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第17回

 美保子が弟の陽太を見つけたのは、山の入り口だった。


 小さなあかりがちらちらと動いて、懐中電灯を持った陽太が山道を下りてくる。

 陽太の無事な姿にまずほっとして、それから「こら陽太っ!」と怒った。

 陽太はびくっと肩をすくめ、そして怒っているのが姉の美保子と分かると詰めていた息を吐き出した。

「なーんだ、姉ちゃんか」

「こんな夜遅くに黙って家を抜け出すなんて」

「だって……言ったら行かせてくれないじゃん」

「当たり前でしょ! なんで朝まで待てないの!」

「…………」

 陽太も自分が悪いことをしたと分かっていた。それが如実に表れている後ろめたそうな表情とこちらをうかがう目に、美保子はやれやれと腰に手をあてる。

「さ、帰ろう。お母さんたち、心配してる」

 手を伸ばし、陽太の手をにぎった。

「……うん」

 陽太がにぎり返す。

「それで、宝物は見つかったの?」

「うんっ! ほら!」

「……見せなくていいから」


 そうして、足元を懐中電灯で照らしながら、家まで歩いた。


 歩けるはずだった。




 家まであと半分という距離で、2人はと出くわした。

 2人で、今日の夕飯について話しながら歩いていて、視界の隅に入った当初、外灯の下に子どもが立っていると思っただけだった。

 違うと気付いたのは、陽太が先だった。


「姉ちゃん、あれっ!!」

 見て、と指さされたほうへ目を向けると、道の反対側の曲がり角に立っていたは人ではなかった。外灯はなかった。外灯の明かりと思っていたものは、を取り巻くほのかな光だった。そのためか、暗がりなのによく見えて、全身に黒いもやがかかっていることまで分かる。


 それは首切り地蔵だった。

 道ばたに並んだそれを、間違えようがないくらい小さなころから目にしてきた。


 それが、どうしてここに?


 頭は、石の地蔵が動くはずがない、ばかげている、と言い、心は、首切り地蔵が現れた、殺される、と叫んでいる。

 頭と心のはざまで硬直し、目が釘付けになっていた美保子に、どんっと横から重い何かがぶつかってしがみついてきた。思わずびくっとしてしまったが、それは陽太だった。

 一瞬存在を忘れていた。

 陽太も血の気の引いた顔で首切り地蔵を凝視している。そして、ぶるぶる震えながらしがみついた手の人差し指を首切り地蔵に向けた。

「姉ちゃん……あいつ、何か持ってる……」


 陽太にそれていた視線を再び首切り地蔵へ戻すと、首切り地蔵が少し大きくなっている気がした。

 目の錯覚だろうか。

 少し距離も縮んでいるように見える。

 まさか、道を渡ってこようとしている?


 美保子の逸れかけた意識を集中させるように、そのとき、首切り地蔵をまぶしい光が照らした。陽太の持つ懐中電灯の光だった。首切り地蔵の腰辺りを照らしている。そこを見ろというのだろう。

 そうして強い光の中に浮かび上がった物は、2人のよく知る人物の首だった。


「……由紀ちゃん」


 植村 由紀だった。美保子と同じ歳で、あの事故が起きるまでは一緒のマイクロバスで学校に通っていた。

 事故のあと美保子は学校をよく休むようになり、家でほぼ引きこもり状態だったために特に親しかったわけではないが、家が近いこともあって顔を合わせば二言三言、あいさつ程度には口をきく関係だった。


 その由紀が、地蔵の右手に髪をにぎり込まれ、首だけになっている。


 ぽた……、ぽた……と、赤い血をしたたらせている。


 ゆっくりと近づいてくる首切り地蔵は、すでに道の半分を渡り、その大きさは美保子と同じくらいになっていた。

 絶対に目の錯覚などではない。あれは、自分たちとの距離が近くなるたび、大きくなっている。


「……姉ちゃん、こわい……!」

 ぎゅっ、と痛いほど脇の服をつかまれて、美保子の金縛りが解けた。

 首切り地蔵のまとった黒い靄が、いつの間にか頭の中に入り込んでいたのだろうか。頭の靄が晴れて理性が戻ってくると同時に、どんっと陽太を突き放した。

 強すぎたらしく、陽太はもう少しで後ろに倒れそうになっていた。だが謝っている暇はない。


「走って!」


 しかりつけるように、強い声で美保子は叫んだ。


「走りなさい! でないと、ぶつわよ!」


 陽太はびくっと首をすくませ、泣きそうな顔で美保子を見て何か言おうとしていたようだが、ぶんっと振り上げられたこぶしを見て、あわてて彼女に背を向けて走りだした。


 首切り地蔵に向き直ると、もうすぐそこまで迫っていた。

 自分も走って逃げるべきかもしれないと思った。陽太と反対方向へ逃げれば、あるいは……。

 だけどそうしたら、こいつは小さい陽太をねらうかもしれない。



 死を、怖いと思ったことはなかった。むしろ死にたいと考えたことはこの8年間で、何度もあった。

 こんなおかしな頭で生きていたってしかたない、みんなに迷惑をかけるだけだ、死んだほうがずっと楽だ、と。


 だけど死を最も身近に感じている今、美保子は怖かった。

 死にたくないと思った。


 少しでも陽太の逃げる時間を稼ぎたくて。背後の石の壁に背を押しつけ、爪を立て。顔を上げて首切り地蔵をにらみ返す。

 石の面はいつも見てきた地蔵の顔そのままだった。決して鬼の形相などではなくて、かすかな微笑をたたえているように見える。

 ほんの少し、怖さが薄れた気がした。




 ああ、せめて。

 痛くなかったらいいな……。

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