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第2回

 8月も末のことだ。


 残暑とは思えない厳しい夏の日差しの中、濃い影を舗装路に落としながら、佐藤 未来は機関の入ったビルへの道を歩いていた。

 行きたくない――そんな彼女の気持ちを反映しているように足取りは重い。

 行きたくないが、行かねばならない。今日、試験結果の通知が来ることはアレスタも綾乃も知っている。まだ来ていないとうそをついてごまかしたところで、いずれは報告しなくてはならないことだ。先延ばしにしても意味はない。


 年に1度開催される、執行人ブレイカー選別技能試験。機関に所属している者で、希望する者はだれでも受けることができる。未来はこれを毎年受けていた。

 今回で3回目。封書で届いた通知書に書かれている文言ははたして本当に今自分が読んでいるとおりの内容なのか、何度も何度も読み返したせいで、そらんずることができるほどだった。


『蓮華芳院所属巫女 佐藤未来様

 このたびは当執行人ブレイカー選別技能試験にご参加いただき、誠にありがとうございました。

 慎重に審査を行った結果、当機関の期待する基準を満たすことができず、不合格とさせていただきました。

 具体的には、技術的スキルに若干の不足が見られたためといった点が課題として挙げられます。

 しかしながら今回の結果に限らず、ぜひこれからも研さんを重ねていただければ幸いです。

 次回の挑戦に向けて、さらなる成長を期待しております。』


 過去2回も全く同じ文面だった。いつも『若干の不足』と書かれているが、『技術的スキルに若干の不足』とは何なのか。

 献舞者デディケーターの試験に合格し、実経験を積んできた。封術や浄化術は得意だし、怨霊相手にある程度渡り合える自信もついている。

 それでも、まだ足りないらしい。

「……会場でも、ちゃんとできたと思ったんだけどな……」

 ぎゅっと肩掛けにしたバッグのひもをにぎり込み、唇をかむ。

 『これからも研さんを重ねて』とあるが、霊能力とは、研さんを重ねた結果、上昇するものなのだろうか? 上昇するとしたら、これ以上何をすればいいんだろう?


 未来の祖父・玄水は、伝説的な霊術師スピリット・マスターだった。今は引退して神社の仕事に専念しているが、今でも玄水について知る人と会うことは多く、彼らはこぞって執行人ブレイカーとしての玄水を称賛する。

 今は亡き父・真先まさきは父親に反発し、家を出て仏門に入り僧侶となったが、それでも父親譲りの強い霊能力で、執行人ブレイカーとして活動していた。

 8年前、とある人物についた怨霊の祓い中に起きた事故で亡くなったが、未来は父がどんなにすばらしい人だったか覚えている。穏やかで、優しくて、いつもひとのことばかり考えていて、自分が損をしても、ひとが幸せだったらいいと笑っている人だった。

 なだらかなお山の頂上から町を見渡すのが好きで、晴れた気持ちのよい日などに、よく未来を連れて登っていた。そしてそのとき決まって


『未来。いつかこの世界が、人々の笑顔で満たされる、美しい世界になるといいね』


 照れて頭をかきながら、口癖のように言っていた。「大好きな僕の未来が生きる世界だから、少しでもそうなるように頑張るよ」と。


 「そんな夢物語はアホウしか見ない」と玄水は鼻で笑い、「怖がりで泣き虫のおまえに執行人ブレイカーが務まるものか」と事あるごとに言われたそうだが、未来は、夢を語る父をまぶしく思い、尊敬していた。大きくなったら執行人ブレイカーになって、父と一緒に怨霊退治に向かうのだと、母に宣言したこともある。


 けれどその夢を果たす前に父は亡くなり、自分は執行人ブレイカーの適正試験に落ち続けている。


 こんな調子では、父を殺して逃げた怨霊を見つけて仇を討つなんて、夢のまた夢……。

 そんなことを考えながら黙々と歩を進める。ビルに入り、エレベーターに乗って、所属している異能部特殊任務課第1霊障室のプレートがかかったドア前に立った。

 中に人のいる気配があった。アレスタと綾乃だろう。2人に何と言うか――2人が言う言葉を想像し、それに対する自分の返答を考え、ぶつぶつと口の中で練習し。

 よし、と意気込んでドアノブに手をかけたときだ。


「遅いわね。もうとっくに来ていておかしくないのに」


 ドアの隙間から漏れ聞こえてきたアレスタの声に、自分のことを話している、と気付いた未来は、どきりと動きを止めた。

「遅刻したことなんか一度もなかったのに……。試験結果が思わしくなかったのかしら」

「どうせまた落ちて、何が悪かったのか、うじうじ考え込んでるんじゃない?」

 綾乃があっさり言う。

「これで3回目でしょ。あの子に執行人ブレイカーの適正はないんだよ。

 受けたって無駄なんだから、いいかげんやめればいいのに」


 胸を刺し貫く綾乃の言葉に、未来は全身から血の気の引く思いでその場に立ち尽くしていた。



◆◆◆



 同日。昼の12時をいくらか回った午後のこと。


 とあるマンションの一室で、ビーッとドアホンの呼び出し音が鳴った。

 居住者の反応を待つように、しばらく音がやむ。だが無反応と分かると、再びビーッビーッと鳴らされた。中に人がいると確信しているかのような執拗さだった。


 そのとき、隼人はベッドで寝ていた。前夜、田中の誕生日ということで、憂喜や田中、斉藤と朝方まで騒いでいたせいだ。一人暮しのマンションは、こういうとき、恰好の集会場となる。

 通いの家政婦に言って4人分の食事を用意してもらい、ケーキや菓子類はそれぞれ持ち寄りで、さらには田中が持ち込んできたゲーム機やボドゲを使って遊んだ。白熱し、もう1回、もう1回と勝負を繰り返すうちに気付けば朝になっていて、眠そうに目をこすりながら3人は帰っていった。今夜は隣町で開催される花火大会に行くぞ、と念を押して。


(だれだよ、うるせえな……)

 眠気に支配された頭で罵る。

 いいかげん、あきらめて帰ってくれ、と羽毛布団の上掛けを頭からかぶって身を丸めたが、一向にドアホンの音は止まない。


 こうなったら直接言うしかないだろう。

「……くっそ」

 寝惚けまなこでベッドから下りて、ペタペタはだしで玄関のドアホンまで行く。

 ドアホンの通話ボタンにバンッと手をつき、「うるせえ!」と怒鳴った。しかし返答はなく、モニターを見てもマンションの玄関が映っているだけで誰もいない。


「…………」

 どういうことだろう? 返答がないのであきらめて帰ったとか?

「……だめだ、頭働かねえ」

 もうちょい布団の中で我慢していればすんだという、悔しい思いしか考えられない。

 とりあえずもう一度寝て、起きてから考えよう――そう思ってベッドに戻ろうとしたときだった。


 突然解錠する音がして、ドアが全開した。


「……は?」


 なぜ? と驚く間もなく振り返った瞬間に隼人の視界を黒いシーツが埋めた。

 ばさりと頭からかぶされて、視覚と手足の自由を奪われる。体を横に倒されて、何がなんだか分からないまま2人の人間に肩部と膝のところをそれぞれ抱きかかえられ、玄関から運び出された。

 もがいても、両腕はがっちり両脇で押さえ込まれていて、ろくに動かせず力も入らない。


 エレベーターを下りる音、ホールの硬質の床を早足で抜ける靴音。自動ドアが開き、外気がシーツ越しに感じられて、外に出たのが分かった瞬間、アイドリングする車の排気音がして、どさりと投げ落とされた。


「アレスタさん、これでいいっすか?」

「ありがとう、2人とも。助かったわ。はい、お礼」

「えっ、こんなに?

 いやあドーモドーモ! んじゃ、また何かあったら気軽に呼んでください! すぐ駆けつけますんで」

 うれしそうな男の声がして、立ち去る足音が2つ。


 ようやく緩んだシーツをもがいて外した瞬間、隼人の視界に飛び込んできたのはアレスタと綾乃、そして心配そうな顔をした未来の姿だった。



「おまえらか!!!」

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