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第8回

 その夜、憂喜は夢を見た。


 暗い中で小さな女の子が声を上げて泣いている。

 真っ暗で何もないと思っていたけれどそれは周りがよく見えていなかっただけで、目が慣れればそこは木々が乱立した山の中だというのが分かった。

 木々の天蓋からわずかに差し込む月光は寒々しく、冷気を伴っている。わあわあと泣く女の子の口元を中心に、吐く息が闇へ溶け消えていた。


 月光が少女の周囲にある何かを照らし出す。


 14本の手だ。

 青白い、生気を失った7対の細い腕。それらが少女をぐるりと囲み、教科書に載っている仏像のような印を組んでいる。

 細くて長い指が女性のものであると分かると、7つの唇が浮かび上がった。

 オシロイバナを塗ったような、薄く紅を引かれた大きな唇。ほうぼうに伸びた、ぱさついた髪で隠れた面で、唯一そこだけが生々しく生気を感じさせる。


 枯れ木のような女たちは口々に何か、難しい言葉を輪唱していた。

 ある者はうつむき。

 ある者は天を見上げ。

 ある者は少女に向かってささやくように。

 高く低く、長く短く。声を揺らして調子をとり。

 うたのように。

 のように。

 しゅのように。



 幼い少女は泣いている。泣きながら呼んでいる。

 ——おかーさん。

 ——おとーさん。

 ——おおにいちゃん。

 ——ちぃにいちゃん。

 ——どこ?



 気付いたとき、憂喜は目を開いて自室の天井を見つめていた。

 寝間着の胸元をぐしゃぐしゃに握り締めて。


◆◆◆


 朝、何も知らない父親にばれないよう、いつものように制服姿でスクールバッグを持って「行ってきます」と家を出た。

 向かう先は学校ではなく、駅である。

 通り道に少女の姿がなかったことにほっとしつつ、駅のトイレで素早く着替えた。

 学校のほうは斉藤と田中が適当にごまかしてくれると言っていた。田中だけだと不安だが、斉藤がきっとうまくやってくれるだろう。

 電車の座席に座り、ぽりぽりとうなじをかきながらそんなことをぼんやりと考えていた。


 憂喜がまず向かったのは初詣で行った大山祇神社だった。

 普通の日でもそこそこ参拝客がいる、割と大きめな神社である。

 ここを皮切りに、憂喜は午前中をかけて市内にある名の知れた神社や寺を数カ所巡ったが、懸念していたような、憂喜を補導しようとする大人の姿はなかった。


(まあ、寺とか神社とか、学校サボるやつが行くような場所じゃないよな)

 そのこと自体は良かったけれど、良かったのはそこ止まりだ。神社と寺でそれぞれ厄払いの祈祷を受けたものの、どれもピンとこなかった。「え? これで終わり?」といったような感じで、どちらもあっさりして、実感がないうちに終わってしまった。

 あの少女が出てくるとか、そういったこともなく。これで本当に祓えているのかどうか……思えない、というのが憂喜の正直な思いだった。


 笑われるのを承知で、思いきって神主さんを呼び止めて説明をする。少女の霊につきまとわれて困っているんです、と言う憂喜にその人は


「それはきっと気のせいだよ。きみ、受験生でしょ? 受験勉強に根を詰め過ぎなんじゃないかな。たまには少し休んで、ゆっくり過ごしなさい」


と、にっこり笑って当たり障りのない助言をしてきた。


 最初から憂喜の悩みを真剣に受け止めようとしていない。他人事なのだ、結局は。

「……でも、そんなもんだよな。霊に憑かれてるって言われて、それは大変だ、なんて信じる人なんか、普通いないって」

 たとえお坊さんでも。

 これが当たり前の反応、というのは分かるが……。

 じゃあこれ以上、どうすればいいんだ?

 行く先々で購入してきた厄払いのお守り6個を見ながら、ため息をつく。


 それにしても、今日はずっとうなじがかゆい。朝、洗面台の鏡で見ようとしたが、絶妙に見えない位置にあって駄目だった。だからどんなふうになっているのか分からないけれど、指で触れた感じだと虫にかまれたときのようなふくらみがあるようなので、たぶん寝ているうちに蚊にでもかまれたのだろうと思っていたが、気温が上がって体温も上がったせいか、かゆみが増しているような気がする。

 ドラッグストアで買ったかゆみ止めも、そんなに効いている感じがしない。なんだか妙にかゆい場所が広がってきている気もするし、次の神社へ行く前にコンビニのトイレでもう一度確認してみようかと考えていたときだ。


「きみ、大丈夫かい? さっきからため息ばかりついて、何か深刻そうだけど」


 寺の敷地を出た所で、見たところ20代の若い男に声をかけられた。

「あー、はい。すみません。ありがとうございます、大丈夫です」

 もしかしてさっきのぼやきも聞かれちゃったかな、と考える。少々ばつの悪い思いでへらりと愛想笑いを浮かべ、その場をそそくさ立ち去ろうとする憂喜を、男が呼び止めた。


「待って。——ごめん。実は、聞こえちゃったんだ、さっきの独り言」

(やっぱり!)

「あ、いえ。それは……その」

「きみ、霊障にあってるみたいなこと言ってたよね?

 それなら僕が力になれるかもしれない……きみが望むならってことだけど」

「本当ですか!?」

 考えるより先に言葉が飛び出していた。

 男は気圧されたように少し身を引きかけるもすぐ持ち直し。

「本当だよ」

 笑顔で請け負った。

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