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第7回

 2人は斉藤のマンションにいた。


 斉藤の家は両親が共働きで父親は残業が多く、看護師の母親が夜勤の日は結構遅くまで過ごせることから憂喜たちは普段からよくたまり場にしていた。

 憂喜がマンションの入り口で部屋の番号のインターフォンを押すと斉藤が出て、オートロックが解除される。やはり両親はおらず、斉藤の部屋では斉藤のベッドに座って、壁に背中をついた田中がスマホでオンラインFPSをやっていた。


「憂喜が来たぞ」

 部屋の中の田中に向けて言い、そして憂喜には「適当に座ってろ」と言い置いてから、斉藤はキッチンのほうへ行った。おそらく憂喜の分の飲み物を入れに行ってくれたのだろう。


「いらっしゃーい」

 画面をのぞき込んだまま田中が言う。

「おまえの家かよ」

との突っ込みに田中はへらりと笑い、「おまえもやるか?」と訊いてくる。

「いい」

「へえ?」

 ゲームの合間にちらりと上目遣いに憂喜を見て、じゃあ、と幾つかゲームの名前を候補として挙げてきたが、どれもに憂喜は応じなかった。

「今はそんな気分じゃない」

「んじゃ、なんで来たんだよ?」

 独りでいたくなかったから。けれどあれから時間がたって、今になってみるとそれってかなり情けないというか、気恥ずかしくなって、憂喜は「暇だったから」とごまかした。

「ふぅーん?」

 意識の大半がゲームに向いている田中は、やはり適当な生返事をする。憂喜の返答をまともに聞いていたかもあやしいが、今の憂喜にはそれがありがたい。

 部屋の入り口にスクールバッグを下ろし、いつもの定位置に座ろうとした憂喜は尻の付近に違和感を感じて手をあてる。ズボンの尻ポケットに入っている物のせいだと分かり、すぐ、早蕨神社の守札のことを思いだした。


 守札は縦に真っ二つに割れ、文字と御朱印の入った中央部が焼けていた。


「それ、どうしたんだ」

 飲み物を持って戻ってきた斉藤が、守札の惨状に眉を寄せる。

 憂喜は飲み物を受け取り、少しためらったものの、「早蕨神社の巫女さんにもらった」と答えた。

「早蕨神社? 行くとこあるって言ってたのはそれか?」

「うん」

「なんだ? 合格祈願か? お守り買いに行ってたのか?」

 1ゲーム終えた田中がスマホを脇にどけて話に加わる。

「俺の分も買ってきてくれた?」

「ばか。御利益が欲しけりゃ自分で行け。天は自ら助くるものを助く、だ」

と斉藤。

「それって別の神様じゃん」

「どの神様も同じだ。人事を尽くして天命を待つとも言うだろ。まず本人が動いたあとに来るのが神頼みなんだよ。他人頼みのやつのとこなんかに御利益は来ない」

「えー? 神様が、そんなケチくせーこと考えるのか? 神様だろ?」

「おまえには一生縁のないことだったな」

 いつもどおりの2人に、憂喜は胸の底に残っていた最後のこわばりがほどけるのを感じながら、「そうじゃないんだ」と2人に言った。今なら言える気がした。



「——で、これがその守札」

 憂喜は2つに割れて焼けた木の札を2人に見えるよう、机上に乗せた。

「たぶん、こいつが何か作用したんだと思う」

 との言葉に、田中が「うーん」とうなる。まだ半信半疑という顔だったが、頭から否定したりばかにしたりはしない。それどころか

「おまえ、霊が視えんの? すげーな」

 田中の第一声はこれだった。

 憂喜がいやそうな顔をしたのを見た斉藤が、田中の頭をぽかりとたたく。

「いってーな! 何だよ!」

「困ったことになってる本人前にして言うことか」

「あっそーか。わりぃ」

「いや。視えるだけで、何もできないし。だから困って早蕨へ行ったんだけど、駄目だったみたいだ」

 神社の神域から出た途端、少女が現れて守札はこうなった。

 怒らせてしまったのかもしれない。こんな物に頼っても無駄だと嘲笑するためにあんなことをしたんじゃないかと今は考えている、との憂喜の言葉には、斉藤が「それは違うんじゃないか」と意見を口にした。


「割れたってことは、効果があるんだ。忌々しいから破壊したんだ。その守札に対抗するだけの力がなかったってだけで」


「そう、かな」

「おー、斉藤もすげーな。

 じゃあさ、もっと力のある神社へ行けばいいんじゃね? 神社じゃなくても寺とか」

 憂喜はここへ越してきて1年と少したつが、神社仏閣には全く詳しくなかった。自宅周辺や学校近隣、繁華街等日常的な遊び場くらいだ。県で有数と言われている場所も、名前は知っていても場所までは分からない。ましてや宗教など、縁がなかった人間にはそんなものだろう。

 「たとえば?」と訊いてみたが、2人も同じようなもので、名前が出てきたのは初詣で行った寺くらいだった。

「そこなら知ってる」

 正月、クラスの者たちで行ったことを思い出して言う。

「んじゃ、そこ行って話聞くか、紹介してもらうかだな」

 憂喜もそれがいいように思えたので、「あしたそうする」と応えた。


 もう4日後なんて、待てるわけがなかった。


◆◆◆


 黄昏時は逢魔が時。

 何もかもが夕焼けに染まり、沈み、にじみ、なじんで、誰そ彼と、見知った顔も見誤る。

 世界を表す輪郭が溶け出し、も定かでなくなるこのわずかな刻に、それは軽やかな足取りで向こうからやってくる。


 当たり前のような顔をして。




 スピーカーから18時を告げるチャイムが鳴っていた。子どもたちに帰宅を促すように流れる童謡に合わせて歌いながら走る小学生たちとすれ違う。

 先頭は男の子たち。そのすぐ後ろに女の子が3人。きゃあきゃあとはしゃぐ彼らに少し遅れて、最後尾をおかっぱ頭の幼い少女が行く。

 小さな花をちりばめたワンピースが印象的な子だった。水たまりを踏んだのか、赤い靴がスキップを踏むたびに地面にわずかな時間、水の染みができる。

 それを影と見間違う者は多いだろう。彼は、そんなことはなかったが。


 気付いたからと、それを指摘して何になる?

 ゆえに、彼から何か言う気はなかった。これまでのように。これからも。

 ただ、すれ違いざまに嗅ぎ取った、むせるような腐った葉と土の臭気に閉口して、眉間にしわを寄せはしたが。


 走り去る足音がふいに途絶えたことに違和感を感じ、肩越しに振り返ると、少女が立ち止まってこちらを向いていた。

 うつむいた顔に落ちた影が暗くて、面は視えない。

 チッと小さく舌打ちをし、彼は問う。


「俺に何の用だ」


 つきまとわれては面倒だ。言いたいことがあるなら言って、さっさと消えてくれ——忌避を隠そうともしない冷たい物言いに、むしろ少女の決意は固まったようだ。


 少女は面を上げて、涙をにじませた目で隼人に嘆願した。

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