隼人はじっとスマホ画面を見つめ、すっと息を吸うと覚悟を決めて保留を切った。
「……憂喜か」
『お、出た。そう、俺』
『俺もいるぞー!』
田中の声が割り込んだ。
『ちょ、おまえ』
憂喜の声が少し遠くなる。
『斉藤もいるぞー』
『そういうのいいから。割り込んでくんなって』
ばたばたと音がする。スマホを奪い返したか、再び憂喜の声が近くなった。
相変わらずの様子に、寸前まで気負っていたことも忘れて肩から力が抜け、隼人は忍び笑う。
『ごめんごめん。――隼人?』
「聞いてる。
なんでおまえ、茶髪女のスマホなんかにかけてるんだ? おまえが気があるのは黒髪のほうだろ」
がふっと変な息をする音がした。
『……藤井さんと佐藤さんな。おまえ、そんな失礼な呼び方、彼女たちにしてないだろうな?』
してると言ったら説教が始まりそうだったので、隼人は沈黙する。
憂喜は、沈黙から察したのだろう、はーっとため息を吐く音がした。
『……今はいいか。
なんでって、おまえのスマホにかけても出ないからだよ。何度もかけたのに』
スマホ? と隼人は考える。
「そういや、マナーモードにしてかばんに放り込んだままだったな」
『勘弁してくれよ。出ないから、何かあったかと心配するだろ』
「心配?」
『するさ! あんな状況でおまえだけ置いてきちまったんだから。それで――』
『おまえ、ゆうべ相手の術士に完敗したんだって?』
再び田中が話に割り込んできて。
『あんだけ大見得きっといて、ざまーねえなあ!』
きゃはははっと笑った。
「……切るぞ」
『わー、待った待った! 田中、おまえなあっ』
『当然リベンジすんだよなあ? 昨夜はしてやられたみたいだけど、相手の土俵でやったんだし、向こうの手札も分からない状態での手合わせじゃあ1本取られるのはしかたねえ。斉藤もそう言ってる。
でもまだ
それは隼人に、向こうの術士と同じになるな、と言っているように聞こえた。
金と社会的成功のために自分の保護を引き受けた
生みの親からしてそうだった。人を護って、なんて。自分の願いが最優先。勝手に押しつけて、勝手に自己満足して、置き去りにした。「新しい飼い主にかわいがってもらうんだよ」と押しつける捨て猫と、どう違うのか。
されたこっちがどう思うかなんて、まるで考えてやしない。
どいつもこいつも、傲慢で、身勝手で、わがままで、無責任で、自己中心的で……。
人なんてロクなもんじゃない、本当に助ける価直なんてあるのかと、疑問に思ったのも1度や2度じゃない。
だけど。
(だけどこいつらは、俺が人を殺したら、きっと失望するんだろう)
相手が人殺しのクズだとか関係ない。
隼人がそのクズになったことを残念に思い、きっと、こんなふうに接してはくれなくなるに違いない。
それだけはいやだと、思った。
◆◆◆
帰ったらまた4人で集まる約束をして。
電話を切って顔を上げると、壁にもたれて腕組みをした綾乃がいた。
「おまえがあいつらにかけたんだろ」
「なんのこと?」
しらを切っているがお見通しだった。でなかったら、昨夜のみっともない出来事を田中が知っているはずがない。
おかげで大いに自負心に傷がついたが、意外と、さっぱりした気分だった。
綾乃は隼人の顔をじろじろと見て、
「憑きものが落ちた顔してるじゃん」
と笑った。
笑われても不思議といやな感じは受けない。ただほんの少し、決まりの悪さを感じながら、差し出された手にスマホを乗せて返す。
「それで? どうするの?」
「まだ分からねえ。術士の姿は視えたが、背中で、顔は視てないからな。
ただ、声と一緒に強い風に木々が大きくしなる音が聞こえた。竹林かもしれない。山を歩けばそれらしい場所が見つかるかもな」
いざなぎ流は祈祷後、
それを見つけて掘り起こせば、あるいはそこからたどれるかもしれない。
「ふーん。山、か」
意味ありげな綾乃のつぶやきに振り返る。
「おまえらには関係ないだろ、帰るんだから」
「あ、そんなこと言う? じゃあ教えてあげないよ?」
「……何だよ」
「有力容疑者の最新情報。あんたが探そうとしてる場が分かったかも」
「何だと!?」
「アレスタが出かける前、警察と話してたの。昨夜の被害者と弟が夜に外出してた調書が取られててね。その中で、西森から野ネズミのしっぽの骨だと言ってもらった骨が、どうも野ネズミには少し大きいんじゃないかって。専門家の分析を待たないと確定はできないけど、人骨じゃないかって警察は疑ってるみたい」
綾乃たちはアレスタの決定に不満を見せず、素直に従っていたから、アレスタも2人が聞いていても気にしなかったのだろう。
「少年が西森からもらったっていう場所なんだけど――」
「どこだ!!」
ドン、と顔横の壁に手をたたきつけ、今まで見たことのない真剣な表情で迫られて。綾乃は驚きつつもそれを面に出さなかった。これまでの平然とした態度を崩さず、挑発的に隼人を見返す。
「言っとくけど、今度のことに腹を立ててるのはあんただけじゃないの。失敗したのはあんただけじゃない、彼女を助けられなかったのは、あたしたちも同じ」
一語一語に静かな怒りをこめて、綾乃は言った。
あのとき。被害者の首が落ちるのを綾乃も見たのだ。
何もできなかった。もう少し、あと少しだった。あと少し早く到着していれば……。
ぎゅっとスマホをにぎる手を強める。
式王子は綾乃の符に打たれて消えたように見えたが、真実は違った。首切り地蔵が首を落とし、目的を達したから引き上げたすぎない。攻撃した綾乃が、それを一番よく知っていた。
「他のやつが引き継ぐからおとなしく帰れって? 冗談じゃないっての」
「でもこれからのことを考えると、やっぱり上の決定には従わなくちゃいけないから」
未来の声がして、隼人は彼女がいつの間にか部屋から出てきていたことに気付いた。
「アレスタさんが戻ってくるまでしかわたしたちには時間がないの。だけどわたしたちだけだと、あれだけの式神を操る人には……」
唇をかみしめる。自分の無力さに歯がみする思いは、未来にもあった。
「そういうこと」
隼人の腕の下をくぐって、綾乃は未来の元へ行く。
「だから安倍隼人。あんたも来るっていうなら、連れて行ってあげる」
どうする? と首をかしげる綾乃と互いを見合う。
何を考える必要もない。
することは決まっていた。