「しかも真っ暗だし! 今何時だ!?」
まだ憂喜に電話してない、待ち合わせ時間過ぎてるんじゃないか、とあせる隼人は、助手席から出てきて「あの……、安倍くん」と声をかけている未来の控えめな声に全く気付いていなかった。
公衆電話を求めて頭を右往左往させる隼人に、「こら!」と綾乃の手刀が落ちる。
「いってーな! 何すんだよ、茶髪女っ」
「いいから落ち着けって。
あんたが寝てる間に未来が伊藤憂喜に電話で連絡取ってるから大丈夫だよ」
「そうなのか?」
振り返った隼人からの強い視線を感じて、未来はどぎまぎしつつも
「う、うん。事情を話して、利根川の花火大会を話すと、憂喜くん、わかった、って……」
と電話の内容を話す。
「そうか。ありがとう」
「いえ……」
恐縮そうにうつむく。
未来はおとなしい性格で人見知りが強く、クラスメイトとはいえまだ隼人とは、よく話しかけてくれる優しい憂喜のように親しく話せなかった。仕事のことなら普通に話せるのに、それ以外だと言葉がのどに引っかかってしまう。
反対に、綾乃は違った。
「まーたあたしのこと茶髪女って言った!」
隼人の口端をつかんでめいっぱい引っ張る。
「ひとのこと、記号で呼ぶのはやめな! 機関の人間のあたしたちとなれ合いたくないとか、一緒にいるのは不本意って考えの現れかもしんないけど、それって子どもっぽいって思わない?
いいかげん、腹を決めなよ! 経緯がどうあれ、こうして一緒に行動するのは、自分で決めたことでしょ!
あたしは藤井綾乃! 今度茶髪女って言ったら、あんたのことはボサボサ頭って呼ぶよ! いいね!」
隼人は綾乃を見、真っ向からぶつけられた正論に言葉を失う。そうして自分の態度を鑑み、子どもっぽいと言われたことに恥じるようなそぶりを見せたあと。
「……悪かった」
とつぶやいた。
その謝罪を受け入れるように、綾乃は大きくうなずく。
「それなら、おまえもひとのことフルネームで呼ぶのやめろ」
「いいけど。何て呼んでほしい?」
「名前でいい」
「じゃあハヤトね。あたしも綾乃でいいよ。
未来もそれでいいよね?」
「えっ、……あ。あの、……うん」
うなずいてから、つまり今度から隼人に名前で呼ばれることにOKを出したのだ、ということに気付いた。
今まで男の子に名前で呼ばれたことなんか1度もないのに。
隼人に呼ばれるのを想像しただけで顔が熱くなる。今、暗くて良かったと思った。
そんな未来のとまどいには全く気付かず、隼人が綾乃に尋ねる。
「で、なんでこんな何もないとこで車止めてんだ?」
「ちゃんと計画があるのよ。あんたはグースカ寝てたから分かってないけど」
「計画?」
「そうよ」
答えたのはアレスタだった。
それまでボンネットの中をいじっていたアレスタが顔を上げてボンネットを閉じる。そして道の下のほうへ視線を流した。
視線を追ってそちらを見ると、チラチラと光が明滅しながら移動していた。左右に振れて、蛇行しているような動きから、山道を上ってきているのだと分かる。ちらついているのは、おそらく斜面の木々を挟んで見ているからだ。速度的に、車であるのは間違いない。
「来たわよ。さあ、3人とも車に戻って」
そう言いながら、アレスタ自身はボンネットに軽く尻を預けて立っている。
未来は助手席に戻り、綾乃は後部座席のドアを開けて隼人を手招きした。
「ほら乗って。今は説明する暇ないから、とりあえず質問は一切なしで。とにかく黙ってればいいから」
「…………」
黙って見ていろ、という綾乃の言葉に従い無言で車に戻ってドアを閉めると同時に、後ろからやってきた車のハイビームがまぶしく当たった。
強い光が舐めるように車の側面を流れたのを合図にアレスタが身を起こして前に出て手を振る。車は軽トラだった。明かりのない山道のため速度をあまり出しておらず、アレスタに気付いた運転手が車を止めて道に出てきた。
「こんな所でどうしたんですか?」
呼びかける声は若い青年のものだった。ライトの脇に立っているせいで姿はあまりはっきりとは見えないが、驚き、不思議に思っているようだ。
怪訝がるのも無理はない。こんな田舎の山道で突然金髪美女が現れたら、だれだってそうなる。
「アア、助かりマシタ。まさか、コンナ山の道デ、人に会えるナンテ。
どうか助けてクダサイ」
アレスタが急に片言の日本語しゃべりになって弱々しく男に駆けよっていくのを見て、隼人は呆気にとられてしまった。
「…………?」
黙って、と言われたことに配慮してか、はたまた驚きすぎて本当に声が出なくなったのか。目を見開き、ぽかんと口を開けて自分とアレスタを交互に見てくる隼人を見て、綾乃が「分かる分かる」と、同意するようにうんうんうなずく。
隼人はやれやれと息を吐くと紙袋を引き寄せて中から取り出したキウイ牛乳のパックにストローを刺し、アレスタのほうへ視線を戻した。
アレスタは男に「道を間違えた」とか「ずっと山道で、明かりもなくなって、怖くて」とか「車も動かなくなって」とか「遭難だ」というようなことを、片言の日本語と身振り手振りとで説明していた。
どうやら自分たちは学校の同好会の合宿で近くの町に来ていて、その帰り道で迷ったという設定のようだというのが隼人にも分かる。アレスタは同好会の顧問、自分たちが同好会の生徒、という役だ。
青年のほうはアレスタの話を聞きつつ、車に乗っている隼人たちにたびたび視線を向けてきた。車内はルームライトが付いていないものの前方の道を照らした青年の車のライトの余波で、青年には制服姿の3人の姿が見えているに違いない。
青年がアレスタに何か言った。
アレスタの声は高くて通るため聞こえるが、青年の声は聞き取りづらく、話している声は聞こえるが、何を言っているかまでは分からない。先に向けられた視線など、アレスタの話を不審に思っているように見えるのは、この『遭難』が計画的なものだと知っているからだろうか。
危うい気がしたが、しかし結局のところ、何の目的でこんなことをしているのかさっぱり分からない隼人としては事の成り行きを見守るしかない。
じっと見ていると、軽トラの助手席が開いてだれかが出てきた。
「いいじゃない、くりちゃん。村まで連れてってあげようよ」
声は女性だった。ライトをよぎって青年とアレスタに近づくとき、姿が見える。二十代前半で、髪は肩まで。茶のブラウスとスリムジーンズ姿の小柄な女性だった。
「だって、ここに置いていくわけにいかないでしょ? クマだって、出ないとも限らないし」
「クマ! クマが出るデスカっ?」
アレスタが驚声を上げた。
普段の彼女を知る3人は、あまりのわざとらしさにくるりと目を回したくなるのを必死にこらえる。
「そうよー。最近は出ないけど、うちの母たちの時代には、村にも時々下りてきたりしたんだって」
「クマ、困りマス。子どもタチ、危険。
村、近いデスカ? そこナラ電話、かけられマス、ヨネ? JAF呼んデ――」
「慣れてないとここの夜道は危険だから、たぶん断られると思う。村で、朝になるのを待ってからのほうがいいわ。
ね? くりちゃん」
女性に「くりちゃん」と呼ばれた青年は、しぶい表情を見せる。少し考え込んだあと、女性とアレスタに何か言って、青年は隼人たちが乗る車へ向かってきた。
一気に3人に緊張が走る。
3人が見つめる中、青年は運転席へと回り、ドアを開けた。ルームランプは付かない。
「ちょっとお邪魔するね」
中を覗いて、見るからに緊張している様子の未来に優しく声をかけ、後部座席でズズズと牛乳をすすっている隼人と綾乃に会釈すると、青年は運転席へ座ってエンジンをかけようとした。
しかしすでにアレスタが細工済みの車は、キュルキュルというセルが回る音すら立てなかった。
「……電気回路がいっちゃってるみたいだな。ヒューズが切れてるのかも。これじゃ無理に動かすのは危険か」
ぶつぶつと独り言をつぶやく。青年はふーっと息を吐き出すと気を取り直した様子で3人に車から下りるように促した。
「この車はここへ置いていくしかないから、俺の車に移って。荷台になるけど、夏だからいいよね」
「すみません」
「ありがとうございます」
未来と綾乃が礼を言って頭を下げるので隼人も合わせて会釈をしたが、青年の表情が晴れる様子はなかった。
「揺れは我慢してもらうしかないけど、すぐ村に着くから」
青年の手を借りて荷台に上がるアレスタたちにそう言って、女性は笑顔で助手席に戻った。この事態をあまりよく思っていない様子の青年と違い、女性は何とも思っていないようだ。
「申し遅れマシタ。ワタシ、アレスタ・クロウ、イイマス。この子タチ、佐藤 未来、藤井 綾乃、安倍 隼人デス。
あなたハ?」
「……
女性が肩越しに振り向き、ガラス越しに手を振ってきたのを見て、アレスタが無邪気に振り返す。
「今からあなたたちを村に連れて行くけど、俺の家は狭くて4人を受け入れるのは無理だから、絃葉の家になる。
今、村は祭の前の
「ワオ! お祭りあるデスカ? ニッポンのお祭り、大好きデス! どんなお祭りデスカっ?」
興味津々、アレスタが目を輝かせて身を乗り出してくるのを見て、青年は勢いに押されたように少し後ろに引き、苦笑しつつ後ろあおりを上げて
「
運転席に乗り込んで、軽トラを発車させる。
ようやく4人だけになれたことで隼人はあらためて話を聞こうと3人のほうを見たが、何か口にする前に、察した綾乃がさっと口の前に人差し指を立てたので、あきらめた。
首切り地蔵のとき、彼らは機関の名前を隠したり、身分を偽ったりはしなかった。ここではそうする必要があるということだ。そしてこの2人に、万一にも不審がられてはまずいと、警戒しなくてはいけない何かがあるのだろう。
まるで話が見えないが、協力すると約束した以上、付き合うしかない。
……実のところ、一番知られたくなかった人にばらされてしまった以上、協力する必要はないんじゃないかと思わなくもなかったが、今それを口にしたら最悪、「協力しない? じゃあこれ以上は同行させられないから。さよなら」と放り出されてしまうかもしれないという懸念があった。
金もない、スマホもない状態で、こんなどことも知れない山中からどうやって戻ればいいのか。隼人には分からない。
それに――アレスタは言った。このことには人の命がかかっていると。
「……手を引くわけにはいかないよなあ」
「ん? ハヤト、何か言った?」
「なんでもねー」
(まあ、いいさ。協力するのは今回で最後だ)
胸の中で決めて、軽トラの側あおりに背を預けた。紙袋から目立つ赤字で期間限定と書かれたパッションフルーツ牛乳パックを取り出して、ズコーっと飲む。そしてストローをくわえたまま、あごを上げて夜空を見上げた。夜風に髪をなぶられるままにする。目を閉じると、土と草の青いにおいが肺を満たした。
虫の音色、フクロウの鳴き声。その他、山の生き物たちのたてる音に耳をすませていると、軽トラが道に埋まった石に乗り上げた。突然ガタンと車体が大きく揺れる。驚きに目を開けた一瞬、逆さまに見えた木々と空の間の闇に、こちらを見る人影らしきもの――異様な気配が浮かんでいたような気がして、はっと頭を起こした。
そちらへ目を戻しても、もうそれらしい気配はない。
山は霊だらけだ。天に上がりたい霊が無意識に集まってくる。きっとあれもそのうちの1体だったに違いない、と思い直して、背筋を走り抜けた悪寒については考えないようにする。
すぐ近くで同じものを、未来が感じ取っていたことには気付かずに……。