他方で、憂喜たち3人は駅内に突如出没した牛頭たちから逃げ回っていた。
「いや! こんなやつらいなかったよな!?」
牛頭や陰鬼がうろついていた他の駅と違ってここは安全だと思い込んでいた田中は、「話が違う!」と文句を言いつつ柱の影に飛び込んで隠れる。気付かない様子で通り過ぎていった牛頭たちに、やり過ごせたとほっと汗を拭ったのもつかの間、すぐ別の方向から来た牛頭たちに見つかって、また走り回るはめになった。
よいのみや駅は木造の駅舎で2車線、跨線橋とつながるホームは3つしかない。待合室はなく、各ホームに簡易な椅子が設置されているだけ。売店は中央に1つ、駅員室も1つ、改札は東西に1つずつといった、駅としては小型なものだったから時間短縮の意味で分散したのだが、こうなると悪手だったかもしれないと思わないでもない。
おそらく駅のほうも見つけられないように必死なのだろう。だがこちらも負けられない。遅れればそれだけあの化け物と1人で戦っている安倍の負担が増すのだ。
多少の危険は承知の上と、追いかけられ、牛頭たちの振り回す金棒で傷を作りながらも続けた捜索の軍配は、田中側に上がった。
「……やったー!」
窓から大きく身を乗り出して、駅舎と裏山の斜面との間に麻衣子の遺体を発見した田中は、大きく
「田中!」
「こっちだ! 見つけたぞ!」
憂喜たちと階段下で合流した田中は、改札を飛び越えて駅の外に出る。牛頭たちは駅から出られないようで、改札前でうろうろしているだけだ。そのことに安堵しつつ、3人は駅舎に沿って裏へ回り、遺体の場所へ着いた。
麻衣子の遺体は両膝を抱えて駅舎に寄りかかる格好でそこにあった。髪はほとんどが抜け落ち、痩せこけて、皮と骨ばかりが目立って、ミイラのようにかさついている。
斉藤は、彼女の隣に落ちている学生かばんを拾い上げた。そこに白の油性ペンで書かれた罵りの文句に、人の残酷な悪意に、無言で見入る。田中たちはそんな斉藤に気付いていない様子で、隼人から預かった試験管の口を開けて白狐を出した。
「じゃあチィちゃん、さっそくだけどまた門を開いてもらえるかな」
麻衣子の遺体を抱き上げた憂喜が白狐に頼む。
「へぇ。ええですよ」
白狐が二つ返事で応じて外界へ通じる門を開き、そこに遺体を放り込もうとしたときだ。
「待ってくれ。
ここから遺体を運び出したら、彼女はどうなるんだ?」
2人と1匹は、なぜそんなことを? というように斉藤を見返した。誰もそんなこと、かけらも考えていなかったのは明らかだ。
白狐が斉藤の質問にさらりと答えた。
「そら、もう死んではるんやし。どうもこうもあらしません。
そもそもあのお嬢さんは、ここの怪異から与えられた力で怨霊になれてはるんや。元来人は、よほど強い想念、特別な執着がないと怨霊化せんのです。誰でも彼でもなりとうてなれるもんであらしません。
ま、確かにあのお嬢さんの執着はすごおましたけど、それかて、ここの怪異による後押しがあったからや。今ああして
「消、滅……?」
「坊っちゃん」白狐は、ふーっと息を吐いた。「32も人様の魂を捧げた者が、どうして天に上がれると思はるんです?」
「それは……でも、彼女のせいじゃ……」
ぎゅっと学生かばんを握る力を強める。
煮え切らない様子の斉藤の態度にカッときて、田中は胸倉をつかんで引き寄せた。
「おまえ、いいかげんにしろよ! じゃあ彼女に殺された32人は、死んで当然だと言うのか!?
いじめられたからって、恋敵だからって、それが人を殺していい理屈にはならないんだよ! 世の中には、人が、人を殺してもいい理由なんか、1つも存在しないんだ!!」
田中の言葉に、斉藤は、小学生のときからの付き合いの田中でも見たことがない、今にも泣きそうに目元を赤くして、複雑な表情を浮かべて無言でうなだれていた。
「斉藤……?」
初めて見る斉藤の姿にとまどいつつ、憂喜が名を呼ぶ。
「………………わかってる。だけどこれじゃあ……あまりにも、彼女がかわいそうだ」
そのとき。
憂喜が抱いていた麻衣子の遺体が、人知れず静かに涙を流した。
駅舎内のホームでは、隼人によって全ての怨霊を剥ぎ取られ、黒靄も失って、力なく横たわっていた麻衣子の怨霊が、涙をこぼす。
その瞬間、麻衣子の体が徐々に薄れ始めた。内側から少しずつ溶けていくように透明化して、やがて最後の人としての輪郭もぼやけて消えてしまう。そうして細かな光の粒となって宙を漂ったあと、ふわりとどこかへ飛んでいった。
ほんの1秒にも満たない時間だったが、斉藤は、駅舎内から飛んでくる光の粒の集合体を確かに目撃した。光の粒は駅舎に背を向けていた憂喜にぶつかって憂喜を包む。そうして光を強化して憂喜を離れた光の粒が、避ける間もなく今度は自分へとぶつかり、自分のなかを通り過ぎていった一瞬に、長くて短い幻を見た。
『真くん。わたしね、あなたと同じ大学に行きたかった。あなたに、ありがとうって伝えたかったの。キーホルダーを見つけてもらって、すごくうれしかった。あんなにひとから優しくされたの、初めてだった……。
大好き、真くん。誰よりも一番好き。お願い、わたしのこと、忘れないで……』
一生懸命笑顔をつくっていた麻衣子の目から、ついに涙がこぼれた。もう笑顔をつくれないと俯いて隠した面で、唇がわななき、言葉があふれる。
『わたし、ね……わたし……。
あなたも、わたしのこと、好きになってくれたんだって、思ってた……。
知らなかったの。力で、操ってた、なんて……。
わたし、悪くないよ。わたしのせいじゃない。あいつらが手を貸したから、だからわたし……』
お願い、嫌わないで……。
両手に顔をうずめて泣く麻衣子に、思わず斉藤は手を差し伸べる。その指先が彼女の涙をぬぐう寸前、麻衣子の幻は消えて、斉藤は駅舎の外に立っていた。
「憂喜!? おい、憂喜!」
膝から崩れ落ちた憂喜を心配して肩を揺さぶる田中から視線をそらし、空を見上げる。
彼女は、空へ上がれたのだろうか。それとも……。
麻衣子が消えた床をじっと見つめてたたずんでいた隼人だったが、やがて背を向け、歩きだした。
疲れ切った重い足取りで、うなだれたまま改札を抜けていく。
風が、ほおをかすめた。
『わたし、ね……わたし……。
わたし、悪くないよ。わたしのせいじゃない。あいつらが手を貸したから、だからわたし……』
隼人はこぶしを固く握り締め、振り返ると、目の前にある駅舎の壁を思い切り殴りつけた。
こぶしを中心にぴしぴしと蜘蛛の巣状のひびが走る。ひびは駅舎を覆い、次の瞬間よいのみや駅はぱっと散って消えた。
木造駅舎の形をした怪異は跡形もなく消え去って、そこはただ、夕方の風が吹き抜けるだけの物寂しい場所と化す。
それを見ても隼人の表情は晴れない。
昏い目をして奥歯をかみしめ、背を丸め。無言で立ち去った。一度も振り返ることなく。
◆◆◆
――ふふふ。あはははっ。
全てを見届けた少年の楽しげな笑い声がナイトフォールの風に乗り、現実世界へと渡っていく。
数十名の飛び降りを阻止して、もはや腕1本持ち上げられないほどくたくたに疲れ切ってリビングの床に仰向けになっていた綾乃は、確かに聞いたと思ったのだが次の瞬間には定かでなくなり。
(まさかね……)
そんなはず、あるわけないと否定して、誰にも言うことはなかった。
まさか、彼であるはずがない、と……。