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第23回

 枝を大きくしならせて、強い風が吹いた。


 草むらが波のようにうねり、葉を舞わせる。

 鳥の鳴き声はしない。虫の音も聞こえない。

 山じゅうの生き物が息をひそめて聞き耳をたてている中で、西森へと走る隼人の拳を真っ向から受け止めたのは、黒狗面を付けた狗神だった。

 正面から激突する拳と棒。そのすさまじさを物語るように空震が走り、木の葉がさざめく。

 それは、突風が吹き鳴らす枝葉の音に似ていた。


 無防備な背をねらって雉神と猿神が同時に左右から突きを入れる。しかし棒は残像を突いたに過ぎず、先端は地面へと突き刺さる。隼人自身はすでに2神の上空にあり、狗神の背後に沈み込むように着地した。

 鋭い足払いが狗神の両足を払う。避けるのは不可能だ。崩れるかに見えた体勢は、しかしながら次の瞬間地に立てた棒を支えに宙で立て直されて、地に転がることはなかった。


 舌を打ち、そのことを残念がる間もなく背後でひゅっと風を切る音がする。そちらに視線を向けたなら、熊神の回し蹴りが迫っていた。

 両腕で顔面をカバーして重い衝撃を受け止める。

 人ならざる者、神力が乗った攻撃は、腕が痺れるほど重い。骨にひびく衝撃に顔を歪めながらも耐えて、逆に熊神の顎に左を入れた。

 よろめいたところを追撃で蹴り飛ばす。


「いまだ!」


 はたしてだれに向けての言葉か。

 言葉が発せられた次の瞬間、その呼びかけに呼応するように稲妻がきらめいて熊神の周囲に雪崩落ち、反撃に向かおうとする熊神の歩を阻んだ。

 その間に隼人自身は迫る他の4神の棒による一斉攻撃に真正面から向かい立ち、これらを紙一重でかわすと同時に腹部をかすめた1本をつかむ。

「まずはきさまだ」

 顔をつきあわせ、宣言するや、猪神を棒ごと地面にたたきつけようとする。

 猪神は棒から手を放した。投げられた勢いで距離を取る。猫のように回転して両手両足で着地し、地に指を立てた。ガガガと硬い地面を指先で削って勢いを殺そうとする猪神の顔面に、隼人の追撃の膝が直撃した。


 バキンと音がして、仮面が割れた。割れて欠けた箇所から中がのぞくも真っ暗で何も視えない。シュウシュウと黒い靄が漏れているだけだ。

 そして何の痛痒も感じていないというように、地面に転がった自分の棒を拾うと再び他の3神ともども隼人に打ちかかっていった。


 回避できるものはできるだけ避けるが、完璧な連携攻撃を仕掛けてくる4神の攻撃は回避する余地がない、避けられない攻撃がほとんどだ。受けるのを覚悟して振り下ろされる前に棒や棒持つ腕を攻撃し、打点をずらすことで威力を弱めるが、ダメージは蓄積していく。

 脇腹に一発もらう覚悟でカウンターを雉神の仮面に入れたが、やはりひびの入った箇所から黒い靄がにじみ出るだけだった。


「無駄だ」西森が言う。「それは僕が与えた仮の体にすぎない。彼らはこのお山のエネルギーそのものだ」


 その勝ち誇った顔が、隼人のかんに触った。

「茶髪女! 雷撃だ!」

 隼人の言葉に応じるように稲妻が猪神と雉神を打った。割れた仮面から内側へ雷撃が入る。目に見えて動きの鈍った2神の間をすり抜け、西森に近づけまいとする他2神からの攻撃を受けながらも強引に突っ込んでいく隼人に、西森は仰天した。


「ばかな!? 痛みを感じないのか!」

「痛いに決まってるだろ!!」


 腕を引き、西森をぶん殴った。


「……いってえ!!」


 拳から全身へと響いた痛みにこらえて震えているその姿を見て。

「……ばか?」

 綾乃があきれ声でつぶやく。

「いいからおまえはそいつを抑えてろ!」

「むう。なによそれ! 言っとくけどあたしは茶髪女じゃないからね! 藤井綾乃って名前がちゃんとあるんだ! 覚えとけ、安倍隼人! でないと、もう助けてやらないよ!」

 怒鳴り返されて、思わず隼人は振り返って綾乃と未来を見た。未来が結界と風で移動を阻害し、綾乃が符術で熊神の攻撃を阻んでいる。

 棒の距離まで近づけさせず、距離を保って攻撃しているのを見て、もう1体任せてもよかったかもしれない、と思った。


 だがすぐに立て直した4神からの攻撃を察知して、隼人の頭から2人の存在は消える。

 正面、側面。隙あらば死角へ回り込もうとする彼らに背後をとられないよう動き、攻撃を捌いていたときだ。



「坊ちゃーーーん!! 見つけましたえーー!!」



 突然白狐の大声が響いた。

 声は小屋の中からしている。西森が隼人に気を取られている隙に、こっそり窓から入り込んでいたのだ。


「これでっしゃろー?」


 棚に上った白狐が、自分の身長ほどもある、5神をかたどった弊の刺さったつぼ――祭壇みてぐら――を窓から隼人にも見える角度によいしょよいしょと移動させ、誇らしげに胸を張っていた。


 キラリ、隼人の金色の目が勝利に光る。


「でかした下僕!! さっさと壊しちまえ!!」

「下僕ちゃいますー! けんど、うちのかわいい坊ちゃんをあないに痛めつけてくれた礼は、あてがきっちり返させていただきますわ!」


「やめろ!!」

 血相を変えた西森が急いで小屋に飛び込む。だが間に合うはずもなく、白狐がキシャーッとつぼに跳び蹴りをかまし、ついで、ぐらりと揺れたつぼが床に落ちて割れる姿をなすすべなく見るしかなかった。


 つぼが割れて中の灰とともに飛び散った弊が床に転がる。

 その瞬間、法が解けて、5体の式王子は灰のように散じた。


「終わりだ、術士。それとも今度はおまえ自身が俺とやり合うか?」

 俺はそれでもいいが、と言わんばかりに見据える。

 正直なところ、5神とやりあったことで全身打撲だらけ、息も上がって疲弊している身でこれ以上やり合いたくはなかったが、幸い5神を失って精神的に追い詰められた西森には、それをはったりと見抜くことはできなかった。


「……まだ、だ」

 西森は白弊を握る手をぶるぶる震わせながら、その先端を隼人たちへと向ける。


「……御墓に住まず、神の通いとなりてきて。本の御墓を頼りきて。御主御幣へ乗り移れ。諛言ゆげん巫神みこがみ……!」


 西森の言葉に呼応するように、黒靄が白弊の先に生まれた。黒靄は大きくなり、その中央から人の形がかたどられる。全身から黒い靄を発するそれは白い仮面をつけ、巫女服に全身を覆っていたが、服からのぞく手や喉のしわから察するに、老女だった。

「諛言ノ巫神。……スエか」

 諛言とは、かつて太夫だった巫神(塚起こしされた死者)に用いられる字号の1つである。西森は、祖母であり師であるスエを自身の守護の巫神として塚起こししたに違いない。

 隼人は白狐を見たが、白狐はきょろきょろ辺りを見回して首を振っていた。それらしい弊が見当たらないということだろう。探せ、と伝えたが時間がかかりそうだ。


 の黒靄をまとった巫神スエは、全身から黒靄を吹き出しながら隼人たちへ近づいてくる。彼女の生み出す黒靄は強烈で、足元の草を枯らし、土を腐らせ、触れた虫を即死させている。それを見て。

「おい。あれに触れるなよ。触れた所が腐り落ちるぞ」

 隼人が2人に忠告を発した。

「でも、それじゃああんた、どうすんの?」

「おまえの符はどうだ」

 問われて綾乃は雷鳴符を用いたが、雷撃は黒靄に触れた瞬間その一部を散らしたにとどまり、スエ本体まで届かなかった。

 隼人は手が出せず、綾乃の符もスエに効果がないことを知って、西森の口角が上がる。


 だが次の瞬間。


 2人の後ろで何かをぶつぶつとつぶやいていた未来が、ぱん、と清廉な柏手を打った。

 スエの周囲の地面がうっすらと光を発して陣を描く。


「……スエさんは、死後まだ33年を経ていない。巫神としては、完全とはいえない……」


 両手で印を組み、巫女として神力を借りる祝詞を唱える合間に未来は2人に言う。

「今なら、たぶんわたしでも抑えられる……でも、長くはもたないから。安倍くん、綾乃ちゃん、お願い」

「任せて!」

 未来の陣がスエの動きを止めているのを確認して、その横を抜け、綾乃は隼人とともに西森へ迫る。

 西森はスエが動きを止めて隼人と綾乃に無反応であることに目を瞠り、綾乃に向かって白弊を投げつけるやきびすを返して小屋へ逃げ込んだ。


「待て!」

 西森を追って2人も小屋に入る。布の仕切りを払いのけ、奥の部屋に入った2人は、そこで目にした光景に愕然となった。


 壁際に敷かれた布団の上に、かぶさるように菜摘が倒れていた。乱れて半分上掛けのめくれた布団には白骨化した少女が横たわっていて、その骨を護るように西森がいる。


 頭だけが小さく、色も大きさもちぐはぐな白骨を見た瞬間に、隼人は何もかもを理解した。



「くそっ! そういうことか……!」

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