3限目を終えて昼休みになって、ようやく未来は綾乃のいるC組へ向かうことができた。
転校してきたばかりで不慣れに違いないと心配して、何かと声をかけて教えてくれたり気を遣ってくれるのはありがたいが、そのせいで休み時間も1人になることができなかった。綾乃が現れなかったことから察するに、彼女も同じ事態になっているのだろう。
廊下を歩いているだけなのに、視線が集まるのを感じる。この制服のせいだ。ブレザーの中で1人だけセーラー服は、どうしても目立ってしまう。制服ができるまで待ってほしいと
目立つことは極力避けるべきだが、今回ばかりはしかたがない。事は緊急を要する、と。
はたしてC組を覗くと、想像したとおり綾乃もクラスメイトたちに囲まれていた。未来と違うのは綾乃も積極的に受け答えをして、相手を笑わせたりしていることだ。横向きに足を組み、リラックスして、まるで最初からそこにいたようにクラスになじんでいる。
自分は人見知りだと自覚している未来が、うらやましい気持ちで見ていると、視線に気付いたようにこちらを向いた。
ちょっとごめん、という仕草で綾乃が席を立ち、こちらへ歩いてくる。
「ごめんなさい。邪魔しちゃった?」
「ううん。どう抜けようか考えてから、むしろ助かった。
それより、あたしこそごめん。さっきの休み時間、抜けられなかった」
「いいの、わたしもそうだったから。それに昼休みのほうがゆっくり時間取れるし」
「だね。じゃあ行こっか」
2人が向かった先は屋上だった。ここの屋上は立入禁止として鎖付きの南京錠がかかっているが、鍵は事情を知る校長から前もって受け取ってある。
「そっちはこの前の伊藤憂喜と同じクラスなんだよね。あいつ、何か言ってた?」
「彼とはまだ話してないの。機会がなくて。でも、そのうち……」
「そっか」
鍵を指に引っかけて回しながら階段を上っていた綾乃が、そこで「あれ?」と声を上げた。
「どうしたの? 綾乃ちゃん」
「鍵、外れてる。ほら」
床に転がった南京錠を拾い上げて、後ろの未来に振って見せる。
「ほんとだ」
「壊れてるよ、これ。事件が起きてから38年だっけ? そりゃ傷みもするか」
赤さびだらけの南京錠は指先でピンっとはじいただけでボロボロとさびをこぼし、掛け金の先が欠けた。
「38年間、マジで誰も1度も開かなかったんだ」
「波長の合う者が何かの拍子に見えておかしくないからって、おじいちゃんが人よけの結界を張ったって言ってたけど、まだ有効だったのね。もうとっくに消えてておかしくないのに」
「さっすが希代の
敬愛する祖父のことを褒められるのは、
「うん」
複雑な気持ちを隠して、未来は明るく答える。
(そんなこと、綾乃ちゃんにはとっくにお見通しかもしれないけど……)
「開けるよ」
床に垂れていた鎖を外した綾乃がドアノブに手をかける。
鉄の重いドアは、さびついて見えるわりに簡単に開いた。
◆◆◆
「だからさー、もう7月なんだし、教室で食おうぜ? 暑いんだよ、ここ」
ぶつくさ文句を言いながら、田中が食べ終わった弁当のふたを閉めて脇へどける。
「賛成」
先に仰向けになっていた憂喜が手を挙げた。
食後の惰眠をと思ったのだがこれが失敗で、熱をためこんだコンクリートがじわじわとシャツ越しに背中を焼いてきて、とても眠れたものじゃない。
『いつも昼休みになるといなくなるけど、おまえ、どこで飯食ってんの?』
発端は、そんな田中の好奇心だった。
『はっ! まさか便所飯――』
言い終わる前に隼人のゲンコツが落ちる。
『するか! そんなこと!』
『じゃあどこだよ?』
食い下がる田中に隼人が連れてきたのがここ、屋上で、以来何度か隼人にくっついて来ては3人もここで昼飯を食べている。
『ま、たまにはこういう景色を見ながら食べるのもいいかもな』
と気に入ったふうで言っていた斉藤は、今日は早々に食べ終わり、剣道部の自主練に向かっていて今はいない。
田中の泣き言を聞いても隼人はどこ吹く風といった様子だ。購買のパンを食べ終えて、食後のマンゴー味牛乳パックをズコーっと吸っている。
「おまえ、よくこんなとこで平然としてられるな。おまえだって暑いんだろ?」
「……まあ」
「だろ? じゃあ明日は俺に付き合え! 今日はおまえに付き合ったんだから!」
付き合ったも何も、俺たちが勝手に押しかけてるだけなんだが……と憂喜は思ったが、ツッコミは入れなかった。自分も空調が効いてる教室のほうが絶対いい。
(田中ガンバレ)
心の中でエールを送る。
「教室が嫌なら食堂はどうだ!?」
との田中の言葉に、隼人が何か返答しかけたときだ。
尻の下でドアが押し開かれる振動を感じて、話が中断した。
「なんだ? 今の――」
「しっ」
身をひねって下をのぞこうとした田中を隼人が止める。そして隼人は伏せろというように手で合図し、自身も寝転がった。
2人の元へ憂喜が這い寄る。
「何?」
口の前で人差し指を立てる隼人に、声をひそめて訊くのと同時にドアを開けた者たちが出てきた。
綾乃と未来だった。
「なんだ、転校生じゃん」
てっきり鍵が開いていることに気付いた先生じゃないかと思っていた田中は、そうじゃないと分かってひとまずほっとする。
「屋上は立入禁止だって、知らないのかな?」
「かもね」
「憂喜、知り合いなんだろ? 声かけてみたら?」
「う、ん……」
普段だったら田中に言われる前に声をかけていただろう。しかしここには隼人がいて、絶対するな、と無言の圧を放っている。
どうしても隼人は彼らと関わりたくないようだ。
「あ、そっか。ならどうして俺たちはいるんだって返されると困るな。バレると面倒だし、このまま隠れとくか」
田中は勝手に納得したようだ。
振り向いて仰ぎ見られれば気付かれる距離で、しかし意外と彼女たちが3人の存在に気付いた様子はなく。
綾乃はぱたぱたと手をうちわ代わりに使って、胸元へ風を送っていた。
「照り返しあっつー。さっさと終わらせて教室戻ろ。
始めて」
との綾乃の合図で、未来が一歩前に出た。集中するように目を閉じて、吸った息をゆっくりと吐き出し柏手を打つ。
ぱぁんと、とてもきれいな音がした。
「
その尊き神風をもちて佐藤玄水なる者が張り巡らし結びのひも緩め、ひとたび取り払うこと、お願い奉る」
言い終わると同時にさわやかな薫風が吹いて、屋上をよぎっていく。
瞬間。
屋上に数十名の女子高生たちが現れた。