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第9回

 絃葉に案内された部屋に並べられていた食事は、やはり山菜メインの精進料理だった。


「ワオ! これはお膳デスネ!」

 アレスタはまたもや片言日本語の外国人のフリに戻って、古き良き日本文化に目を輝かせている。うれしそうに一番乗りで座布団に正座した。

「ごめんね。うち、今父が潔斎中だから、こういうのしかなくて。香草もだめだから味に刺激がなくて、学生さんにはちょっと物足りないかもだけど、そのかわり、おかわりはいくらでもしてくれていいから」

「いえいえ。すごいですよ。うちもよく精進作るんですけど、いろいろ手間がかかってもう大変で。

 これ、全部絃葉さんが作られたんですか?」

 柚子と白味噌のふろふき大根、飛竜頭、里芋の精進煮、ごま豆腐、きのこ汁と、赤の漆器に彩りよく盛られた料理を見て、綾乃は感心しきりだ。


 絃葉は、あははと笑うと手を振った。

「まさか。わたしなんかじゃ、とてもじゃないけどこんなきれいにできないわ。一応わたしも手伝ったけど、ほとんど中野さんが作ってくれた物ね」

「中野さん?」

「うちの家政婦さん」

 そのとき、廊下側の障子戸がすーっと開いて、飯櫃めしびつを抱えた割烹着姿の中年の女性が現れた。


「……何ですか?」

 全員の視線が自分に向いていることに気付いた女性は、とまどい気味に視線を巡らせ、絃葉を最後に見る。

「お母さま、デスカ?」

「ううん。彼女が中野さん。母が12年前に亡くなってから、家のことをいろいろ手伝いに来てくれるようになったんだ。もう子どもじゃないのにね」

「私から見れば、靖史さんも絃葉さんも、まだまだ子どもですよ」

 理解した中年女性は、ほっとしたように緊張を解くと、飯櫃を下ろして座った。

「さあさあ、皆さんお席について。そろそろ旦那さまがいらっしゃいますよ。

 絃葉さんも」

「はーい」


 言われるまま、アレスタのとなりに未来、綾乃、そして「あんた、お昼も食べてないでしょ」と綾乃に強引に引っ張ってこられた隼人が座る。

 絃葉は向かい合わせの反対側に座り、一番の上座は空席だった。

 そこに座るのが誰かは、言わずとも知れている。

 みしみしと板張りの廊下をきしませながらこちらへと歩いてくる人の気配がして、障子戸に大柄な人影が映る。すっと音もなく障子戸が開いて、和装の厳格そうな中年男性――この家の当主・石動 泉燈せんどう――が現れるや隼人たちを横目で見た。


 視線を合わせたアレスタが、にこりと笑顔を見せる。

「お父さまデスカ? ワタシはアレスタ・クロウいいマス。この3人ハ――」

「久利くんから聞いています。なんでも、道に迷われたとか」

「ハイ」

 泉燈はまっすぐ上座の空いた席へ向かい、座った。彼が座るのを待って、中野が茶碗によそった茶飯を彼の元へ運ぶ。

 中野が順番に茶飯をよそった茶碗をそれぞれに配る間に、アレスタは久利にしたのと同じ説明をした。ここから十数キロ離れた場所にある町の名前を出し、そこにあるセミナーハウスを利用して部活の合宿していたことなどだ。


「父さん。この人たちね、神職・巫女検定試験受験のための勉強をしてたんだって」

「ほう?」

「ハイ。この3人ハ、3人とも、神社トお寺の子たちなのデス」

「それで、ここでもうじき祭りがあるって話したら、神事を見たいって」

「話したのか、あれを」

 とたん、泉燈が苦虫をかみつぶしたような表情になる。


「お祭り! お父さまが、トーヤ? をなさるトカ。ゼヒ、見たいデス」

 無邪気なアレスタのアピールにも渋面は崩れず、泉燈は言った。

「あれは、あなたが思っているようなものではありません。屋台などもありませんし、見世物となるようなものもありません。参加されたところで退屈なさるだけでしょう」

 茶飯が全員に行き渡ったところで手を合わせ、箸をとり、黙々と食事を始める。


「そこをなんとか。後学のためにも見せていただくことはできないでしょうか」

「あなたは?」

「あたしは、藤井綾乃といいます。母が月読見つくよみ神社の宮司をしていて、いずれはあたしが後を継ぐことになっています。そのため、今は巫女見習いとして勉強中の身です」

「ほう。お若いのに、それは殊勝な心がけですね。あなたのような跡継ぎがおられて、お母さまもさぞ心強いことでしょう。

 しかし、あれはこの村の者だけが参加できる神事です。残念ですが、村外の者をご招待するわけにはまいりません」


「えー? そんなことないでしょ。前回のときだって、孝助くんが連れてきた女の人が参加するの、許してたじゃない」

 会話に口を挟んだ絃葉を、泉燈がにらんだ。

「あれは、孝助くんの婚約者だったからだ。村の者になるのだから問題はない」

「でも、結局ならなかったじゃない。

 それで考えたんだけど、あの人たちのだれかに、お役目をやってもらったらどうかな?」


「絃葉! またおまえはそんなことを!」

 いら立ち、泉燈が声を荒げる。

「お役目をすると言い張ったのはおまえだぞ? 靖史が選んだ代理も断って! なのに、今になってそんなことを言い出すのか!」

 大柄で強面の泉燈が不機嫌に声を荒げる姿はなかなかの迫力だったが、家族として慣れている絃葉は肩をすくめただけで軽くあしらい、会話を続けた。

「そのときはほんとにそう思ったのよ。だからきちんと潔斎もしてたじゃない。

 でも、気を変える権利はあたしにもあるでしょ」

「だから今日も町へ下りていたというのか! 久利くんから聞いたぞ! おまえのわがままに久利くんを巻き込むんじゃない!」

「……あの告げ口魔め」

 ぼそり、久利への不満をつぶやく。


「とにかく。祭りに興味があって、見たがってて、しかも巫女見習いなんだから、彼女のほうがあたしより適任じゃん。

 ねえ、中野さんもそう思わない?」

 突然話を振られた中野は、目を丸くして数瞬の間をとった後、ためらいがちに答えた。

「さあ、わたしは……。お決めになるのは、頭屋の旦那さまですから……。

 それより、お二人ともその話はそこまでにしましょう。お食事がまずくなりますよ」

 ちらりと隼人たちに視線を投げる姿に、彼女が何を言いたいかをさとった泉燈は、ううむと口をへの字にする。絃葉は不服そうにため息をついたが、逆らう言葉は口にしなかった。


 隼人はあごを引き、2つ向こうのアレスタに前髪で隠れた視線を送る。無邪気な外人を装ってさらに一押し、空気を読まずに話を続ける発言をするかと思ったが、意外にも彼女はそうする様子を見せず、泉燈が「それで」と話を向けてきた別の話――合宿のことや検定試験について――への受け答えをしていた。

 この場はここまで、ということだろう。

 ここで言質を取らないということは、まだ何か考えていそうだなと思いつつ、汁物をすする。

(薄い……)

 見た目はきれいだが、全てが薄味でもの足りない。肉がほしい。がっつり歯ごたえがあるやつを食べたい。

 あとで抜け出してコンビニで、ということもできない山奥の村であることに、隼人は絶望的なため息を心の中で吐き出した。



◆◆◆



 夜中。

 急な尿意を感じて目を覚ました未来は、そっと部屋を抜けて御不浄に向かった。

 古い日本屋敷であることから、覚悟して入ったが、意外にも水洗であったことに驚き、安堵する。

 用をたして余裕が生まれて、ほっと一息つく。タオルで手を拭きながら、足元に差し込んだ月の光に誘われるように庭へ視線を転じた。


 白い月が、美しく手入れされた日本庭園を明るく照らしている。その光景に見とれながら、未来はなんということもなく、今日の出来事を振り返っていた。

 試験に落ちたこと。ドアの前で盗み聞きしたこと。そのときの綾乃の言葉。車内での綾乃と隼人のやりとり。部屋での隼人と綾乃のやりとり……。


 隼人の機嫌が悪いのは、未来も感じ取っていた。でも、何と声をかければいいか分からず、夕飯はいらないと言い捨てたときも、声が怖くて、体がすくんで、どうしたらいいか分からなかった……。

 どうしてあんなふうにできたのか、あとでこっそり綾乃に聞くと、「父や弟がいるからね。機嫌の悪い男の扱いなんか、慣れっこだよ」とカラカラ笑って言っていた。

 未来には父も兄弟もいないからぴんとこなかったが、そういうものなのだろうか?


(綾乃ちゃんは、すごいな……)

 そう思うたび、胸の中で何かがねじけて、きゅうっとなる。冷たく凝り固まった何かがのどを通って腹の底に落ちて、そこで根を張っているような、嫌な気分。


 食事のときも、あの恐ろしい父親を相手に平然と話をしていた。未来は、怖くて一言もしゃべれなかったのに。


 ふう、とため息をこぼして、部屋へ戻ろうと庭に面した片廊下を歩いていたときだった。ふと、庭にだれかがいる気配を感じて目をそちらに向けると、長い黒髪に古めかしい和装をした男性が庭の中ほどで立っていた。


 一目で、人でないと分かった。

 この屋敷は斜めに縄筋なおすじが通っていて、ちょうど庭と、自分たちの部屋の一部が重なっている。だから絃葉たち家人は無意識にこの付近の部屋を避けているのだと知る未来は、霊障避けに部屋に結界を張ってあった。それでも変なことが起きたり悪夢を見るかもしれないが、みんなそういうことには慣れていて、耐性のある者ばかりだ。自分で対処できる。


 しかしここは結界の外だった。

 おそらくこの霊は縄筋を通って山へ向かっていた霊なのだろうが、結界で縄筋が遮られているから、ここでとどまっているのだろうと見当をつけた未来は、彼を刺激しないよう、気付かれないうちにそっと廊下を通り抜けようとする。

 だが霊は、すでに未来に気付いていた。

 肩越しに振り返った霊と、視線を合わせる。


 昏い闇の目と見つめ合った瞬間、未来はこの霊がただの霊ではないとさとった。

 目をみはり、声もなく。息を呑む彼女に、霊は口元をほころばせ、告げた。





 まるで、気が遠くなるほどの時間、離れていた、愛する者を見つけたときのような情熱の声で――。


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