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第6回

「お夕飯の準備ができたら呼びにくるから、それまでゆっくりしててね」


 4人が案内された部屋は12畳ほどの和室で、中央にふすまがあり、隣室と区切られていた。昔は正月など一族が集まるときに、宴会場として使用されてきた部屋ということだった。

「今はもうそういうこともめったにないからほとんど使ってないんだけど。

 だからあたしたちが普段使ってる部屋からはちょっと遠いんだけど、今は斎日いみびで父も母もピリピリしてるから、ここのほうがあなたたちもくつろげると思うわ」

「いろいろとお気遣い、ありがとうございます」

 未来が丁寧に頭を下げると絃葉はあははと笑い、手を振って部屋を出ていった。


 絃葉の気配が十分遠ざかってから、隼人が口を開く。

「それで?」

 しかし綾乃が「しっ」と口の前に人差し指を立てた。

 アレスタが渡した何かを未来が部屋の四隅に置く。結界を張るための術具、ではない。文明の利器、赤外線センサーだ。

 機関職員のみに配布される小型情報端末を操作して周囲に人の熱源がないことを確認したアレスタは、「いいわ」と応じた。

「俺が連れてこられた理由は何だ?」

 隼人は端的に質問をする。

「あの絃葉って女が話してた、祭りに関係してるんだろ?」

「そうよ。簡単に言えば、その祭りの祭神・神屋磐伏詞為主かむやいわふしことなぬしを、あなたたちに滅してもらいたいの」


 聞いた瞬間、隼人の目がこれ以上ないほど見開かれた。

「ちょ、それってまさかあのお山のヌシか!? しかも名を持つ神かよ!?」

 驚き、動揺を隠せない。こんな隼人を3人は見たことがなかった。

 しかしそうなっても無理ないことだ。お山の主は、そのお山に特別愛され、力を分け与えられたものを指す。その上で『名を持つ』ということは、お山の恩恵にあずかって生きる人々から長い年月敬われ、あつく信仰されてきた存在ということなのだから。


 人々に信仰される『神』を滅するなど……たとえそれができたとして、どんな障り――いや、相手が神であるなら、これはもうたたりと言っていい――を受けることになるか、知れたものではない。


 だからこれだけ警戒しているのか、と隼人は納得した。

 ここは氏人の村だ。

 神を滅しにきたと知られたら、ただではすまない。



「詞為主は、ここに開拓村ができる前からこの地に住む人々に信仰されていたのよ」



 はじまりは平安時代までさかのぼる。

 当時、徒党を組んでこの近辺の村々を荒らし回る悪鬼がいた。残虐非道なその悪鬼は、老人子どもの区別なく人々を殺し、食糧を奪い、女をさらった。

 悪鬼はとても大きく、強い力を持っていて、人々が束になってかかってもかなわなかった。

 村人の非力さを悪鬼は嗤い、そうして奪った財と食糧でますます力をつけていった悪鬼は、やがてたわむれに赤羽根の矢を放ち、襲撃する家を決めるようになった。

 皆殺しになりたくなかったら自ら門扉を開き、家財を渡せということである。赤羽根の矢が立った家の者は、泣く泣く家を明け渡して難を逃れるほうを選んだが、家財一切を失ったその先に待つものも、また悲惨な運命だった。


 そうして好き放題に暴れていた悪鬼たち一味だったが、やがて年貢の納め時がきた。

 彼らの悪行は都にまで届き、朝廷から悪鬼退治の検非違使けびいしと術士が派遣されてきたのだ。


 悪鬼の仲間たちは検非違使によって次々と成敗され、ついに悪鬼1匹となった。激怒した悪鬼は暴れ回り、その剛力を前にさすがの検非違使たちも歯が立たず、数を減らしていった。しかしそんな悪鬼も術士に仕える式鬼や、術士の放つ摩訶不思議な術には対向するすべを持たず、敗走の果て、ついには山の洞窟へと追い詰められたのだった。

『おのれ術士め! きさまなどにやられてたまるか!』

 悪鬼は自分を追い詰めた術士を憎悪に赤く燃えた目でにらみつけると、自ら洞窟にあいた穴へ飛び下りた。穴は深く、中は真っ暗だった。村人が、この穴はどこにも出口はないと言ったため、術士は穴を岩でふさぐことで悪鬼をそこに封じた。



「まあ、よくある昔話ね。式鬼を使役していたということで朝廷から派遣されてきた術士は安倍晴明だという説もあるけど、時代の寵児、安倍晴明伝説は各地にあるから。話に箔を付けようと、あとで盛った可能性もあって、信ぴょう性はないわね」

 アレスタは肩をすくめ、話に戻った。



 悪鬼は山の洞窟の穴に封じられた。術士は「決して岩をどかさないように」と言い渡して都へ帰っていった。

 人々は、穴の中で悪鬼は生きていると考えた。

 穴をふさいだ岩に耳をあてると苦しげに世を呪う悪鬼の声が聞こえると言い、おそれおののき、その呪いが自分たちにふりかからないよう、慰撫いぶするために悪鬼を祀るようになった。

 神として手厚く祀り、あがめることで鎮め、守護神と為す。これも、古来より行われてきた手法である。



 悪鬼は祀られ、お山の神と成った。



 やがて明治維新で新政府が樹立し、士族授産事業が興ってこの地にも開拓民が入植してきたが、人々のお山の神に対する信仰は消えなかった。そして、そうした近隣の村の者たちとともに飢饉ききん旱魃かんばつ、伝染病といった凶事が起こるたび、洞窟の岩の前に行き、どうか鎮まりくださいと手を合わせて祈るうちに、この伝承は開拓村――霧嶺村の住民たちの中でも語り継がれるようになったのである。


 おそらく、この地で林業を営もうという計画を持つ霧嶺村の者たちは、最初のうち、木を切り出すことによって山の神に対する信奉が篤いこの地の者たちの反感を買うことを恐れたのだろう。そして彼らと交流を深めることで山の神信奉が根付き、氏人となったあとは、山の神の怒りを本当に恐れるようになったのではないだろうか。


 そうして敬虔な氏人となった霧嶺村のだれかが、お山の神を慰める一環として、お山の神に花嫁を贈ることを思いついた。

 村の者を花嫁にしたなら、お山の神ももっとわれわれに対して思いやりを抱いてくれるに違いないと考えたのだろう。


 最初に選ばれたのは、村の巫女だった。

 神嫁となって村の者の願いをお山の神に伝えるのに、巫女ほどふさわしい者はいない。


 神主による祈祷ののち、岩が外され、数百年ぶりに穴が開いた。花嫁装束をまとった巫女の座った神輿が下ろせるくらいに穴は広げられ、巫女は村人たちから願いを託されて、わずかな食糧と薪を一束、火打ち石を持って下ろされた。



 神嫁という名の、人身御供である。



 火が見え、1日1度呼びかけて穴の中から声が返れば食糧を下ろす。しかしやがて火はともらなくなり、返事が返ることもなくなった。神嫁は、神と同じ存在になったのだと解釈された。

 そして神嫁を出した家は繁栄した。事業を興せば必ず成功し、富と名誉を得たことが、さらに彼らを確信させた。この行為は正しいと。


 いつしかお山の神は神屋磐伏詞為主かむやいわふしことなぬしとの名で呼ばれるようになった。それは、お告げだったとも言われている。『お山の神様』というぼんやりした存在ではなく、明確に神屋磐伏詞為主かむやいわふしことなぬしという『名を持つ神』となり、穴へ巫女を下ろすことは凶事の有無に関係なく、神を敬う祭祀の一環となった。


 年に1度だった祭祀は、やがて2度、3度となり、赤羽根の矢を玄関先に打ち込まれることを合図に行われるようになった。矢を打ち込むのは神であり、神が神嫁を求めているのだ、との解釈である。そして神嫁は、赤羽根の矢が打ち込まれた家の者とされ、嫁するのは神に選ばれた名誉とされたのだった。


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