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第3回

 黒く汚れ、湿気でほとんど腐っている木片の集合体であるその小さな木箱は、厚みがなかった。そのせいでただの平板の集まりにしか見えず、箱の形に見えるのも隼人が拾い集めた木片をそれらしく並べて復元しているからで、1つ1つを見れば、ただの砕けた木の根か枝にしか見えなかっただろう。


「これ、何?」

 綾乃の感想に隼人は冷たい目で見返す。

「木箱だ。見て分からないのか。おまえ、やっぱりばかだな」

「そんなこと分かってる! そうじゃなくて、なのかってことだよ!!」

 カッときて、かみつくように吠えた綾乃の前、後ろにいた田中がぱしっと隼人の後頭部をはたいた。

「自分の説明不足を相手のせいにするんじゃない。失礼だぞ」

 めっ、と小さな子どものように叱られて、隼人はしぶしぶ言い直した。


「魔除けの符だ」


 どうやら隼人が先に言った『これ』とは、木片の下――木箱の中――にある物を指していたようだ。

 綾乃もそれを正しく理解していた。ただ、それが何かまでは分からなかっただけで。

「符なの?」

 符術の使い手である綾乃は、符と聞いてにわかに興味をかき立てられたようだった。木片の下から引っ張り出して、顔の前まで持ち上げる。しかしそれは木片と同じく泥水でひどく汚れ、あちこち破れて、もはや元が何だったか想像もできないくらい、小さく長細い紙片にしか見えなかった。

「私にも見せて、綾乃ちゃん」

「ん」

 綾乃は紙片を未来の手のひらに乗せる。

 未来も顔を近づけて見たが、やはり分からなかった。

 2人に隼人が説明する。

「ずっと土の中にあったせいで大半が腐って溶けてしまっているが、繊維の残り方からしておそらく和紙だ。かすかに墨文字が見える。何を書いていたのかまでは分からないが」

「これが25年前、首切り地蔵を封じてたっていうの?」

 アレスタの言葉を肯定するように隼人は「たぶん」と答え、木箱の木片をアレスタに渡しながら、あそこだと、首切り地蔵の背面にある斜面を視線で指した。

「埋められていたのが雨で崩れて出てきたんだろう。

 さっきの男は25年前の出来事を知っているようだったから、これについても訊けば分かるんじゃないか」

「そうね――って、隼人くん? どこへ行くの」

 下ろしていたかばんを拾い上げて肩にかけ、そのまま3人と一緒に離れていこうとしていた隼人に気付いたアレスタが、急ぎ呼び止める。

「どこって、帰るんだよ。もう地蔵は十分見たからな」

「バスの時間があるんです。俺たち、バスで来たんで。これを逃すと次のバスまで1時間待たなくちゃいけないし、そうすると乗り換えの問題もあって、家に帰り着くのが夜中になるんです」

 隼人の大ざっぱな言葉を補うように、憂喜が詳しく言い足した。

「あら。じゃあ私たちと同じ民宿に泊まっていったらどう?」

「えっ」

「アレスタ!? 何言ってんのさ!」

「アレスタさん?」

 憂喜、綾乃、未来がそれぞれ驚いた表情でアレスタを見る。

 アレスタは笑顔で彼らを見返し、最後に隼人を見た。

「あなたたちには喜多本麻衣子の件でお世話になったことだし。お礼として、宿泊費はこちらがもつわ。

 それに、その様子だと相当疲れてるんじゃない? 民宿には檜風呂の温泉があるから、ゆっくりお湯に浸かって疲れを落とすのはどうかしら」


 田中、斉藤、憂喜の3人が、互いを見合うように視線を合わせる。

「どうする? 温泉だってさ」

「俺は練習がある水曜に間に合えばいい」

「俺……、正直なとこ、休みたい。もう長時間バスに座るのはうんざり」

 根を上げたのは憂喜だが、結局のところ田中や斉藤も同じ気持ちで、もうバス移動に飽き飽きしていた。

「隼人は?」

 との田中の問いに、隼人は肩をすくめかけ、思い直して「俺はどっちでもいい」と言葉で返す。

「んじゃー決まり!

 アレスタさん、お世話になります!」

 3人はアレスタに向かって頭を下げ、アレスタはにっこり笑って「こちらこそ、よろしくね」と応じた。




 民宿までは徒歩での移動となった。

 アレスタたちは村役場から安藤の運転する公用車で来ていたのだが、5人乗りセダンには8人も乗れなかったためだ。

 車を置いていくわけにはいかないから安藤だけも車で――とはならず、全員で民宿まで歩くことになった。


「25年前ですか?」

「ええ。先ほど4体の首が全部落ちることがあったと言っていたでしょう?」

 道すがらの話題として、アレスタが25年前の出来事を持ちだす。

 しぶるようなら、なぜそのような事件があったことをこれまで報告しなかったのかとまた叱責することもできたが、先のおどしがまだ効いているのだろう、安藤は協力的で、なぜとも聞き返さずに話してくれた。


 25年前、4体の地蔵の首が落ちた。なぜそうなったかといえば、やはり村の財政難だった。村は過疎化が進んでいて人口年齢も高く、若者の大半は家業の農業を継ぐことを嫌い、便利さを求めて村外へ出て行ってしまうという、どこの山間の村でもありがちな理由からの税収減である。

 まだ2体あるから大丈夫だろう、と補修をしぶっているうちに台風が直撃し、残り2体の首が一気に折れてしまった。

 そしてそのことを聞きつけた老人たちが、村役場へ抗議に押しかけたのだった。


「近日中に修復すると課長は説明しました。ですが、人の話を聞かない高圧的なご老人数人が、今すぐやれ、今日中に修復しろとの一点張りでして。今夜にも地蔵さまが首を刈りに来たらどうするんだ、村の者が殺されたらその責任はおまえらにあるぞと、役場の外にまで響く大声を出されて、それはもう大変でした。

 修復しろと言われても、過疎化のせいで村には石大工もいませんでしたからね。町の業者へ依頼して、大至急とお願いすることはできますが、老人の言うような今日中になんて無茶が通るはずがありません。

 いくら説明しても聞き入れてもらえず職員全員が困りはてていたところへ西森のおばあさんがやって来て、彼らを説得してくれたんです」


 老女は名を西森 スエといった。

 2年ほど前、息子夫婦が当時はやった農村でのスローライフに感化されて都市部での仕事を辞め、村に越してきたときに一緒にやって来た。見るからに温厚そうな外見と人好きのする笑顔や話し方の持ち主で、言葉巧みに人から悩み事を聞き出しては相談にのったり、軽い助言をしたり、失せ物探しを手伝うなどしていて、外からのよそ者に対して排他的な村の老人たちにもすんなり受け入れられ、昔からの友人のように信頼を得ている老女だった。


「不思議と、彼女に相談すると何事もうまくいったそうです。特に失せ物探しが得意で、どこに置き忘れたか、ぴたりと当ててくれたのだとか」


 いつの間にか『太夫たゆうさん』と、村の老人たちは呼ぶようになっていた。

 そしてこのときも現れた老女に説得されて「太夫さんが言うことなら」と、老人たちは引き上げていったのだった。


『大丈夫ですよ、何事も起きません。わたしが保証します。あのお地蔵さまはきちんと補修がなされるまで、待っていてくださいますよ』

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