「初めまして、安倍隼人くん。わたしはTUKUYOMI機関東日本支部で
あなたの活躍は5年前から機関でも捕捉していたんだけど、これまで名前、性別、年齢はおろかどんな容姿をしているかすらつかむことができずにいたの。
わたしたちの界隈ではちょっとした有名人だったのよ、あなた。そんなあなたとこうして会えるなんて、とてもうれしいわ」
「……俺はうれしくない」
アレスタの女神のごとき微笑を真正面から受けても、隼人に緊張している様子はなかった。
いつもの無愛想で応じる隼人の態度に綾乃は眉を寄せ、未来はそんな綾乃にはらはらしている。
「ぜひあなたを
「断る」
「お互いを知るためにも、一度うちに見学に来ない?」
「興味ない」
「即答なのね。参考までに、なぜそうも
隼人はふっと息を
「誤解とか、そういうんじゃない。必要ないんだ。俺は1人でやれる」
「これまではそうだったかもしれない。でもいずれ、間違いなく行き詰まるわ。わたしたちはそれを補い、あなたをサポートすることができる。
考えたことはない? 今までのことも、もっと楽に、手際よく、できたかもしれないと」
その質問に、隼人は即答できなかった。
目を伏せ、閉じ。そして開く。
「それを得るために、主導権をおまえらに委ねろって?
俺は、犬になる気はない」
「どういう意味!? あたしたちが犬とでも――もごごっ」
「綾乃ちゃん、彼がどう思ってても、それは彼の主観だから。私たちがそうっていう理屈にはならないの」
さっと手で口をふさいで未来がさとす。
同時に田中がぽかりと隼人の頭をたたいた。
「おまえ言い過ぎ。おまえがコミュ障なのは知ってるけど、もう少し言葉は選べ」
隼人はたたかれた所をさすりさすり田中を見、綾乃を見て「……悪かった」とつぶやいた。
「あなたがどう考えているか、分かったわ。このことはひとまず保留にしておきましょうか。
屋上の話をしましょう。あなたも通う学校だから、あなたにも関係することでしょう?」
アレスタは38年前に起きた、集団飛び降り自殺について語った。
1986年1月。32名の女子高生が学校の屋上から飛び降り自殺をしたことは、当時世間をかなりにぎわせた。メディアは一様に受験ノイローゼによる集団自殺と報道し、コメンテーターは学校のあり方、受験生が直面しなければならない戦争と称される受験の過酷さについて非難した。
実際、それ以外考えようがなかった。32名全員が高3生だが、つながりは薄い。AとBとCは友達だがクラスの違うDは友達ではない。DとEはクラスメイトだが口をきいたことはない。EはCと部活が同じだ。こういったつながりはあっても、同じ学校に通う生徒なので全員顔見知りであっておかしくない。
しいて上げるならば8組の生徒が一番多く、15名いた。あとはそれぞれのクラスから少数ずつ、といった感じだ。
普通ならそれだけ死者を出した学校は廃校になっておかしくなかったが、当時は第ニ次ベビーブームのころで全国的に学校が不足していた。1学年1000人を超えて当たり前、1クラス平均45人の学生を1人の担任が見るという状態が長く続いていた。マンモス校と呼ばれる学校も少なくなかった。
教室が足りず、増設までの臨時として敷地に平小屋を建てる学校もあったほどだ。
同じ地区の学校のどこも学生を受け入れる余裕がなく、結果としてその高校は屋上を立入禁止とし、3年生の教室を1階にすることで対処したというわけだった。
そして屋上で鎮魂祭として祭儀を行ったのが霊術師・佐藤玄水である。
当時オカルトがはやっていたこともあり、きもだめし感覚で夜に侵入しようとする学生や外部の者が懸念されたため、人よけの結界を張ることでこれに対処した。そのこともあり、38年たった今ではうわさとして人の口にのぼることもなくなり、すっかり風化した事件だった。
「3日前まではね。
西ヨーロッパ本部の姫巫女が神告を託宣したのよ、数日のうちにあそこで再び集団飛び降り自殺が起きると。
正直、これに関して東日本支部はノーマークだったの。機関創設前の古い事件だし、あそこには『何もない』というのがうちの
「残像があるのが問題だとは思わなかったのか? ああいったものは風化していく。38年もあれば消えていておかしくない」
「縁があれば、風化が遅くなったり、消えなくてもおかしくはないでしょう」
口をはさんでいいものか、ためらいがちに、それでもはっきりと未来は言った。
「ただ、あそこに霊自体は1体もなく、呪詛の気配もありません」
「当然だ。あれらの霊はエネルギーとして消費されただけだ。術師の狙いは他にあった」
「はい。そして術師は同じことをしようとしているのだと思います。38年前の事件は成功例ですから」
2人の会話に、アレスタが満足げにほほ笑む。
「見解が一致したわね。
あなたがそういう知識をどこから得ているのかにも興味があるけれど、今はとりあえず、第2の事件が起きるのを防ぐために手を貸してほしいの」
「手を貸す? 外の手を借りなくちゃならないほど脆弱なのか? 機関というのは」
「さっきも言ったけれど、前の事件はノーマークで、情報が不足しているのよ。そして事件は明日にも起きるかもしれない。
あなたはさっきからこちらを挑発して自分を諦めさせようとしているみたいだけれど、そんなことで事件解決の確率を落とすほどわたしたちは狭量じゃないわ。わたしたちは人を助けたい。それは、あなたも同じでしょう」
チッと舌打つ隼人に、アレスタはさらに追い打ちをかける。
「大勢の同級生が飛び降りる光景なんて、見たくないわよねぇ」
アレスタの目は斉藤と田中、憂喜を流し見ていた。
返答を待つアレスタを前に、隼人はソファの背もたれに背を預け、こつんと頭をつける。
「……俺に利がないなあ」
「は!? あんた、この期に及んでまだそんなこと言ってんの!?」
「じゃあそんなこと言うおまえは無償無休でこいつらの言いなりに働いてるのか?」
ぐっと綾乃が詰まる。
「綾乃。彼の要求は正しいわ。他者が身につけた力や知識を借りるには対価がいる。当たり前の話よ。あなたたちが受けてきたセミナーだって、講師は無料奉仕してくれていたわけじゃないわよ?」
「それはそうだけど……」
「それで、何をお求めかしら。その様子だとお金というわけではなさそうね」
「金はいい。
……俺のことを黙っていてほしい」
「いいわ」
意外にもアレスタは即座に応諾した。おそらくは隼人がそう言うのを見越していたのだろう。
(まだこいつの手のひらの上か)
内心で苦虫をかみつぶす。
驚いたのは綾乃と未来だった。
「ちょっ!? いいの?
「そうです。一度奥津城さんと話し合ったほうが良くないでしょうか。
きっと、蚊帳の外に置かれたって拗ねちゃいますよ」
「あら、こうなる前に連絡は入れたわよ? でも彼、スマホ切ってるみたいでつながらないの。どうせお馬さんか船か自転車でしょ。向こうが切ってるんだから、知ったことじゃないわあ」
ほーーーっほっほっほ。
「……それって昼間、暑いとか昼飯がまずいとかつけ爪が割れたとかどうでもいいことで頻繁に愚痴メール入れまくったから、あきれて切られただけじゃ……」
「分かっててやってたのよ、綾乃ちゃん。そういう人じゃない」
隣で綾乃と未来がひそひそ話していても、アレスタは知らんぷりだ。
そんな三人を眺めていた隼人は、小さくため息をつくと告げた。
「サカグチマコト」
「え?」
「残像の2人がつぶやいていた。「サカグチくん」「マコトくん、助けて」と。漢字は分からない。俺が言えるのはそれだけだ」
泣いていたあの2人を思いだす。それだけで隼人はあの光景を視るときのようにやりきれない気分になった。
はるか昔に起きた事象の残滓でしかないのに。
「いいわ。こちらで調べておく」
「……帰る」
ぼそり、つぶやいて席を立ち、ドアへと向かう隼人を見て、彼に席を譲って別席についていた憂喜があわてて立ち上がる。
「待てよ! 俺も行く!」
またあした、とテーブルに残った者たちに手を振って、急ぎ隼人を追って行った。
「じゃあ俺たちも帰るか」
「だな。ごちそうさまでした」
礼を言って、田中、斉藤も席を立った。
未来とアレスタと三人だけになって、綾乃はぷくっと片ほおを膨らませる。
「なに? あいつ。すっごくえらそう。一体何様のつもりなんだか」
「そう言わないの。あなたたちと彼は、今後長いつきあいをしてもらうんだから」
「えーっ」
文句たらたらな綾乃をたしなめつつ、アレスタは小型情報端末を操作して、安倍隼人のプロフィールを画面に出す。
「あの……、アレスタさん。本当に、黙っているんですか?」
「そうよぉ。せっかく手にしたアドバンテージを、どうして他のチームにただであげなくちゃいけないの。
あれはかなりの逸材よ。絶対逃さないように、慎重にからめ手でいきましょ。
ふふっ、楽しみだわ」
舌なめずりしそうな声で愉悦の笑みを浮かべて、アレスタは画像の隼人を爪でなぞった。
◆◆◆
「おい! 待てって!」
絶対声が聞こえていないはずがないのに、立ち止まらずどんどん早足で歩いていく隼人を追って、憂喜は走った。
雑踏にまぎれて見失いそうになりながらも、くせっ毛頭を頼りに追いかける。どうにか追いついたときにはかなり息が切れていて、すぐにはしゃべれそうになかった。
「おまえ、スポーツできそうに見えて、案外ひ弱だな」
息一つ乱れていない、涼しい顔で隼人が見下ろす。
「……わる、かったな……。もう、部活は引退して、帰宅部なんだよ……」
ようやくひざを支えに立ち上がると、大きく深呼吸して。
「ごめん!」
頭を下げて謝った。
「あれは八つ当たりだった。
あのときはものすごく腹が立ってたけど、聞いてて思ったんだ。おまえ、何年も逃げおおせてきてたのに、それが、俺のせいで……」
アレスタと話す隼人を見て、最初のうち、憂喜は肩の荷が下りた安堵を感じていた。そして徐々に怒りが冷めた頭で思い至った。自分は、取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないかと。
深刻な表情でうなだれている憂喜を見て、隼人はふっと笑った。
「なんだ、ずいぶんしおらしいじゃないか。怨霊たちにさんざんやられても減らず口たたいてたおまえが」
「あれは……、あれとこれは、違う」
「……そうだな、違う」
「だけどこれは――」
「俺に言わせたいのか? それを」
おまえを助けなければよかったと。見殺しにしていれば身バレすることもなかったのに、と。
「そんな……っ。
……いや。ごめん」
「気にすんな。どうせ、いつかはバレたんだ。時間の問題だっただけだ」
隼人の言葉に、憂喜は「ごめん」としか返しようがなかった。
「ごめん」
「だから、もういいって」
「うん。だけどさぁ」
声に涙がにじみだしたとき。
「あー! 安倍と憂喜みーーーっけ!」
底抜けに明るい田中の声がして、2人にどかんとぶつかってきた。
両腕で2人の首を抱き込み、耳元でわははと笑う。
「おまえら足はえーよ! どこ行ったかって斉藤と探したぞ!」
「ほら、憂喜。忘れ物」
斉藤が憂喜のスクールバッグを眼前にぶら下げてきた。
「あ……」
隼人のあとを追うことばかり考えてて気がはやって、ファミレスに置き忘れていたことに初めて気付いた。
「ありがとう」
「おまえら腹
「そういや、おごりって言ってなかったか、おまえ」
腹に手を当てた隼人が田中に言う。
田中は、しまった、という顔でしばらく考えた後、考えるのが面倒になったのか「ま、いーや」と言って「おごってやる。けど、夜マックな!」と隼人の背をはたいた。
「さあ行こーぜ! 俺も腹減った!
あ、そーだ。キャラ育成どこまで進んだ? おまえ、雷だっけ。パーティ見せろよ」
田中と互いのスマホ画面を見せ合って、あれこれ話しながら前を歩く隼人の横顔を見ながら、憂喜は斉藤と歩いた。