目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
第7回

 振り返って彼らを見た菜摘が「げっ」と小さく言葉を漏らすのを聞いて、その場にいる全員が察した。さっき話していた、車の嫌なやつというのが彼らなのだろう。


 カップルは大きな音を立てて大きな荷物を床に落とし「疲れた-」だの「お尻が煮えた」だの「これだから舗装されてない田舎道は」だのと、ぶちぶち文句を言っている。声を落とさないから、廊下の反対側にいる8人に丸聞こえだ。

 夫婦ではない。少なくとも男のほうは40前後だが、女のほうは上を見ても20代半ば。明かりのせいかもしれないが、華美というより派手な服装をしていることから、もしかすると10代かもしれなかった。

 親子でないのは女が男のことを「ケンちゃん」と気軽に呼んでいることや、2人から感じられる浮ついた雰囲気からも察せられた。

「ちょっとおー、まだーあ?」

 女が赤い口先をとがらせる。

「チッ、おっせーな。これだから田舎の旅館は駄目なんだよ」

 そして上がりがまちに座っていた男が大きく伸びをした拍子に、廊下の奥にいる菜摘に気が付いた。


「あれー? そこにいるの、さっきのお嬢ちゃん?

 さっきは地蔵について教えてくれてありがとなー。まあまあ楽しめたわ」

「えー? ケンちゃん、くそつまんねー、地味とか言ってなかったあ? こんなド田舎じゃせいぜいこんなモンしか見るモンねえんだろうなって、蹴ってたじゃんー?」

 そのときのことを思い出したように、女は腹に手をあててきゃははっと軽く笑い声をたてた。

「ばっか。おまえ、これはあれだ、礼儀ってーのがあるだろう」

「礼儀ー? ケンちゃんに礼儀とか。おっかしー」

 きゃははははは。


「……車寄せられて、何か見る所はないかって訊かれたんです。それで、お寺のお地蔵さんを教えて……そのまま村から出て行ってくれると思ったのに」

 弁明するようにアレスタたちにそう説明すると、菜摘はぽつっとつぶやいた。

「村のみんなが大切にしてるお地蔵さんを蹴るなんて……。あんな人たち、お地蔵さんに刈られちゃえばいいんだ」


 そのとき、玄関に女将が現れた。

「お出迎えが遅くなってしまってすみません」

 「遅い」「なってない」と文句を言う2人に、女将は謝罪した。

 端から見ていても気分の悪い、行儀の悪い2人だが、客は客。そのまま受け入れるかと思いきや、女将の次の発言はほとんどの者を驚かせた。

「あいにくと当宿は家族経営の小さな宿ですので、事前予約のお客さましかお受けしておりません。飛び込みの方にはご遠慮いただいております」

「えー? 泊まれるんじゃないのー? ケンちゃん、そう言ったよね!?」

「麻美、静かに。

 女将さん、俺ら、長時間車で移動して、疲れてんですよ。もう夜も遅いし、この辺で宿ってここしかないんでしょ? 1晩だけでいいから、ねっ?」

 男は顔の前に手を挙げて、半笑いで頼み込む仕草をしたが、女将の表情は変わらず、折れることもなかった。

「大変申し訳ありません。お客さまのお部屋はご用意できません。お疲れのご様子、せめて食堂でお夕飯でも召し上がっていらしてはと言いたいのですが、そちらもおあいにくとお泊まり客の人数分しか用意がございませんので」

 きわめて丁寧な、しかしがんとした受け入れ拒否だった。

「そこをなんとか。この際、素泊まりでもいいんで」

 と、それからも数回、男は女将の顔色をうかがうような言葉で宿泊を認めてもらえるように頼み込んだが、女将はその都度礼儀正しく男の申し込みを拒否した。

 麻美と呼ばれた女が男の袖を引っ張る。

「もういーよ、ケンちゃん。行こっ。どーせ1、2時間くらい走ったら、ここよりずっといい宿がいくらでもあるんだから。こんな気分悪いとこ、無理に泊まることないって」

「……ああ、そうだな。

 ったく、何年経っても何も変わりゃしねえ。シケた村だよ。あの辛気くさい男といい、住んでるやつもろくなやつらじゃねえ」

 そんな悪口あっこうを聞こえよがしにつぶやきながら門前に停めてあった車に戻った男は、ドアをたたきつけるように閉めて去って行った。


「お母さん、ありがとう!」菜摘が女将の元へ寄る。「あいつら、泊まってほしくなかったんだ」

 女将もにっこり笑う。

「だと思ったわ。あの人たちの話は全部調理場まで聞こえてましたからね。こちらも、お客を選ぶ権利はあるんですよ」

 菜摘の肩をぽんぽんとたたいてから、女将は菜摘の肩越しに後ろを見るように背伸びをして、アレスタたちに「じきにお夕飯をお持ちしますから、お部屋でくつろいでいてください」とにこやかに告げた。



「いやー、あいつらが泊まることにならなくて、ほんとよかったなー。となりの部屋とかなってたら気分悪くなるとこだったぜ」

「まったくだ」

 田中の言葉に憂喜が相づちを打ちながら部屋へと戻る。


 このときはまだだれも、隼人やアレクサですら予想だにしていなかった。

 翌日、あの2人が陰惨な姿で見つかるとは……。


◆◆◆


 一夜明けて。山間から照らす朝日の一矢が夜闇の布帛ふはくを切り払い、その夜陰にまぎれて行われた行為の全てを赤裸々に白日の下へとさらけだす。


 ただ1つ残っていたはずの首あり地蔵はその首を地に落とし。

 3つの首なし地蔵は1つに減り。

 2つの首あり地蔵は肩から下を流れる赤黒い血に染めて。

 首切り地蔵は、血の涙を流していたのだった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?