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第11回

●ナイトフォール(現実世界 2024/07/19 AM1:20)


 加速する電車のドア窓から、斉藤は離れていく駅を目で追った。そこに立ち尽くしていた麻衣子の姿もすぐに見えなくなる。


 自分の言葉は彼女に伝わっただろうか?

 分からない。

 あまり時間がなかった。とにかくこの電車から降ろして、こいつらから引き離さなくてはとあせっていた。

 こいつら――陰鬼いんきと安倍は言ったか。


『向こうには陰鬼がうろついている。向こうに引き込まれて怨霊に殺されたやつらだ。といっても魂は消費されてるから残りカスみたいなもんだが。

生者に引かれてふらふらやってきては憑こうとする。虫みたいにうっとうしいやつらだ』

 1人2人なら問題ない。集団でこられると多少厄介だが短時間なら平気だろう、と言って、安倍は対策を教えたてくれた。


『呼吸を乱すな。動揺を見せるな。息を整えて、静かに見返せ。平常心を保て。おまえらなどただの影でしかないと分からせてやれ。おまえらには何一つ、髪一筋さえ変えられるものはないんだと』



◆◆◆



●現実世界 2024/07/19  PM5:00


 ナイトフォールにいる陰鬼について聞いた憂喜は、何か気付いたように「あ」と声を発した。

『もしかして俺、あのとき結構やばかったのか?』

 「あのとき」というのは、先日巫女たちに捕まったときのことだろう。

 隼人は前髪の間からちらと見て、にやりと笑う。

『先に見つけたのが俺で運が良かったな』

『うわー、やっぱりかー』

『彼女……喜多本さんもか?』

 その質問に、隼人はなぜそんなことを訊くのか不思議がるように少し間を置いて、それでも答えてくれた。

『分からないな。答えられるだけの情報がない。ただ、彼女が陰鬼になっていないのは間違いない。なってたら32名の飛び降りなんて起きなかっただろうし、これから起こすこともできない』

『じゃあ――』

『かといって、まともでもないだろうな』

 隼人は3人がいまひとつピンときていない様子なのを見て、重ねて言った。


『人が、ここと違う世界へ放り込まれて、どうして生きられると思うんだ? 自分の生きる世界から出た魚は長くは生きられないと知ってるくせに』


 適応するためには変質するしかない。

 そうして向こうに順応したは、もはや人とは呼べない。


『とはいえ、俺も異界駅については知識がない。昔は、ああいうのはなかったからな。

俺が思うに、異界駅とはマヨヒガと似た類いのものだろう。人を迷い込ませ、願いを叶えて帰らせる。マヨヒガに大勢の人間を呪殺できるほどの力はないが、駅舎自体が怪異ならその内側は外とは違っているかもしれない』

『昔?』

 おかしなことを言う、と首をひねった憂喜の手の中に、ぽんと試験管が放り込まれた。外側のガラスには小さな赤鳥居が描かれていて、中には白い小さな渦があるのがかすかに視える。

(チィちゃんかな?)

『何これ? 空っぽじゃん』

 同じように目を凝らした田中や斉藤には、白い渦は視えていなかった。


『俺は異界駅に嫌われてる。前に何度か試してみたことがあるんだが、一度も入れなかった。この前のときのように強引に入ることもできるが、憂喜と違って俺と彼女には縁がないからな、とこ――ナイトフォールのどこへ出るか分からない。だからおまえらに行ってもらうしかない。

駅まではそいつが案内する。目的の駅に着いたら俺をべ』



◆◆◆



●ナイトフォール(現実世界 2024/07/19 AM1:00)


 そうして3人は喜多本 麻衣子が最後に目撃されたという路線の最終電車に乗って、異界駅との接点――奇しくもその付近には廃神社があった――を3本尾の白狐の導きで通過し、異界駅へ着くことができたのだった。

 問題は、そこが目的の駅ではなかったこと、牛頭の化け物たちがいたことだ。


「いや、なんで!? あんな化け物がいるって、安倍のやつ言ってなかったじゃんー!?」


 常夜灯のような明かりがあるだけの薄暗いホームを走って逃げながら、田中が叫ぶ。

 牛頭の化け物たちは見るからに重量のありそうな金棒を持っているのに引き離せなかった。どころか、彼らの上げる牛の鳴き声のような奇声や足音に、むしろ距離を縮められている感すらあった。

振り向いて確認したいが、振り向くことで速度が落ちることを考えると、それもできない。想像ばかり膨らんでいく。

「悪いのはおまえだろっ。おまえが、ちょっと見て回りたいなんて言うからっ」

 すぐ前を走る憂喜が指摘した。

「だって異界駅なんて、来たの初めてだから! おまえらだって反対しないでホイホイついてきたじゃんか!」

 それはそう。

 結局、憂喜も斉藤も、好奇心を抑えられなかったのだ。

 それがまさか、こんなことになるとは。


 プルルルルっと発車ブザーが響いた。

「坊っちゃんたち、乗りやっしゃ!」

 宙を跳ね飛ぶように走り、先導していた白狐が率先して車両へ飛び込む。

 その後を追って斉藤が。そして振り返って他の2人を確認すると、2つ後ろの車両に飛び込む憂喜と田中の姿がちらりと見えた。

 電車はすぐに発車する。


 車内へと目を戻して、斉藤は一瞬ぎくりとした。

あちこちに黒い人影がいる。椅子に座ったり、吊り革に捕まったり、ドアにもたれたりと、まるで普通の人間のように。

「……こいつらが?」

「へえ。影やさかい、生前と同じ行動をとりがちなんですわ。

 まあ、騒いだりして目立たへんかったら大丈夫です。坊ちゃんが理性的でよか――」

 そのとき、「うわーーっ」と驚く田中の大声が聞こえた。

 ああ……と斉藤は顔に手をあてる。

「お2人を連れてきますんで、坊っちゃんはここで待ってておくれやす」

 「俺も行こうか?」と言おうとしたが、やめた。そうしたほうがいいなら白狐が言ったはずだ。ここを知らない状態では、白狐の手間を増やすことになるだけかもしれない。

 斉藤の前、白狐はひらりと身を翻すと後部車両へ続くドアをすり抜けていった。


 内柱に背を預け、2人の合流を待つ。人影たちは斉藤に気付かないのか、それとも動かない彼を他の人影と見分けられないのか、一切斉藤に関心を向けてこない。じっと観察していると、電車が減速を始めた。

 ホームで電車が停車する。降りる人影はない。ブザーが鳴り、このまま発車すると思ったときだ。少女が飛び込んできた。


 喜多本 麻衣子だとすぐ分かった。

 床に跪いて、がっくり肩を落とした体を黒い靄が包んでいたが、この電車にいる人影ほどではない。


 よろよろと立ち上がり、椅子に座ろうとする彼女は周りがよく見えていない様子だった。もしかすると斉藤と彼女では、見ている視界が違うのかもしれない。

 電車に乗る直前、隼人が言った。


『向こうとこちらでは時の流れ方が違う。向こうでは時間は、あってないようなものだ』


 だからこそ、自分たちはこうして彼女を捕らえた異界駅を目指しているのだ。

 38年前にいなくなった彼女が当時のままの姿でいるのは当然として。はたしていつの彼女だろうか?

 知りたかったが、時間はかけられなかった。

 白狐や憂喜たちがいつここへ来るとも分からない。

 あの3人、そして隼人は、きっと彼とは違う考えを持っているだろうから。


 次の駅に入構したのを幸いに、斉藤は彼女を強引に電車から降ろした。

「まだ間にあうはずだ。いいか、もう願いごとはするな」

 黒い靄に包まれかけた彼女は、長時間こちらにいて変質しかけているのかもしれない。だが完全に染まりきっているわけじゃない。まだ間にあうはずだ。きっと。


 それは、何の根拠もない時点でただのむしのいい願い、いや、祈りも同然だったろう。


 どうしてこうなっているのか分からないと、ホームに呆然と立ち尽くしている彼女に背を向け、人影たちへ向き直る。

 人影――陰鬼たちは、斉藤と同化したがっているような気がした。単純に人に戻りたいのか、彼を通して外の世界へ戻れると考えているのか、それとも彼を仲間にしたがっているのかまでは分からなかったが。

 悪意とはまた違う、言うならば心に影を落とす負の感情――絶望、不安、孤独、そういったものが見えない手を伸ばしてきているのが圧として感じられる。心の弱い者なら簡単に屈してしまいかねないそれらに、じわじわと心が追い詰められかけているような気がして、無意識に後ろへ下がった斉藤の背が、ドアにぶつかったときだ。


 ガラリとドアが開く音がした次の瞬間、カッと白い光が通路を左から右へ走り抜けた。


 その一瞬で、後ろのほうにいた陰鬼たちがちりぢりになる。

 あわてて白光が来たのと別のほうへ逃げる陰鬼たちの後ろから、開いた口からまだチリチリと放電している白狐と、憂喜、田中が現れた。


「無事だったか斉藤」

「おまえ、はえーよ。おまえと違って俺らはずっと帰宅部だったんだから、加減して走れ」

「……すまない」

「って、素直か!」

 すかさず田中のツッコミが入る。

「いや、なんでそこで謝っちゃうかなぁ」

「ま、いーや。お互い無事だったんだし」

 ぱしぱしぱし。背をたたいた田中は、これで良し、と次に白狐へ向き直った。

「それで? チィちゃん。これからどうすんの?」

 田中からの質問に「それなんやけどなぁ」と白狐は渋い物を口に含んだような顔と声で答える。

「目的の駅な、実はさっき過ぎてしもーたらしいんどすわ」


「「なんだってーーーーー!?」」


 田中と憂喜が声をそろえて叫ぶ。

 気配がどうたらとごにょごにょ言い訳する白狐に、「どうするんだよ!?」と詰め寄る2人を眺めながら、斉藤は考えていた。

(彼女が再び願わなければ、事件は起こらない)

 そうすれば、次に会うまでになんとか隼人たちを説得できるかもしれない、と……。

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