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第2回

「いる。20代の男だ。首に縄がかかっているから、山中で首つりでもしたんだろう。田中の近くで、必死にあいつにささやいてる。というか、もうわめきだな、あれは」


 友人になってまだ1カ月だが、隼人がこういうことで冗談を言うのを聞いたことがない。

 隼人の視線を追い、あらためて田中の横を見たが、憂喜の目には何も視えなかった。田中は斉藤と話していて、何か聞こえている様子もない。

 もし聞こえていたら、田中の性格からして絶対黙っていない。「何か聞こえるぞ!」とはしゃぐはずだから、隠しているわけでもないだろう。

 それでも、何の影響もないとは限らない。

「大丈夫なのか?」

 と口にした直後、隼人がこちらをじろりと見るように顔の角度を変えるのを見て、「ごめん、愚問だった」と訂正した。

 害あるようなものが田中に近づくことを、こいつが許すはずがない。

 隼人はその謝罪を受け入れるように肩をすくめて再び前を向き。自分でも口足らずだったかと思い直したか、憂喜のためにもう少し説明をした。

「霊障が起こせるほどのやつじゃない。ささやくくらいしかできない弱い霊だ。それだって聞こえる者が限定される。

 特にあいつは完全に霊感がないからな。まだ斉藤のほうが何か感じてるくらいだ」

「あー……」

 確かにと、その見立てには憂喜も同意だ。

「それをあいつに言ってやるなよ、がっかりするから」

 と言いそうになったが、これも蛇足かと思い直し、別のことを口にした。

「だからささやくだけで、事故は起こせないんだな。

 もしかして、シュードも開けないのか?」


「何だそれ? シュード?」

 トンネルの終わりが見えたことでこちらへ戻ってきた田中が、憂喜のつぶやきを聞きつけて反応した。

 立ち止まっていた2人の元へ走ってくる。

「ほら、俺今父さんと機関のカウンセリングに通ってるだろ。そのとき雑談で聞いたんだけど、ナイトフォールには2種類あるんだってさ。既存のでかいやつと、怨霊が独自で創るやつ。前者に対してこっちはシュード(疑似)って呼ばれたりするんだけど、規模の違いくらいで同じものだから、大抵の場合ナイトフォールでひとくくりにするとは言ってた」

「へえ」

「って、隼人も知らなかったのか?」

 驚く憂喜に、隼人は肩をすくめてスイカ牛乳をズコーっとすすった。

「あいつらがどう区別してるかなんて、俺が知るかよ」

「あー、そっか」

「んじゃ、おまえは何て呼んで区別してんの?」

 田中からの問いに隼人は少し間を置いて「してない」と答えた。

 呼称による分類は他者に正確に伝えるためにあるものだ。隼人はずっと1人でやってきたから、それが必要とは考えなかったのだろう。


 ふと、憂喜の心に軽いいたずら心が湧いた。

「田中」

「んー?」

「こいつ、視えてるってさ。さっきからトンネルの霊がおまえの近くにいるって言ってたぞ」

「ばっ……!」

「えー! ほんとか!?

 なんだよー、早く教えろよー!」

 まさにそういうのを目的に来ているのだ。うれしそうに目をキラキラさせて見てくる田中に、隼人は「憂喜のうそだ」とも言えず、「……そこにいる」と後ろの壁を指さした。


 どういった霊か、何を言ってるのか。霊について知りたがる田中から矢継ぎ早に質問を受けながら、観念してきちんと受け答えしている隼人。ついには霊と田中の通訳までさせられて、内心途方に暮れているのがわかるだけに、やりとりを見守っている憂喜はニヤニヤが止まらない。

 だから、斉藤の

「あれが、あのときおまえが言いよどんだ理由か?」

 という質問は不意打ちだった。

 一瞬固まった後、憂喜は止めていた肺の中の空気を吐き出して、斉藤を見る。

 あのときというのは間違いなく、異界駅でのことだ。そして「あれ」が何を指すかも察しがついていた。


 隼人は、霊を深く視るとき、目が金色になる。

 そのことを隼人本人も知ってはいるが、目というのは自分で見られないからその変化にしばしば気付けない。それを隠すために前髪を伸ばして目深にしているのだろうが、夜やトンネルといった暗い場所では光る目というのはどうしても目立つ。

 今もしっかり目は金色になっていて、ごまかしようがなかった。

「……えーと……」

「おまえが話しにくいのはわかる。あいつのことだからあいつ本人に聞けということだろ。

 深く知りたいわけじゃないんだ、今はまだ。それに、あいつがひとにない力を持っているのはわかっているつもりだ」

 斉藤の言葉に、憂喜はぐっと拳をつくる。

 3本尾の白狐を従え、死んだ霊を視ることができ、怨霊と渡り合う力を持つ。

 それだけでも十分人間離れしているが、そこまではまだ『人』の範疇はんちゅうだ。


 目が金色に光る人間はいない。


「まだ1カ月に満たない付き合いだけど、あいつの人となりはそれなりにわかってるつもりだ」

 あの異界駅で、麻衣子を助けたいと言った斉藤のために、隼人は動いてくれた。

その現場を逐一見ていたわけではなかったが、同じ構内にいて、ホームでの彼の戦いを斉藤も何度か目撃していた。

 本来ならあんなに手こずることなく楽に倒せる相手だというのは、少し見るだけで分かった。

 なのにあえてそれをせず、彼女の中に流し込まれた怨霊を引き剥がすことで、どうにかしようとしてくれていたのだ。

 結果的に、それは彼女を救うことにはならなかったけれど……麻衣子本人に戻すことで、あの最期のひとときを彼女は持つことができたのだった。

 それを、隼人は斉藤のためにしてくれた。そのことについて感謝しかない。


「言葉が足らないのは、俺も人のこと言えないからな」

「……俺も、あんまり知らないんだ。聞いていいものかわからないし。

 だけど、いいやつだよ、あいつは。友達になるには、それで十分だと思ってる」

「十分だ。きっと、田中のやつもわかってる」

 あんな間近で顔つきあわせて分からないはずがない。それを追及しないのは、隼人から話してくれるのを待つ気でいるのだろう。

「……たぶん。あいつの場合、ちょっと天然ばか入ってるからな」

「そうそう。勉強できて頭いいはずなのに、妙にばかだよな、あいつ」


「あー? なんだ? 今ばかって言ったの、俺のことかー?」

 離れて、他のことに意識が向いていても、しっかり自分への悪口は耳に入るようだ。

「それとも隼人のことかー?」

 答えにくい質問を投げて、怒っているふうな田中の姿にくすりと笑って。憂喜と斉藤はトンネルの入り口で待つ2人の元へゆっくりと歩を進めた。


◆◆◆


 トンネルの霊を隼人は放置した。バスで次のスポットへの移動中、憂喜が訊くと「実害がない。あのヘタレが怨霊になるにはあと数百年はかかる」ということだった。

「ずっと、あそこにいるのか?」

 誰も通ることのなくなった旧道のトンネルで、何十年もたった独りで、来るかどうかもわからない来訪者を待ち続ける――しかも彼の声が聞こえる者は、ほんのわずかだ――その寂しげな霊を思って憂喜は表情を曇らせる。しかしそんな憂喜の姿に、隼人は鼻白んだ。

「ホラースポットとしてそこそこ知られてるんだ、あそこにやって来る者はそれなりにいるだろ。全然寂しい場所じゃねえよ」

「それはそうだけど……。

 上に上げてやることはできないのか? 人を殺してないんだろ?」

「できない。あいつがどうとかじゃなく、やり方を俺が知らない。

 そんなに気になるなら、あの機関の女に相談すりゃいいだろ」

 少し不機嫌そうに言う。隼人の「あの機関の女」が誰をさすのか分からなかったが、憂喜が真っ先に思いだしたのは佐藤 未来だった。

 かわいくて優しい女の子、未来の姿が胸に浮かんで、憂喜の気分が少し上向く。

 あの子なら、あの霊に同情して、なんとかしようと思ってくれるかもしれない。

(登校日に会ったら、相談してみよう)


 さっきまで沈んでいたくせに今は楽しそうにしている憂喜を見て、隼人はやれやれと思い、頬杖をついて窓の外に目を向けた。

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