そのとき、綾乃と未来がアイコンタクトをとった。
後ろを歩いていて不思議に思った憂喜は、他の者たちを順に見る。
安藤と一緒に先頭を歩くアレスタは終始にこやかで、安藤の話に相づちを打ったり、ちょっとした質問をするなどしていたが、特に何かに引っかかって深掘りするような感じではない。もっとも、アレスタは何か気付いたとしても徹底した猫かぶりで周囲にはそれと悟らせないすべを身につけているので、観察したところで気付けるわけもないが。
隼人はどうかと肩越しに後ろを盗み見たが、やはり何かに気付いたふうでなく、むしろあくびをしたりして退屈そうに歩いていた。
(訊いたら答えてもらえるかな?)
もっと親しくなるきっかけになるかもしれないと、ちょっぴり期待して未来に声をかけようとした憂喜だったが。
「佐藤さん」
と、控えめにかけた声よりも、
「西森さん!」
という、ほぼ同時に発せられた安藤の声のほうが大きかったために、憂喜の声かけに気付く者はいなかった。
安藤の呼びかけは、前から歩いてくる中年の男性に向けてかけられたものだった。
名を呼ばれたことで中年男性も足元に落としていた顔を上げたようだが、またすぐにうつむいてしまった。
浮浪者のような風体の男だった。長めに伸びた髪はくしゃくしゃで櫛を通した形跡がなく、あごやほおもひげで黒ずんでいる。ひげを立てようとしているわけではなく、ただ面倒で手入れを放置しているだけの無精ひげだろう。
その辺の手近なものをひっつかんで着ただけのような、しわくちゃのシャツとところどころすり切れたズボンとサンダルで、背を丸めて、何か重い荷物でも引きずっているかのような歩き方をしている。
「こんばんは。お久しぶりです。こんな所でお会いするなんて、奇遇ですね。
今日もこれから
それは、男の手から下がった花束を見て察した言葉だろう。
しかし男はその声かけを無視して、車線を挟んだ向こう側をすれ違う。先に名前を呼ばれたときは反応して顔を上げたのだから、聞こえなかったわけではないだろう。わざと無視しているのだ。あるいは、相手がだれか分かったことで関心を失ってしまったか。いずれにしても不作法には変わりない。
しかしそんなことをされたにも関わらず、当の安藤は腹を立てているようなそぶりは一切見せず、むしろ寺のほうへ向かってとぼとぼと歩いていく男を心配そうに見送っていた。
「安藤さん」
「え? ああ、すみません」
止まっていた足を再び動かそうとした安藤に、アレスタが問う。
「西森さんとおっしゃいましたね? もしかしてあの方は」
「あ、そうです。さっきお話ししたスエさんのお孫さんです。スエさんと、その息子さんご夫婦と、一人息子の
とても活発な少年だったんですが、彼がちょうど高校を卒業する年に、ご両親とスエさんが車の事故でお亡くなりになられて」
「まあ。では、スエさんにお会いすることはできないんですね。ぜひお会いして、お話をお聞きしたかったのですが。残念ですわ。
お孫さんの彼から生前のスエさんについてお話を聞くことは可能でしょうか」
「どうでしょうね……」
紹介してほしいというアレスタに、うーん、と安藤は前髪をかきあげ、ため息をついた。
「8年前に娘さんがバス事故で亡くなられてからずっとあの調子なんです。だれが話しかけても、まともに返事をしてもらえなくて。
父1人子1人で、とても仲の良いご家族だっただけに、ショックが大き過ぎたんでしょう」
「まあ。じゃあ奥さまも?」
「分かりません。葬儀にも来ませんでしたし。美千惠ちゃんがまだ赤ちゃんだったとき、民生員の方がよく訪問して、家の中のことでいろいろとお手伝いをされていたのですが、奥さんについて彼が話しているのを聞いたことがないそうです。生きているのか、それとも死んだのか」
「では、村の方ではないんですね」
「あ、そうです。
ご家族を亡くされたときに借家契約を解約して他県の大学に進学されたので、もうこちらに戻る気はないのだろうとわたしたちは考えていたんです。ですが、3年くらいして、ひょっこり戻ってこられて。こちらに住みたい、前の家はまだ残っているだろうかと役場に訪ねてこられたときには、赤ちゃんの美千惠ちゃんを抱いていました」
そのときのことを思い出したのか、安藤の顔に自然と優しい笑みが浮かぶ。
「とてもかわいらしい赤ちゃんでした。明るくて、よく笑って、友達もたくさんできて。優しい、いい子に育ったと、将来が楽しみだと、村の皆さんもほほ笑ましく見守っていたんです。
あのころは西森さんも、ちょっと人見知りをするというか気の弱いところはあったんですが、今よりずっと付き合いやすい方でした。村の行事にも必ず参加したりと、美千惠ちゃんのためにも村に溶け込もうと努力されていたようです。ですが今では……」
安藤は首を振った。
「ああして美千惠ちゃんの月命日以外はあまり出歩かず、山にこもっているようです」
「そうなんですね」
アレスタの興味はあくまで彼の祖母スエにあり、孫にはない。そこでこの話は終わったわけだが、もう時間がたちすぎて、憂喜としては完全に未来に話しかける機会を逃してしまっていた。
(まあいいか。あとで隼人にでも訊けば分かるだろ)
そう思い直して民宿まで歩いたのだった。