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第10回

 翌朝。障子戸を透かせて差し込む朝日の中、布団の中で天井を見上げながら、未来は昨夜起きたことについて思いを巡らせていた。


 結局、あれから眠れなかった。ふわふわとした気怠い眠気が残る中とはいえ、こうして朝の光の中でいると、夢の中の出来事だったように思えてくる。

(でも、夢じゃない……)

 庭に男性の霊がいた。ただの霊じゃない、神霊級の霊だった。


 しかし位が高いということと人間に好意的であるということはイコールではない。神霊のたわむれに振り回されて破滅した人間の伝承・伝説は世界的に数多く存在し、枚挙に暇がないほどだ。

 笑みを浮かべていたが、その笑みの持つ意味が人間のそれと同意であるとも限らない。伸ばされた手を警戒して、急ぎ結界内(室内)へ逃げ込んだ。追ってこられるのではないかと胸をどきどきさせながら振り返ったがその気配はなく、もう周囲のどこからも彼を感じ取ることはできなかった。


(あれほどの強力な霊ならこの程度の結界を破るのなんか、簡単にできたはずなのに……)

 そもそもなぜあんな所にとどまっていたのか。こんな結界程度、何の障害にもならなかったはずだ。

 全然分からない。

 はたして敵か味方か。いっそ、ただの通りすがりの神霊であってほしい……。


 心からそう願っていると、となりの布団で横向きになって寝ている綾乃が「んん……」と小さく声を発して、肩を揺すった。

 ごろんとこちらへ向きを変える。

「おはよ」

「……おはよう」

 身を起こし、うーん、と伸びをして、目覚めたばかりとは思えない快活さで言った。

「おなかすいたね!」



◆◆◆



「あーあ。いやな夢見ちゃった」

 眠そうにあくびをする綾乃と一緒に洗面所へ向かう。

「未来は? 大丈夫だった?」

「わたしは……」

 どうしよう? 昨夜のことを話すべき?

(でも、べつに何かされたというわけでもないし……話すことなんて……)

 それに、話すなら4人そろっての場のほうがいい気がした。

 かといって、ここで「何も」と答えるのは、うそをつくことにならないだろうか。


 そんなことを考えて返事が返せずにいた未来だったが、結果的に、返す必要はなくなった。前方から歩いてくる隼人が見えたからだ。

「ハヤト、おっはよー。もう洗面済んだの? 早いねー」

 綾乃の気がそちらに逸れて、呼びかけに応じた隼人との間で軽い雑談が始まる。

「あの金髪おん……アレスタは?」

「アレスタならまだ寝てるよ。

 それよりさー、聞いてよ。あたし、いやなやつに絡まれて追っかけられる夢見ちゃったんだけど。ハヤトはそういうのなかった?」

「……ない。けど、夜中に変な気の乱れは感じた」

「乱れ?」

「庭だ。ちょうど縄筋が走っている、あの辺り」

 隼人が指さしたのは、まさに昨夜、あの神霊が立っていた場所だった。

「確かめに行こうとしたら、消えちまった」

「ふーん。あたしは寝てたから分かんないや。

 未来は? 何か感じた?」

「……わたしは……」

 どうしよう? 言うべき?


 迷っていると、突然がらがらと玄関の開く音がして、駆け込んできた者たちの立てる音とともに、母屋のほうが一気に騒がしくなった。

 数人の人が同時に話している声が聞こえるが、離屋であるこちらからは遠くて何を言っているかまでは分からない。ただ。

「……深刻そうだな」

 しかも悪い方面での、と隼人がつぶやいた。


 話す声の調子からそれと察することはできたが、かといって、聞きに行くのはためらわれた。

 自分たちは今のところ完全に部外者だ。ここのだれともつながりのない身でしゃしゃり出て、余計なことに鼻を突っ込むなと言われたりしないだろうか……。


 迷っているうちに、ふらりと隼人がそちらへ向かって歩きだした。

「ちょっと、どこ行くの」

「見に行くんだよ。向こうから話しに来るわけねーだろ」

「それもそうか。

 じゃあ、あたしも行く」

 綾乃が隼人に続くのを見て「わ、わたしも」と遅れて未来もあとを追う。

 廊下を進むうちに話し声はだんだん大きくなり、やがて何を話しているかが分かり始めた。




「とにかく少し落ち着いてくださいな。絃葉さんが、どうしたんです?」

「だからっ! 落ちるのを見たんですってば! あれは、絃葉さんで間違いないです!」

「人を集めてください! 捜索隊を出そう! 早く助けに行かないと!」


 何かあったんですか、と気軽に声をかけられる雰囲気ではない。

 少し離れた場所で足を止めて気配を消し、陰から彼らの話に耳をすました。


 そこにいたのは家政婦の中野と、知らない中年の男女だった。途中からなので状況は分からないが、2人は夫婦で、早朝の散歩だか畑へ向かう途中だかで目撃したようだ。そこは木々が生い茂る中、突き出すように出た巨石の上で、足元に落ちた巨石の影に人の影みたいなものがくっついていることに気付いた女が、巨石を見上げると、そこに絃葉らしい人が立っていた。「絃葉さん、そこは危ないですよ」と声をかけ、手を振ったが、絃葉はこちらを見もしない。聞こえないのかと、もう少し声を張ろうとしたとき、絃葉が見つめているものに気付いた。


 木々の間にいるそれは、人影のように見えたが、下から見上げていることもあり、巨石で隠れて姿のほとんどが見えず、女には分からなかった。


 「お父さん、あれ」と、少し先を行っていた夫を呼び止め、巨石の上を指さした。直後、それが絃葉に向かって歩を進めた。

 絃葉は、その人物が伸ばした手に抗った。相手に向かって何か言い、そして距離を取るように後ずさって右足を後ろに引いた直後、突然足下の巨石の一部が崩れた。踏み場を失った絃葉は驚愕の表情を浮かべたが、後ろに傾いた体はどうしようもない。

 絃葉は何か叫んだようだった。おそらく「助けて!」だろう。巨石の上に残る人物に向かって遮二無二手を突き出したが、その人物は彼女の手をつかもうとする動きも見せず、ただ落ちていく彼女を見ていただけだった。

 絃葉の姿は山の緑に消えた。


 下は岩がむき出しになった岩場だということを、3人とも知っていた。落ちればまず助からない。


「それは……それは、だれだったんです?」

 口元を手で覆い、蒼白した顔で問う中野に、男女は互いを見合って視線を合わせ、ぶるぶると首を振った。

「分からんのです。ほんとに……」




(……え? ………………ええ?)

 未来は混乱した。

 計画では、昨夜、絃葉の代わりに綾乃がお役目を果たすことを認められなかったら、他チームの澤田と辻がこっそり絃葉を村外へ連れ出す手筈だった。

 それがなぜ、こんなことになっているのだろう?

「……こんなだったっけ?」

 綾乃も同じことを考えていたのだろう、ぽつり疑問を口にする。

 それを聞きつけた隼人が、綾乃たちをギッとにらんだ。


「昨夜の様子から、まだ何かあるとは思っていたが、まさか……」

 硬く引き結ばれた口、穏やかでない雰囲気に、隼人が何を考えたかをさとった綾乃は急いで首を振る。

「違うって。そんなことしないよ! あたしたちは人を護る組織なんだから、するわけないでしょ!」

 ひそめた声ながらもはっきり強く言い切ると、隼人は、だといいがと言うように小さく鼻を鳴らした。

 それを見た綾乃が、目をすがめ、むう……と口先をとがらせる。

 2人の間の険悪な空気を感じとった未来が、中野たちに気付かれて見つかる前にとりなそうと、「綾乃ちゃん」と綾乃の肩に手をかけようとしたときだった。


 直後、聞こえてきた言葉が、未来を凍りつかせた。


「ただ……髪が長くて、男物の和服を着ていたような……」




「未来?」

 肩に手をかけようとしたまままの姿で硬直して震えている未来に気付いた綾乃がいぶかしげに声をかける。

 だが未来は綾乃の声も聞こえていない様子で、蒼白した表情のまま、ふらりと一歩後退した。板張りの廊下がきしむ音を出して、中野たちも彼らに気付く。

 未来はそのことに気付いておらず、カラカラに乾いたのどをこすりながら唾をどうにか飲み込み、震える声で告げた。


「わたし……わたし、その人、知ってるかも……」



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