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第8回

 早朝、安藤が民宿を訪れたのは、食堂に用意された朝食を全員で今まさに食べようとしていたときだった。


 安藤は遠目にも蒼白した面持ちで、声音も固く、かなりの緊張状態にあるようだ。

「どうかしましたか」

 昨日の別れ際、安藤は隼人たち4人をバス停まで車で送る約束をしていた。しかしそれは昼前で、まだ3時間も早い。

「お食事中、申し訳ありません」

 これはただ事ではないと察してそばに寄ったアレスタを玄関から外へ誘導して、安藤は首切り地蔵での惨事を伝えた。

「寺の方が門前の掃き掃除をするために外へ出て、気付いたということです」

「警察に連絡はされましたか?」

「住職がされたそうです。住職のお話によると、到着まで1時間ほどかかると言われたそうです。それまで現場に誰も近づけないように、と。ですが、あの地蔵についてはあなたたちのほうが専門家と思い、お伝えするべきだと判断しました」

 これも昨日彼をおどしつけたことが効いたのだろう。アレスタを見くびったままだったら、おそらく安藤はこんなふうに考えたりはしなかったはずだ。

「分かりました。少しお待ちください」

 スマホを取り出し、西日本支部の調律者アジャスター奥津城おくつき たがねにかけた。日本の警察が動くとなれば上同士で調整して話を通してもらっておかなくては、現場の彼女たちが円滑に動けないからだ。


『……なんだ?』

 電話に出た鏨は眠そうな声だった。ガサガサと新聞をめくる音が聞こえたが、無視して、アレスタは簡潔に今の状況を話して許可を得た。

『数は足りてるのか? 今待機に入ってるチームで動かせるやつも何人かいるぞ。澤田とか』

 との言葉に少し考えたが、

「今はまだそこまでは。ですが、必要と判断しましたらお力をお借りしますわ。お申し出、ありがとうございます」

 と答えるにとどめた。


 次にアレスタは食堂へ戻り、綾乃と未来を手招きして呼んだ。

 その様子を見て、憂喜が食べる箸を止める。

「何かあったのかな?」

「さぁな」

 朝はパンと牛乳だけの隼人は、和定食を断って牛乳パックを飲みながら気のないそぶりで答えるが、しっかり前髪の下で目は3人の様子をうかがっている。

 そして3人が彼のほうを向き、アレスタが隼人の名を呼んだとき。やっぱりか、と思って内心ため息をつきつつ席を立った。

「どした?」

「いいからおまえらはそこで飯食っとけ」

 ついてこないのを確認して3人の元へ行く。

 協力なんて約束するんじゃなかったと思いつつ「なんだ?」と訊くと、案の定「一緒に来てほしいの」と言われた。

「あなたの知識を借りることになるかもしれない」

 アレスタの言葉よりも、後ろでおとなしく待っている安藤のほうが隼人は気になった。


 ほんのかすかだが、安藤からはうっすらと黒い煙のようにたゆたうの混じった血臭が嗅ぎ取れる。

 だから安藤の車で案内される先が昨日の首切り地蔵のある寺で、むごたらしい現場を見ることになると車内で説明を受けても、そうか、と思っただけだった。

 綾乃と未来も――未来は少し白くなっていたが――動揺を見せない顔で、黙って話を聞いていた。

 しかし安藤のほうはそうでもなく。目的の寺が見えてきたところで、ためらいがちに助手席のアレスタに言った。

「アレスタさん、本当にいいんですか? 彼らはまだ高校生ですよ?」

「どうかお気になさらず。彼らは十分経験を積んだ、優秀な執行人ブレイカーですから」

 安藤を見返してほほ笑む。やわらかな口調だが、断固とした拒絶である。

 安藤は観念したように大きく息を吐き出すと車を止め、車外へ出た彼らに

「あそこです」

 と5体の地蔵を示した。




 地蔵たちの様子は、車内で受けた説明のとおりだった。


 隼人、綾乃、未来の3人はそれぞれ、そのいたましい光景に目をすがめたり、手で口元をおおって息を呑んだりするも、目をそらしたり悲鳴を発したりはしない。

 昨日、唯一残っていた地蔵の首は落ちて後ろの草むらに転がっていて、首のなかった3体のうち、右端から順に2体の上に被害者の首が乗っている。地蔵の体は切断された首から流れた血を吸収して黒く染まっていたが、聞いて想像していたほどの量でもない。どこか別に犯行現場があり、そこから運ばれて乗せられたからだろう。

(こっちもだな)

 首切り地蔵の手元や胸元、顔にこびりついた黒い血を見て隼人が判断をしていたとき。

「あの人たちだわ、綾乃ちゃん……!」

 地蔵ばかり観察していた隼人と違い、首のほうに注視した未来が気付いた。

「ほら、昨日飛び込んできたお客さんたち」

「だね」

「被害者たちを知っているんですか?」

 なるべく現場を視界に入れないように顔をそむけていた安藤が、2人の会話に驚いた様子で尋ねた。

「はい。この人たち、昨夜民宿に現れたんです。飛び込みで、宿に泊まりたいと言われたんですけど、女将さんが断られて」

「すごく横柄な、嫌なやつらだったんだ。故人の悪口は言いたくないけど」

 綾乃は言い、そして現場保持のため放置することを詫びるように2人の首に手を合わせる。

「名前は? 分かりますか?」

「いや、無理じゃないかな。宿帳は書いてなかったし」

「男性の方をケンちゃんって女性が呼んでいたくらいです」

「そうですか……」

 がっかりする安藤を肩越しにちらりと見た隼人が言う。

「首から下を探せばいいんじゃねえ?」

「え?」

「犯人が消しでもしてない限り、どっかに首から下が残ってるだろ。たぶんその辺りにこいつらの車もあるはずだ」

「そうか、車検証」

 安藤がはっと気付く。

「荷物も盗まれないで残ってりゃ、身元が分かる何かがあるかもな」

 まず間違いなく残っているだろう、と隼人は見当をつけていた。殺した相手の身元を隠したいなら、そもそも首をこんな目立つ場所に放置したりはしない。都会のように浮浪者がいて荷物を盗まれない限りは、車内か、体と一緒に残っているはずだ。


(2人の霊をべば、場所も特定できるかもしれないが――)

 その可能性を考えて、隼人の眉間にしわが寄った。

 死んだばかりの霊は十中八九、大往生でもない限り死の衝撃にとらわれている。殺されたとなればなおさらだ。まだ肉体の痛みに引っ張られて、痛みや恐怖に泣き叫んでいるに違いない。そういう霊には話しかけたところでこちらの言葉は通じず、まともに話も聞かないから何か聞きだそうとしてもこっちが疲れるばかりだと、経験から隼人はっていた。

 霊との親和性が高く、自身に霊を降ろすことによる直接対話で霊をなだめ、霊の狂いを調律できる霊媒師ミスティカル・シャーマンであれば、また話は違ってくるが。


『訓練次第ではあなたの補佐役としてチームを組めるかもしれない』


 ふと先日のアレスタの言葉を思いだし、首を振った。

 狂った霊を憂喜の中に入れて同調させるとか。あり得ない。

 だってあいつは、あの人形塚でさえ怖がるヘタレなんだから。

(やっぱ、あれはなしだ)

 体とか車とか、時間をかければ見つかる。警察が仕事をすればいいだけだ。


 昨日はなかった、詛が色濃くまとわりついた首切り地蔵をあらためて眺めたあと、背を向ける。

「隼人くん、何か分かったかしら?」

 アレスタの問いかけに隼人はポケットに手を突っ込んだまま首を振った。

「分かるのはせいぜい、この地蔵が実際に動いて2人を殺しに行ったわけじゃないってことぐらいだ」

 見ろ、というように地蔵の足元に視線を投げる。ここは土ぼこりまみれの非舗装路だ。石の地蔵が歩いたなら、人の体重どころではない重量がかかってその跡が残っているはずだった。

「では、やはりこれは伝承になぞらえた殺人なんですね」

 安藤がほっとした様子で口にした。


 4体の地蔵の首が落ちたために首切り地蔵が代わりの首を求めて動き出し、2人の首を刈ったのだ、というふうに見せかけた犯人がいる、と。


 アレスタたちの手前、軽はずみなことは口にできないと自重していたようだが、石でできた地蔵が動いて人を殺すなどというのはナンセンスだ、そっちのほうがずっとあり得ることだと安藤は考えているに違いなかった。


 一般人である彼からすれば、これはそういうふうに見えるのだろう。隼人たちの目にはしっかり首切り地蔵に絡みつく詛が視えているため、そんな可能性は最初から除外していたが。


 視えない者に視えないものを信じろと説くのは難しい。すぐに受け入れた、田中や斉藤たちのような者のほうがめずらしいのだ。


 それに――その考えは、あながちでもない。

 そこまで考えたところで安藤のスマホが鳴った。

「警察からです」

 スマホを見た安藤はそう言い、電話に出る。


 警察が事件車両を発見したとの知らせだった。村へ向かう道中、斜面をすべり落ちて木に激突している車を発見したので要救助者がいないか確認すると、開け放された運転席の近くから首のない男の遺体が発見された。状況から鑑みて、まず間違いなく被害者のものに違いないとのことだった。

「そうですか。それでは、女性のご遺体もそちらに?」

 との質問に、電話口の警察官はこう答えた。



 ひととおり付近を捜索したが、首のない女性の遺体は発見されなかった、と――。

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