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第2回

●2024年7月。


 その日、朝の教室は普段以上に騒がしかった。


「なあ、聞いたか?」

 他のクラスメイトたちから詳細を仕入れた田中が憂喜たちの元に戻ってくる。

「聞いてるよ。転校生だって? 3年のこの時期に」

 何か不祥事を起こして転校せざるを得なかったのでは、と斉藤が勘ぐって眉をひそめるのも当然だろう。しかし田中はお気楽極楽。ニカッと笑い、指を2本立てる。

「女子が2人。職員室に入ってくの、松本のやつが見たって。

 しかも、だ」

 田中が少々もったいぶって身を寄せ、声をひそめる。

「うちの担任が戸口で出迎えてたってよ! これって、2人ともうちのクラスってことじゃ――」

「ないない。普通、1人がここならもう1人は他のクラスだって」

 憂喜にあっさり否定されたことで田中はぷくっと片ほおを膨らませ、やおら振り返るや自席に座る隼人に向かって言った。


「それが2人とも、すっっっごくかわいいって話だぜ! どう思う? 安倍!」


 先日の事件以来憂喜と隼人の仲が少し縮まってから、憂喜を介して2人も隼人と口をきく間柄になっていた。

 このときも田中に話しかけられる前から体の向きを彼らのほうに向けていて、3人の話を聞いている様子だったが、何を考えているかまでは読み取れない。

 話を振られた隼人は、売店横の自販機で買ったに違いない、パイン牛乳のパックをストローでズズーっと吸って、答えた。


「興味ない」


「ま、そうだろうな」

「こいつが女子に興味を示したりしたら、そっちが驚く」

 と斉藤と憂喜は納得したが、田中は退かない。

「なんだよー。ノリ悪いなー。もっと食いついてこいよー、おまえ高校生男子だろー。健全な高校生男子なら、美少女って聞いたらもっとがっつくもんだぞー」

 シャツの胸元をつかんでがくがく振る。

 どう見ても半分以上ただのいちゃもん付けだ。田中だって本当はそんなに興味があるわけではないのだ。

「おまえオッサンみたいだぞ」

「なヌっ!?」

「ほーら言われた」

 はいどうどう、と斉藤が田中を羽交い締めして手を外させ、憂喜が笑う。

 ちょうどそのとき、教室の前のドアがからりと開いて、担任が入ってきた。

 「着席」と日直の号令がかかり、ガタガタとみんなが自席へ戻る。「起立、礼」のかけ声で朝のあいさつが行われる。再び着席した生徒を見回して全員いることを目視した担任はうなずき、生徒たちに向かって言った。


「今日はみんなに新しいクラスメイトを紹介しよう。

 さあ、入って」


 担任の言葉に応じるように、教室のドアがからりと開く。入ってきたのは背の中ほどまで届く、まるで絹糸のような翠髪が印象的な、セーラー服を着た美少女だった。

 まっすぐ伸びた背筋、きれいな足運びで教壇の前を横切った少女は、教壇の左側でクラスの者たちに正面を向く。

 その間に担任がカッカッカッと音を立ててチョークで黒板に『佐藤さとう 未来みらい』と名前を書いたが、誰一人それを見ている者はいなかった。

「すっげー美少女! かわいすぎないか?」

「お人形みたいだな」

 ひそひそ話で沸き立つクラスの中で、転校生が彼女と知った憂喜が笑顔で小さく手を振る。

 安倍隼人だけが、無言で固まって冷や汗を流していた。




 休み時間になると、待ってましたとばかりに未来の席は人だかりができた。

「未来さん、どうしてセーラー服なの?」

「あの……、制服が間に合わなくて……」

「その前ひもの制服、雙葉高でしょ? 名門じゃん! どうしてうちへ?」

「どうして今ごろ転校したの? あ、志望の大学がこっちにあるとか?」

「……えーと」


 矢継ぎ早の質問攻めに、未来は答えづらそうに言葉を選ぶ。その恐縮した姿が、おとなしくて控えめな美少女という外見から受けるイメージそのままであることがうれしく、囲んだ男子たちはにやつきが止まらない。

 そんな様子を、自分は知り合いだがここでそれを出すとひけらかしになって未来のために良くないだろうと控えて眺めていた憂喜だったが、未来が本当に困っている様子なのを察し、間に入ろうと席を立とうとした。が。

「うわ!」

 直後、ドカッと後ろから強く椅子を蹴飛ばされてよろめく。

 踏ん張りが間に合って倒れずにすんだが、結構危ういところだった。

 誰だよ! と振り返った先にいたのは。


「ちょっとツラ貸せ」


 ヤ〇ザ並に殺意を漂わせた隼人だった。



◆◆◆



「だーかーらー! 俺じゃないって!!」


 誰かに聞かれる危険性もなく話せる場所、屋上の塔屋で、憂喜は隼人のつるし上げに合っていた。

「何も話してないよ、おまえのことは!」

「本当か?」

「あの日は自分のことでいっぱいいっぱいだったし、あの後、もらった名刺に電話してカウンセリング受けたけど、そのときにはおまえから話すなって言われてたから、怨霊に襲われて逃げ回ってただけとしか話してないって」

「…………」

 どうだかと推し量るように目を細めて憂喜を見下ろす隼人に、憂喜は「あっ、傷つくなあ」と座ったまま体を揺らす。

「これでも俺、おまえには恩を感じてるんだぜ」

 そんな義理はないのに、自分を護って戦って逃がしてくれた。美喜の霊に頼まれたからだと隼人は言ったが、それだって無視することはできただろう。隼人は霊に対して積極的じゃない、というのは見ていて分かった。

 霊のほうが関わりたそうにしていても完全無視だ。以前は他の者たちのように視えないからだと思っていたが、そうじゃなく、隼人がシャットアウトしているのだ。

 いちいち相手していたらきりがなくなる、というのは憂喜も同意だ。憂喜は視えるだけだし、怨霊に関わったのもこの前の1度きりだが、それでも十分、ああいうものには極力関わらないほうがいいと理解できていた。


 死者は癒えない傷しかつくらない。


「だからさ、彼女たちが来たのは別のことでだって。おまえが目的だったら転校なんて面倒な手続きとらないだろ?」

 これで駄目ならもう言うことがないぞ、と憂喜が思ったとき。

 考え込む隼人の尻ポケットから突然試験管が飛び出して宙に浮いた。きゅるるっとゴムのふたが勝手に緩んで、中からひゅぽーんっと手のひらサイズの小さな3本尾の白狐が飛び出してくる。

「あっ、おまえ! 勝手に――」

「さっきから聞いてましたら、なんですか、坊っちゃん。こちらの坊っちゃんがなーんも悪おまへんのは、聞くまでもなく明らかやないですか。それを、いつまでーもジメジメと。甘えるのもいいかげんにしやっしゃ!」

 立板に水のごとく、白狐は隼人にまくし立てる。

「なっ!? 甘えてなんかないぞ!」

「いーえ、甘えてますー」

 隼人が白狐にやり込められているのを見るのはちょっと面白いかも。憂喜は小さくくすりと笑った。

「大体、あてがきちんと報告しましたやろ。なんでっか? あてのことも疑っとったんです? 坊っちゃん」

「え? いたの? チィちゃん」


 チィちゃんというのはこの白狐の愛称だ。本当はもっと長ったらしくて小難しい、ナントカ杜のナントカカントカという名前なのだが覚えられず、「チィちゃんで、えーです」と本人が言ったことを幸い、憂喜はそう呼ぶようにしている。


「はい、ちゃーんとおりましたえ。あの3人の手前、姿も気配も消してましたから坊っちゃんが気付けんかったのは無理ない――わぷっ」

「いいからおまえは巣穴にこもってろ。呼ばれもしないのに出てくるな」

 巣穴ちゃいますー、との反論を無視して、隼人は白狐を吸い込んだ試験管の口をゴムでぎゅむっと栓をした。

 そして再び憂喜に向き直り、何か言おうとしたのだが――。


 隼人のスマホがピコンと鳴った。

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