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第12回

●現実世界 2024/07/18 PM10:00


 いじめとは何か。

 いじめが社会問題として世に広まったのは1986年。後に『葬式ごっこ』と呼ばれた、とある事件がメディアに取り上げられて大々的に世間をにぎわせた結果、文部省――科学技術庁と統合前の現文科省――より『児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』が行われたのが最初とされている。その中で文部省はいじめを「自分より弱い者に対して一方的に、身体的あるいは心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」と定義した。

 以後数回に渡り微修正が加えられているとはいえ、今日こんにちでは誰もが知る当たり前の文言だ。しかし喜多本麻衣子がいじめを受けていたとされる1985年には、まだ定義もされていなかったというのがうかがい知れる。


 いじめがなかったわけではない。それだけ軽視されていたということである。少数の大人と大多数の子どもが形成する学校という閉鎖された社交場において、ここで何が起きようとも3年という期限付きのこととしてそれは軽視され、見過ごされ、なんでもないことのように扱われた。世間体を気にした大人の都合で隠蔽されることも少なくなかった。


「そういう社会的背景もあって、当時、30名の女生徒が大なり小なり特定の女生徒のいじめに加担していたというつながりは、見逃されていたのね。警察も死亡した女生徒たちの同級生や担任、クラブの後輩たちに聞き取り調査をしたようだけど、彼らが死亡した女生徒たちについて悪く言うのは無理だったでしょう。彼女たちは受験戦争によるかわいそうな被害者というスタンスで報道がされていたから。

 それに、喜多本麻衣子が失踪したのは事件の約半月前。電車に乗る彼女が目撃されていて家出というのがもっぱらのうわさだったから、みんな事件とは結びつけなかったのね」

 今回あらためて機関の調査員が聞き取りを行った結果、もう事件も風化して時効と考えた者たちが、彼女たちによるいじめを目撃したことがあると複数証言したことで事実認定となった。


 アレスタは助手席に視線を向ける。そこには、頬杖をついて無言で窓の外を眺めている隼人の姿があった。

 乗車して以来ずっとそうしていて、アレスタのほうを見ようともしない。

 高速道路から見える代わり映えしない景色など、見ていても退屈だろうに。

 そうやって、一緒に行動はしているが彼女たちに迎合しているわけではないと示しているのだろう。子どもっぽいが、年相応ではある。

「あなたのおかげよ、隼人くん。あなたが坂口真の名前を教えてくれたから」

 この言葉も無視されるかと思ったが。

「……べつに。あんたたちだって、あの2人が他の30人と違うことくらいすぐ突きとめられたさ」

 気のない声ながらも返答が返った。

「そうかもしれないわね。でも時間がかかったでしょう」

 被害者たちを調べて、喜多本麻衣子の名前はすぐに出ただろうが、はたして坂口真の名前が出るのはいつのことか。

 今回は時間がかけられなかった。

 ウインカーを出し、高速出口へのスロープに車を進める。


 後部座席に座っていた綾乃が独り言のようにつぶやいた。

「異界駅は、迷い込んだ者の願いを叶えるんだよね?

 喜多本麻衣子は、何を願ったんだろう。32人も犠牲にするなんて」

「綾乃ちゃん……」

 隣の未来がそっと腕に手をかけたとき。

「おまえ、ばかなのか」

 隼人が呆れたように鼻を鳴らした。

「なんだって!?」

 怒って運転席と助手席の間から身を乗り出してきた綾乃をじろりと見て、隼人は言う。

「欲しいものが目の前にぶら下がっているのに気付けていない、そういうのをばかと言うんだ。違うか?」

「どういうこと!?」

「落ち着いて、綾乃。座りなさい。危ないわよ」

 アレスタを見、未来を見て、綾乃は2人が気付いていることを直感した。それでは、ばかと言われても仕方ない。

 しぶしぶ座席に戻り、あらためてもう一度尋ねた。

「喜多本麻衣子は何を願ったわけ?」

「坂口真が言ったんだろ、彼女を忘れられないと」

「そうだけど……まさか」

「それが対価だ。人1人の人生をねじ曲げ、思いどおりにする。

 32は多いと思うか? 坂口真の運命の糸を引きちぎり、喜多本麻衣子へ結び直し、坂口真がその後歩む人生、出会う人との縁、生まれたかもしれない命、全てを消し去ったんだ。

 32は、むしろ少ないほうだ。術師はうまくやったよ。相当の手練れだ」

「うまくやったって!? たった1人を操りたいために、32人も犠牲にすることが!?」

 賞賛するような言葉に、綾乃はかちんとくる。もし、これで声にまでその響きがあったなら、殴りかかっていただろう。

 だが隼人は変わらず素っ気なくはあったが、それを善しとは思っていないのも伝わってきていた。

「おまえのように考えるのが普通だ。だから、まともなやつはやらない。対価がでかすぎるという考えが抑止になる。

 そう考えないやつが、やるんだ。邪法なんてそんなものさ」


(この知識を、この少年はどうやって身につけたのかしら)

 2人のやりとりを聞きながら、アレスタは考える。

 邪法についてはそのとおりだ。そのリミッターが外れた者による理不尽な殺戮さつりく、大量虐殺は、世界の歴史の影で、あるいは表舞台でも、しばしば行われてきたことである。

 なのに隼人は異界駅についての知識は持っていなかった。とてもアンバランスだ。

 ひととおり身辺調査を済ませてはいる。衆議院議員・烏眞からすま 天晄たかみつの次男とは驚きだった。これまでその血筋から霊能力者が輩出された記録はなかったからだ。愛人が生んだ子ということだから、あるいは母方の血なのかもしれない。深く掘り下げるにはもう少し時間が必要だろう。いずれにせよ、これまで彼の導師メンターとなる者はいなかったようだ。

 独学で身につけた者は、知識が偏りがちなのはよくあることだが……。

 ぜひそれについて聞きたいところだったが、今はそういう時でもないだろう。残念だ。

 アレスタは車を減速させ、とある高級マンションに隣接した駐車場へ車をすべり込ませた。


「着いたわよ、3人とも」

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