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第13回

 なぜこんなことになってしまったのか。いくら考えても思い当たることは何もなかった。


 そもそもが気付く直前までほぼ周りの様子が目に入っていなかった。長谷川やあの少女たちを詐欺師と断罪し、自分は頭にきているのだと思い込もうとすることで本当の恐怖から目をそらし、忘れようとしていたから。

 どこをどう走ったかすら覚えていない。だから、考えたところで分かるはずがないのだ。


 もう、思いついた所は全部行き尽くした。ここには人っ子一人いない。自分だけ。


 何をどうすればいいかなどもはや見当もつかず、すっかり意気消沈してその場にへたり込んでしまった憂喜を、そのとき小学生の少年が2人、しゃべりながら追い抜いていった。

 年長で小学校高学年くらいの左の男の子が小学校低学年の右の男の子を先導している。横顔でも分かるくらい2人は面差しが似ていて、兄弟のようだった。

(俺のほかにも人がいた!?)

「ねえ、きみたち!」

 前に出られるまでその存在を感じ取れなかったことに驚きながらも、憂喜は前を歩いていく少年たちを急ぎ呼び止めようとする。

 少年たちは後ろからの声に話すのをやめて立ち止まり、振り返ったが、しかし2人が見ていたのは憂喜ではなかった。憂喜を空気のように透過して、彼の背後を見ている。

 視線を追って振り向くと、2人よりずっと幼い少女が遠慮がちに遅れて歩いていた。

 浮かない表情を浮かべたその少女に憂喜はぎくりとする。

 あの少女だった。


『ついて来るなよ! いくらついてきたって、おまえは冒険に連れてかないぞ!』

 ほらさっさと帰れ、と右の小さいほうの少年が少女に言う。

『……やだ。あたしも行く。……置いてかないで、ちぃ兄ちゃん』

 少女はびくつきながらも、懸命に声を張って言い返した。ワンピースを握り締めた小さな手が、少女がどれほどの勇気を振り絞っているかを物語っていた。

『わかんないやつだな。言ったろ、女の子は駄目なんだって。今日は女の子はお山に入っちゃいけないって、母さんが言ってたじゃないか。

 なっ、大兄ちゃん』

『違うもん! 入っちゃいけないのはあたしたちみんなだもん! ね? 大兄ちゃん』

 大兄ちゃんと呼ばれた左の少年は、小さな2人からの応援要請に少し困った様子で「まあまあ」と、怒っている右の少年にとりなすような仕草をした。


(なんだ? このやりとり。見覚えがある気がする……)

 結局大兄ちゃんは少女の味方をして、少女も連れて行くことを決めるのだ。ちぃ兄ちゃんと呼ばれた少年は不満だったが、冒険ができなくなるのがいやで、しぶしぶ納得する。


『ついて来ちゃったものはしかたないじゃないか。ここから1人で返すわけいかないし、送ってたらもう今日は冒険できないぞ』

『えー。やだ。お祭りの日じゃないとお山の神様出てこないんでしょ』

『らしいな』

 憂喜が考えていたとおりのやりとりがあって、右の少年はぷくっと頬を膨らませ、いやがりながらもしぶしぶ少女に『しょーがないな。ほら来いよ』と手を差し出した。

『わあ! 大兄ちゃん、大好き! ちぃ兄ちゃんもありがと!』


「……それで、3人で禁足の山へ入って……それから――うっ」

 突然首が絞まった。

 突き飛ばされ、地面に倒れ込む。

 何者かが後ろから首にひもを渡して引き絞っている。跳ね起きようとしたが、憂喜の背に片ひざを乗り上げた何者かはびくともしなかった。


   ケヒッ……ぃひひひひっ


 下卑た男の嗤い声がする。死にたくないと必死にもがいている憂喜を見て興奮しているのだ。

 憂喜は引き剥がそうと躍起になったが、ひもは二重に巻かれていて、ぴたりとのどに貼りついて引き剥がせない。立てた爪が傷つけるのは自身ののどだけだ。


 酸素が途絶え、頭が真っ赤に焼けた。脳が悲鳴を上げる中、小さな血管がぷちぷちと切れていく音が脳内で聞こえた。小枝のように骨が折れる音がして、鼻腔をぬるりと生暖かいものが伝う。

 体がしびれ、感覚が遠のき。

(もう……駄目、だ……!)

 消えかけた意識の中で、そう観念したときだ。ふっと体が軽くなった。

 背の男も首のひもも消えて、次の瞬間には憂喜はあぜ道に立っていた。


「なん、だ……一体……?」

 確かに死んだと思った。

 男にひもで首を絞められて、頭が燃えるように熱くなって、息ができなくて。男の力は強く、いくら憂喜がもがいても微動だにしなかった。

 そして、自分は死んだのだ。なすすべなく。

 まだ体中に死の感覚が残っている。

 震える両手を見つめ、呆然と立ち尽くす憂喜。だがこれで終わりではなかった。


 どんっと背中を突き飛ばされ、転がった。急ぎ上半身を起こし、振り返った憂喜は、今自分を突き飛ばしたばかりの男を見上げた。

 野卑な男だった。ぼろきれと大差ない、汚れた服をまとい、ぼうぼうに伸びた髪とあごひげはシラミだらけ。鼻をつまみたくなるような獣臭がする。

 男は垢にまみれた手を伸ばし、逃げようとした憂喜の後ろ髪をひっつかんで持ち上げた。


『……ああっ……!!』


 痛みに漏れた声は、女の声だった。

 憂喜は引きずり戻され、男の仲間たちの輪に放り込まれた。

『こ、この愚か者どもめ! ここは山の神をお祀りするお屋代やしろなるぞ。そ、そこでこのような――』

 またもや勝手に憂喜の口が動く。

『うるせえ!』

 男は聞く耳を持たなかった。憂喜がしゃべり終わるのを待たず、大きな手で憂喜を張り飛ばす。

 憂喜は神社の壁にしたたかに肩と背をぶつけた。痛みに一瞬息が止まる。

『わ、わたし、わたしは……』

 憂喜は腫れ上がったほおに手をあて、無力な小鳥のように震えながら、自分に迫ってくる恐ろしい男たちを見上げているしかなかった。


 男たちは誰も、彼女の言葉に耳を貸さなかった。そして彼女を人としても扱わなかった。

 事の善し悪しもわきまえられない獣に、なぜそのようなことができるだろうか。

 女は獣たちに蹂躙され、最後は男が腰に差してあった錆びた鉈で頭を割られ、四肢をばらばらにされて近くの川に投げ捨てられた。


 女が死ぬと憂喜はあぜ道に戻る。


 そうして憂喜は、自分ではどうにもできないまま、無残に死に続けたのだった。


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