「ここのうどんはもちもちした歯ごたえがいーんだよ!」
翌日の昼休み。食堂で田中は力説していた。
「弾力あってさ! 冷やしだと特にそれが顕著なわけ! んで、俺のおすすめは夏の期間限定アサリのあっさり冷やし! 濃いめに味付けされたアサリがたっぷり乗って、これがカツオと昆布出汁の汁に合うんだ! しかも並と大盛が同じ金額で、たったの500円! ワンコインだぜワンコイン! すげーお得だろ!?」
3限目終了のチャイムと同時に「今日は俺に付き合え!」と強引に田中に引っ張って連れて行かれた隼人だが、実は食堂に入るのはこれが初めてだというのを知った田中が、俄然張り切って解説を始めたのだ。
そしてそんな田中が食堂メニュー1オシとして挙げたのが『アサリのあっさり冷やし』だった。
「だが1日30食までと数量が限定されてる! うまいメシを前に1年も3年も関係ない! 熾烈な争奪戦が、ここ食堂では連日繰り広げられてるんだ!」
という言葉にうそ偽りはなく、券売機の前はいつも長蛇の列になっている。しかし3年の教室は1階で、彼らのE組は食堂への渡り廊下からも近いことから、田中たちの前には10人しかいなかった。買えるのは確実。
「今日は俺たちが勝ち組だ! みんなでアサリ食べよーぜ」
意気揚々、券売機のボタンを押そうとする田中だったが。
「あ、俺ザルソバね」
「俺鴨南蛮」
そろってうどんよりソバ派な憂喜と斉藤は、さっさと自分たちの食べたい食券を買って、カウンターへ行ったのだった。
「まったくよー、おまえら、協調性がないんだよ。せっかく俺がおすすめしてやったってーのに」
ぶちぶち不満を言いながら割り箸を割る田中に、斉藤はあきれていた。
「まだ言ってるのか」
「まあまあ。いいだろ、安倍はちゃんとおまえおすすめのアサリ冷やし食べてるんだし」
な? と憂喜が隣の隼人を見る。
隼人は田中に半強制的に買わされたアサリの冷やしうどんを黙々と食べていた。傍らにはチェリー牛乳があり、はたして食い合わせ的にそれはおいしいのだろうかと憂喜は内心疑問に思ったりもしたが、本人は気にしていないようだ。
チェリー牛乳をすすりながら
「……味がくどいな」
ぼそりと言う。
「それが食べ終わるころにはクセになってるんだって!」
田中が言い返したときだ。
テーブルに人影が落ちた。
それは綾乃で、綾乃は他の3人のように自分を見ず、無関心なままの隼人に眉を寄せる。だが後ろについていた未来に肘で促され、手に持った紙束を牛乳を飲む隼人の前に放り出した。
「あんたの言ってたサカグチマコトが判明したわよ」
◆◆◆
綾乃と未来は隣の空きテーブルから椅子を持ってきて、同じテーブルについた。
場を移動しようと提案してこないということは、ここで話しても問題ない範囲の内容なのだろう。もしくは、食堂は食器のかち合う音や雑談する生徒たちの声で適度ににぎわっていて、聞き耳を立ててもまともに聞こえないと判断したのかもしれない。
綾乃は報告書を中央に置いて、4人にも読めるようにした。
「38年前、この学校にサカグチマコトという名前の学生は4名在籍していて、うち2名が女性。1名が1年男子、1名が3年男子で、まずこの3年男子の坂口
「恋人がいたのか。かわいそうに」
屋上で視た光景を思いだしながら憂喜がつぶやいた。
『真くん助けて』と口が動いていたと隼人は言った。あそこから飛んだのは彼女たちの本意じゃないに決まっているけれど、あの瞬間本人たちの意識もあって、恋人に助けを求めていたのだと思うと胸が痛い。
そんなことを考えて俯いている憂喜の横顔を見つめて、未来が応えた。
「そうですね。
それで彼について調べてみると、この数十年で彼の身辺でおかしなことが起きてるんです」
「おかしなこと?」
「彼の近くにいた女性たちが、事故にあってけがをしたり、死にかけたり。本当に死んだ人はいないみたいですが」
悪い偶然という見方もできる。交通事故にあったり、階段から落ちて骨折したり、橋から落ちたり。38年もあれば、身の回りの人に不幸な出来事が2~3回起きることもあるだろう。しかしそこに「彼に好意を持っている女性に限って」というキーワードが付くとなれば、その
「そのことで、親戚からも絶縁されてる」
「絶縁? なんで?」
「けがをした女性の中に、彼の叔母と従姉妹もいたのよ。彼が小さいころ姉と慕ってた女性なんだけど、上京したついでに彼に会おうと待ち合わせした店に暴走車が突っ込んでくるって事故があって。一命はとりとめたけど、この事故で叔母は腰の骨を折る重傷で今も車椅子、従姉妹も顔に大けがを負ったことから叔父が激怒して。しかもこの人、親戚内で発言力ある人だったことから「あいつは呪われてる! 絶対に関わるな!」となったわけ。
これ、在学当時の彼の写真。なかなかの美形でしょ」
綾乃が報告書の該当ページをめくる。それは卒業アルバムのカラー写真で、そのページに映った男たちの中でも一際目を引く端正な顔立ちの爽やかな青年だった。
「バスケ部のキャプテンだったって」
途端、田中がむっとした。
「あー、女子たちにキャーキャー言われてモテそーなやつだ」
「斉藤にちょっと雰囲気似てるな」
「いや、俺モテたことないけど」
「おまえが勝手にそう思ってるだけだろー。剣道部の試合のとき、おまえだけ女子の歓声すごかったじゃん」
「斉藤ももう少し愛想よく笑えば、こいつみたいになるんじゃないか?」
「俺、そんなに無愛想か?」
「自覚ないのかよ」
「はい、静聴静聴。昼休みも残り少ないからねー」
綾乃がぱしぱしテーブルをたたいて、男3人の注目を再び自分たちへ戻す。
「で、これが現在の坂口真」
と見せられた写真の束は、一目で隠し撮りとわかるものだった。50代半ばの真は昔の面影そのままに精悍な顔立ちで、部下たちを連れて働く姿は活動的で、実際の歳より若く見えた。
スーツを着こなした姿も見栄えが良く、笑顔も好感が持てて性格の良さがにじみ出ている。周囲に写っている仕事相手や彼の部下たちも彼に好意的な目を向けており、彼を好きになる女性が多いのも納得できた。
「坂口真、55歳。某外資系企業勤務、VC。エリート人生まっしぐらって感じ。同期、部下からの評判も良く、それでこの外見なんだからモテるのは当たり前。なのに、いまだ未婚。上司から気に入られて何度か親戚の娘とお見合いしたこともあるけど、全部破談だって」
「お相手の女性によると、彼から頼まれたということでした。『恩ある上司からの願いで断りきれず、このような場を持つこととなってしまいましたが、わたしはまだ妻を持つ準備ができていません。どうかあなたのほうから断ってください』と。
そのときにはもう彼に近づく女性が不運に見舞われることはうわさになっていましたから、お相手の女性は『もしやそのことが関係しているのですか』と訊いたそうです。『それならわたしは気にしません』と。
どうやらこのお見合いは、彼女が彼を見初めて設けてもらった席のようでした。でも」
「それが違うんだって。忘れられない女性がいるっていうのよ。高校のころからずっと、もう何十年もたつのに」
「あー、まあ、両想いになってこれからってときに死に別れちゃったら、結構なトラウマだよなー」
分からんでもない、と田中が同情を見せたときだ。
綾乃が未来と視線を合わせ、同時にため息をついた。
「それだったら理解できなくもないんだけどね」
「お相手の女性からの追求で、彼が忘れられない女性として挙げた名前は、死んだ恋人のものではありませんでした。
事件が起きる数日前に家出して行方不明の女子高生、
「はあ!?」
二股か? と憂喜たち3人が身を乗り出して机上に置かれた写真を見る後ろで、隼人1人椅子にもたれて無表情に牛乳パックをズコーっと吸っていた。