のつたない言葉を聞いて、とたん、男たちがざわついた。見るからに動揺していた。

「言い伝えにあるとおりだ」

詞為主ことなぬしさまだ」

「ああ、間違いない。詞為主さまがお姿をお見せになられるとは……」

 興奮気味に話す彼らが詞為主の姿を知っていることに驚きはなかった。霊が視える人が限られるのは、単純に言えばこの物質世界にあって、存在を示すだけの質量がその霊にないからだ。たまたま波長が合う人間に限られる。しかし神霊級ともなれば、自在に視せることも視えなくすることも可能。

 今回のようにそぞろ歩いているのをこれまでにも目撃した者がいたのは想像がつく。


「武田の若夫婦も、岩の上で見たと言っていたが……」

「つまり詞為主さまは、絃葉さんでなく、この娘を望まれていると?」

「新しい赤羽根の矢を見たか?」

「いや。うちにはなかった」

「うちにもないぞ」

「うちもなかった」

「つまり、どの家にも打ち込まれていないということは、お役目はまだ石動さんのとこだということだ」

「うむ。間違いないな」

 互いの見解が達したところで彼らの視線がおのずと泉燈へと向く。

 結論は頭屋である泉燈が出すべきという考えなのだろう。

 泉燈は長く目を閉じて思案していたが、やがて決意の表情で重々しく口を開いた。


「祭りは予定どおり行う」

 おお、と老年の村の男たちから安堵の声が漏れる。

「お嬢さん。祭りは2日後だ。絃葉の代わりを今から手配するのは不可能だ。

 どうか、詞為主さまへわれわれの声を届ける巫女役を、お嬢さんに引き受けてもらえないだろうか」

「…………あ、あの……」

 そのときだ。



「待ってください!」



 綾乃が声を張った。


「わたしもその男を夢で見ました。巫女になる資格はわたしにもあると思います。

 それに、わたしは月読見神社の巫女です。その子より、わたしのほうがふさわしいでしょう」


 全員の視線が自身に集中したところで立ち上がり、堂々と述べる。

 うそだ、と即座に未来は思った。

 両脇のアレスタと隼人を見るが、2人は口を閉ざしたままだ。2人とも、綾乃がうそをついていると分かっているのに。


 当たり前だ。最初から、そういう計画なのだ。

 綾乃が巫女になり、穴へ入って詞為主と対決する。



 なぜなら、綾乃は執行人ブレイカーで、未来はその補佐役、献舞者デディケーターでしかないから。



 だれも、未来にそれができると思っていない。

 アレスタも、隼人も。

 そして、泉燈や村の人たちも。綾乃の堂々とした振る舞いと、気迫を感じ取って、呆けたような緩んだ表情で綾乃に期待の眼差しを向けている。

 未来より、彼女のほうが巫女にふさわしいと。


 そう、思い知ったとき。


 激しく痛んでいた胸の痛みが、ふっと消えた。

 まるで、がらんどうになってしまったように。

 動悸が消えて、意識が冴える。


「いいえ。彼の元へ向かうにふさわしい巫女は、わたしです。

 詞為主さまは、わたしを見て、おっしゃいました。『おまえか』と。そして手を差し伸べられました。

 あのお方が望んでおられるのは、わたしです」


 アレスタの緑の目が怒りに色を深める。無表情でも、彼女が怒っているのがわかる。

 綾乃も驚きに目をみはっている。

 けれど、未来はもう気にならなかった。



 正しい言葉を口にできと、むしろ誇らしい気持ちが湧いてきて。軽くなった胸に、自然と笑みが浮かんでいた。


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