立ち話も何だから、と最寄りの喫茶店へ場所を移したあとで、男は
憂喜も進学候補の1つとしているT大の2年生らしい。
「僕の知り合いがTUKUYOMIの拝み屋をしていてね」
「TUKUYOMI?」
「そういう世界的な組織があるんだよ。まあ、簡単に言うと悪い霊を退治するプロフェッショナルの集まりさ。怨霊に苦しめられている世界中の人たちを、己の命を賭けて救ってるんだ。かっこいいだろ?」
まるで自分事のように、大西はその組織がどれだけ素晴らしいか、誇らしげに語っている。
「……はあ」
その彼に連絡を取るよと言ってスマホで電話をかけ始めた大西を残して、憂喜はトイレに立った。
うなじが焼けるように熱い、冷やしたくてたまらない。どうも引っかき過ぎて、熱を持ったみたいだ。
トイレットペーパーを折って重ねた物に水を含ませて、そっとうなじにあてがった。
(それにしても……TUKUYOMIだって? 怨霊退治の専門家の集まり? そんな、漫画に出てくるような組織が本当に存在するのか?)
現実感が薄かった。だまされているような気もする。
だけど、自分はそういう専門家を捜して、祓ってもらおうと考えていたんじゃないか?
助けを求めても、神主さんはまるで信じてくれなかった。本当のことを言ったのに……。
「――ううっ……!」
うなじが激しく痛み、洗面台で憂喜は思わず身を折った。
ズキンズキンとうずいて締め付けるような痛みがうなじのふくらみを中心にある。やけどのようなヒリヒリとした表皮の痛みが横に広がっているように思えて、指でなぞりながら憂喜は鏡をのぞき込んだ。
今までと同じでよく見えないが、どうやら首の横辺りまで広がってきているようだ。首をひねり、身をねじってどうにか見えた箇所では、赤い筋になっているのが見えた。
蚊にくわれたというより漆か何かにまけたように見える。このところずっと気が休まらないから体調が崩れて、アレルギーを発症してしまったのかもしれない。
これまでそんなことなかったけどと思ったが、深く考えるのはやめた。今は人を待たせている。
もう一度、濡らしたトイレットペーパーで患部を冷やして、憂喜はトイレを出た。
席へ戻ると頼んでいた飲み物が届いていて、大西はコーヒーを飲んでいるところだった。
「やあ。彼と連絡が取れたよ。ちょうど近くにいるから、ここへ来てくれるって」
「そうですか。
それで……その人は、どういう方なんですか……?」
「ああ! ごめんごめん。そりゃ知りたくなるよね」
大西は笑顔でコーヒーカップを置くと、その人物について話し始めた。
名を、
「もともとご両親が信心深い檀徒だったらしくて、彼も物心つく前から浄土真宗の教理に触れてきていてね。悪人正機って知ってる? 悪人こそ救われるにふさわしい者だっていう教えで、この「悪人」っていうのはつまりきみや僕ら、一般人のことなんだけど。
政秀は、死んで霊になった者たちもここに含まれるって考えたわけ」
昔から彼には霊が日常的に視えてきた。そして成仏できずに地上をさまよい、怨霊に成り果てた者たちこそ真に救済されるべきだとの考えから仏門の道に入って修行を続け、そうして得た知識と高めた霊力で、今は拝み屋をしているということだった。
「拝み屋? お坊さんではないんですか?」
「あー、なんか、上層部との間で軋轢があったらしいよ。教義に対する解釈がうんたらくんたら言ってたけど、その辺は僕も聞き流しちゃったから分かんないや」ごまかすようにはははと笑い。「まあそれで、彼は僧籍を抜いて帰俗して、拝み屋商売を始めたってわけ」
「はぁ」
「言っとくけど、彼の拝み屋としての腕は確かだよ、もう何十件とこなしてきてる。かく言う僕もその彼に助けてもらった一人なんだけど」
歯切れの悪い憂喜の反応に不安感を感じ取ったか、大西が急ぎ付け加えた言葉は、憂喜を大いに驚かせた。
「あなたも霊に!?」
「うん。まあでも、僕の話はいーや。今はきみのこと」
大西はやおらポケットからたばこを取り出すと火をつけた。深く吸い込み、紫煙を吐き出す。わざとじらすように間を置き、そして先までと少し違う声音と表情で言った。
「ここまでが釣り書きね。で、さっき話したけど彼は『元』僧侶なんだ。寺に属してない。生活するには金を稼がなきゃならない」
大西が言ったのはこういうことだった。
政秀には怨霊に堕ちた霊、ひいてはその霊に苦しめられている人々を救済したいという願いがある。そして実際、救済を必要とする者たちは大勢いる。
はじめのうち、政秀は週に1日、仕事の休日を人々の救済行為を行う日にあてていた。しかしそれでは到底こなしきれない数が彼の元へ舞い込んでくる。また、1回だけで終わる事象ばかりでなく、数日間続くことも少なくない。仕事など彼の生活に影響が出るのは必須。
彼は仕事を辞めざるを得なくなった。しかし生活するためには金を稼がなくてはならない。それで、救済するかわりにいくらかお金をもらうことを決めた。
「だから彼に霊を祓ってもらうにはお金がかかる。分かるね?」
分かる、けども……。
ためらいを嘲るように、首がズクズクと痛む。
「……いくらぐらい、ですか」
大西はぱっと手を開いた。
「5万?」
それならバイトすれば払え――。
「50万、最低」
「ごっ!? 俺、高校生ですよ!? そんな大金、無理です!!」
「彼は普通の者たちにはできないことができるんだ。僕にもきみにもできないことがね。できる人が限られる仕事への対価っていうのは、当然高くなるよ」
「それは……でも……」
「うん。学生のきみには大金で払えないっていうのも分かる。
どうだろう? 僕からご両親に話してもいいけど?」
憂喜はどうしたらいいか分からずうろたえた後、力なく手元に視線を落とした。
「……俺、父と2人暮らしで……。父には、話せません」
「そっか。まあ、それはちょっと保留にしとこうか。
もう呼んじゃったし、せっかく来てくれるんだから、相談だけでもしてみたらどうかな」
「相談。……もしかして、それもお金かかるんですか?」
「そりゃ仕事だからね。専門家に相談に乗ってもらうには相談料がかかるよ、それが社会の常識でしょ」
「はあ……」
今財布にいくら入ってたっけ? と考えていたときだ。
ガラランとドアチャイムが鳴る音がして、店の入り口の自動ドアが開いた。音につられてそちらへ視線を向けると、観葉植物越しに男が入ってくるのが見えた。