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第3回

「一体どういう了見だこれは!」


 怒る隼人をよそに、アレスタの指示で綾乃と未来が車に乗り込んだ。綾乃が隼人と同じ後部へ入ってハッチバックを中から閉め、未来が助手席だ。

 ブロロロロ……と車が動きだし、隼人は倒れまいととっさにドア上部のグリップをつかむ。

 答えたのは運転席のアレスタだった。


「まあまあ。あなたが腹を立てるのも分かるけれど、しかたなかったのよ。あなたを説得している時間がなかったの、どうしても今夜中に向こうに着きたかったから」

「絶対あんた、ゴネるでしょ」

「当たり前だろ! 俺にも予定ってものが――」そこではたと気付く。「今夜!?」

 運転席の座席をつかんで前に身を乗りだした。

「おい、今すぐ車を止めろ。俺を下ろせ!」

「どうしたの?」

「今夜はほんとに予定があるんだよ! みんなで花火大会へ行くっていう!」

「あらあら。それは残念ね。でも、そういうこともあるわよ」

 アレスタは肩をすくめた。

 その仕草が隼人の癇に障る。

「てめえ――」

「しかたないでしょう。こっちはこっちで緊急なのよ。それとも、人命より花火大会のほうが大事?」

 ぐ、と言葉を失った隼人を肩越しに見て、アレスタは笑んだ。

「花火大会ね。今日のお詫びに、今度もっとすてきな花火大会へ連れて行ってあげるから、それで手を打ってちょうだい」

「……あてがあるのか?」

「利根川の花火大会とかどう?」

「あー、あの派手なやつ!」

 綾乃に心当たりがあったようで、声を弾ませた。

「たしか市政20周年とかで、3市連携で特に派手にやるみたい。あたしも見たいって思ってたんだ」

 隼人はその花火大会を知らないが、綾乃の反応を見て、考えを変えた。

「……分かった」

 憂喜に連絡を取ろうと尻ポケットのスマホに手をやって――そこにポケットはなく――今の自分が寝間着に黒シーツ姿だと、隼人はようやく気がついた。

 足もはだしである。


「待て! やっぱり戻れ! 服が――」


「おほほほほほほほほほほほっ」

 やっと気付いたの、というように、アレスタが高笑った。

「このわたしにそんな手抜かりがあると思って?

 綾乃」

「はいはーい。

 ほら、安倍隼人」

 綾乃が傍らに置いてあった紙袋を引き寄せ、隼人の前に置く。

 中身は学校の制服だった。

 しかも隼人の物だ。クリーニングタグがついている。おそらくウォーキングクローゼットに吊していた物を取ってきたのだろう。


 スマホはなかった。

 そこまで望むのは無理か。事情説明の電話は宿についたあと、電話を借りてするしかないだろうと考えつつ制服と靴を出す。紙袋の底には、さまざまな味の牛乳パックがずらりと並んでいた。数えなくても、10~15個はあると分かる。

 気を利かせたのは分かる……が。


 あの短い時間で、なぜ、制服を吊してある場所まで分かったんだ……?


 そういえば、と思いだす。

「なんでおまえら、鍵持ってたんだ?」

 マンションの入り口と、玄関ドアのカードキー。それを持っているのは限られていた。

 隼人の養育を引き受けた烏眞からすま家と、やはり烏眞の一族の者で隼人が留守の日中に家政婦として部屋の掃除、食事を請け負っている中年女性だけだ。


 当主の天晄たかみつは隼人に興味を示さず、隼人に関わること一切を秘書に任せているが、それでもTUKUYOMIのようなうさんくさい連中を、富を生み出す金の卵に近づけたりはしないだろう。

 天晄以上に、そんな権限もない家政婦が鍵を渡したり、室内の様子をペラペラしゃべるとも思えない。


「まさか……」

 隼人がした想像を裏付けるように、アレスタがカードキーを揺らした。

 昔、兄・絢杜あやとの誕生日にあげた、犬のキーホルダーがついている。中学生が買えるような安物だから、汚れきって一部色が剥げていたりもして、みっともないからいいかげん替えろと隼人が言っても、絢杜は笑って取り合わなかった。

「あなたのお兄さんに、少しばかり協力をお願いしたのよ」


「おまえら、あの人を巻き込むなよ!!」


 食ってかかる隼人の様子に、アレスタは、烏眞 絢杜とのやりとりを思いだした。

 線の細い、もの静かな青年だった。隼人に似ていると思えるところは一切なく、こんなふうに激しい口調で立ち向かってくることもなかったが、それでも隼人が機関に関わることをよく思っていないことを隠さず、未成年の弟が危険な目に遭うことを心配していた。

 そしてアレスタの説明に最後まで納得した様子を見せなかったものの、ため息をつき、あきらめのように言った。

『これが隼人の宿命なのかもしれません。だったら、僕がいくら反対したところで無駄なんでしょう』

 そして、「弟のことをよろしくお願いします」と頭を下げた……。


「お兄さん、夏休みだからってマンションにこもりきりなんじゃないかって心配してたわよ。兄弟仲は良好のようね。安心したわ。

 たまには連絡してあげなさい。とってもすてきな、いいお兄さんじゃないの。かっこいいし」

 その言い回しに、まさかとの懸念が浮かんだ。

 着替えの手を止める。

「おまえ……、あの人は、妻子持ちだぞ?」

 とたん、となりで綾乃が爆笑した。


「あっはははははは!

 大丈夫、安倍隼人。この人、年下の男好きでコロコロ相手を変えてるけど、節操はあるから。相手がいる人には手を出さないよ」

 醜聞は仕事によけいな面倒を持ち込みやすい。出世にも影響する。

 そんな面倒な相手をわざわざ選ばなくとも、美女アレスタには掃いて捨てるほど男はいた。まさによりどりみどりだ。


「茶髪女……。

 というか、そんな属性持ちだったのか、あんた」

「ああ、未成年は対象外だから安心なさい。あなたやあなたの友人たちは眼中にないわ」

 手をひらひらさせるアレスタに、隼人はそれでも怪訝そうな目を向けたが、ひとまずは信じるようにしたようだった。

 うさんくさそうに眉をひそめつつも着替えに戻る隼人をバックミラー越しに見て、アレスタは考える。


 隼人は13歳で父親の烏眞からすま 天晄たかみつに引き取られたが、天晄は隼人に興味を示さず、滅多に会おうとしない。銀座のホステスをしていたという母親は彼を天晄に渡してアメリカへ渡り、念願の店を開いた。店の経営は順調で、パトロンたちと日々楽しく過ごしているという。息子の隼人とは完全に音信不通、一度も接触した記録はない。おそらくは天晄との取り決めなのだろう、金を受け取って日本から出た。

 天晄の正妻は彼を完全に無視し、まだ13歳の彼にマンションを与えて放りだした。


 誰も彼に関心を示さず、愛しているふりすらしなかった。


 よくもこの殺伐とした家庭環境で、健全な情緒、安定した精神に育ったものだと不思議だったが、兄の影響が大きかったのだろう。

 隼人が現れたときすでに成人していたこともあるだろうが、絢杜だけが彼に関心を示し、兄として愛情をそそいだ。

 それによって、少々すれてはいるが、ひとを思いやる心を持つ、優しい少年に育ったというわけだ。


 そんな彼を巻き込むのは少々気が引けるが、しかたない。今度の相手は、特A級に分類されているものだ。

 神屋磐伏詞為主かむやいわふしことなぬし。『名を持つ神』である。

 生け贄を求める祟り神とはいえ、相手が『神』ということでどんな障りがあるかしれないと、長らく機関内でも敬遠されてきた案件だった。


 どのチームも受けたがらなかった厄災級カラミティクラスの案件。

 だけどもしかすると、隼人なら、何とかできるかもしれない――そう直感して、受けることにした。


 着替えを終えた隼人は、寝ることにしたようだった。シーツで体全体を包んで、ミノムシのようにゴロンと横になっている。


(この賭けに負けたら、わたしたちが全滅するだけね)

 それもこの仕事にはつきもののリスクだ。

 アレスタは軽く肩をすくめ、サングラスをかけると高速へ続く道にハンドルを切った。



 数時間後。



 外灯の明かり一つ見えない真っ暗闇の山道に止まった車からよろよろとすべり出て、隼人は愕然となった。


「いや、宿どこだよ!?」

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