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第6回

「いざなぎ流? なんだそれ」


 聞き返したのは憂喜でなく田中だった。

 大浴場と名はついているが、12畳ほどしかない、こじんまりとした浴室だ。落とした声でも十分端まで届く。

 隼人は湯気で少しかすんだ視界の中、田中が湯船に落ち着くのを待って、説明を始めた。

「いざなぎ流ってのは修験道、密教、神道、陰陽道など日本の宗教が混交した、古くから存在する民間信仰の一種だ。決まった屋代も祀る像もなく、師資相承の口伝で秘事を継いでいく。家神を祀り、自然界の霊、つまり神霊を模した紙(神)型と祭文によって神霊と対話し、その力を借りて天地の怒りを鎮め、病魔退散の祈祷を行う」

「師資相承?」

「師匠から弟子にのみ、言葉だけで伝えられてきたってことだ。師子相伝と言ったほうが分かりやすいか」

「じゃあ、西森のおばあさんは、そのいざなぎ流の使い手だったってことか」

 憂喜がつぶやくと、隼人は同意するようにうなずいた。

「さっきも言ったが、『太夫』はその流派の中でも特に力を持つ者の称号だ。西森スエは太夫だった。短期間とはいえ首切り地蔵を封じることができた彼女は、相応の使い手だったんだろう」

「へーーえ。すごい人だったんだな」

「……なあ」それまで黙って聞いていた斉藤が口を開く。「さっきから聞いていると、おまえら、地蔵が首を刈りに動くのが当然のように話してるんだが……石の地蔵だぞ?」

 言われてみれば、確かにそれを前提に会話しているのはちょっと現実的ではないのかも……と自省する憂喜と違い、田中はきょとんとした顔で「それが?」と訊き返す。

「だって、アレスタさんたちも来てるんだぞ? 機関が動いてるってことは、あの地蔵の伝承は本当だったってことじゃねーの?」

「それは……、でも、彼女たちも、何も感じないと言っていたし」

 視線をさまよわせる斉藤に、田中が両手の指を交互に組み合わせて水鉄砲の形にし、お湯をピュッと飛ばした。

「おまえなあっ、ちょっと頭固すぎ! 異界駅に行ったし、今日だっていろいろ見たのに、まだオカルトは眉唾だと思ってんの?」

「…………」

「やめろって田中」

 見かねた憂喜が間に入ろうとしたが、すぐに斉藤が「そうだな」と折れた。

「俺の理解が追いついてないんだろう。異界駅に行ったし、物が浮いて飛び回るのも見たけど、どうしても石の作り物が動くというのが想像できないというか……」

 斉藤の言い分も分かる。時間を経て日常生活を送るにつれて、異界駅での出来事は現実味を失っていく。同じ体験をした他の3人がいなければ、だんだん夢の出来事ようになっていき、そのうち記憶の縁に沈んで思い出さなくなったかもしれない。それだけ現実世界リアルは強い。その強固さは、オカルトという見ることも触れることもできない不確かなものを信じる余地がないほどだ。その現実世界で石の地蔵が動き回って人の首を刈るとか、それを封じる者がいたとかいう会話は、漫画かアニメの内容を現実の出来事として話しているように感じられて当然。

(無理に『信じろ』ということでもないからな)

 隼人にとって日常的なことでも斉藤たにんもそうとは限らない。同じ世界に在っても、見えるものは違うのだから。

 隼人は納得し、むしろ斉藤の反応のほうが普通なのだと思った。

 田中はオカルトに傾倒しすぎ、憂喜は人に流されすぎだ。

 小さくため息をつくと立ち上がる。

「ここへは地蔵を見に来ただけだ。4体目の首は落ちていないし、あの男もあれだけビビってたらすぐ3体も補修するだろ。

 俺たちは明日帰る。それで終わりだ」

 熱い。これ以上入っていたらのぼせそうだ、と湯船を出、浴室を出ていく。

「そうだな」

 と安堵あんどする憂喜の前で、田中がピュッとまた水鉄砲を飛ばした。




 浴衣に着替えで脱衣場を出るととなりの戸がからりと開いて、女風呂から出てきた綾乃、未来、アレスタと鉢合わせをした。

「アレスタさんたちもお風呂入ってたんですか」

「ええ。いいお湯だったわね」

 憂喜に、にこやかに応えるアレスタの向う側で綾乃が言う。

「あんたたちが入るより前からね」

「えっ? って、じゃあ――」

「しっかりこっちまで聞こえてたわよ。太夫とか、いざなぎ流とか」

 綾乃が少しとがめるような口調で言う。

「……ああ……」

 気持ちが顔に出てしまったに違いない。憂喜に、未来が控えめな笑みを向けてきた。そのことに救われた気分で少し気分が上向くが、すぐにまた綾乃がぴしゃりと言ってくる。

「間違ってないし、もうだいぶ前に亡くなった人だけど、有力者だったようだし。ここの人とどういうつながりがあるか分かんないんだから、あんまり軽々しく話さないほうがいいわよ」

 壁に耳あり障子に目あり。実際、女風呂にいた彼女たちには聞こえていたのだから、反論できない。

 彼女の言うとおりだ、しまったな、と考える憂喜だったが、綾乃がにらんでいたのは憂喜でなく、その後ろを歩く隼人だった。

 隼人は見るからに無関心で、目深な前髪のせいもあって表情は全く読めない。風呂上がりの素朴なコーヒー牛乳のパックをうれしそうに飲んでいるだけにも見えて、綾乃はつい、口先をとがらせた。


 そんなこんなで部屋の前まで来ると、ドアの前に見知らぬ少女が壁に背を預けて立っていた。

 小柄で活発そうなその少女は隼人たちと同じか、少し年下に見える。そして7人が戻ってくるのに気付いて壁から離れると、ぱっと表情を明るくして「こんばんは」とあいさつをした。


「あたしはここの娘で菜摘なつみっていいます。加藤 菜摘。

 お夕飯の準備が進んでいるんですけど、父から魚料理と肉料理のどちらがいいか、聞いてこいって言われて」

 そこで菜摘は7人全員を確認して、ほっとした表情で小さく

「お客って、あなたたちだったのね」

 とつぶやいた。

 それを耳にした未来が

「どうして?」

 と尋ねる。

 菜摘は、失言だったというふうに口元に手をやり、困ったような笑みを浮かべつつ答えた。

「ごめんなさい。よかった、っていう意味で言ったんです。

 実は1時間くらい前、部活の走り込みをしてたらすごく嫌なやつに会って。こんな田舎道なのに猛スピードで車を走らせるわ、開け放した窓から音楽ガンガン鳴らしてるわで……。もし追加で入ったお客が彼らだったら嫌だな、って思ってたんです。でも違ったからよかった――」


 そのときだ。


「すみませーん。飛び込みなんですけど部屋空いてますかあー?」


 玄関の引き戸がピシャーンと反対側にたたきつけられるくらい乱暴に開けられて、男女のカップルが入ってきた。

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