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第2回

 学校までの道を一気に走り通した憂喜は、校門に手をついて切れた息を整えた。


(落ち着け、俺。考え過ぎだっての)

 毎日出会うからって、目的が俺とは限らないじゃないか。あの道を通ってるのは俺だけじゃない。自意識過剰ってものだ。だろう?

 そろそろと肩越しに背後を伺うが、少女の姿はなかった。


 ほらやっぱり。


 はーっと大きく息を吐き出して安堵した憂喜は、スクールバッグを担ぎ直して校門をくぐる。

 とても授業を受けるような気分じゃなかったが、サボるにはすでに何人もの学生に姿を見られていた。街で補導でもされようものなら内申書に大きな傷がつく。気分が悪いと保健室でうそをついて早退する手もあるが、家へ帰るにはまたあの道を通らなくてはならない。

「頼むから、俺が帰るまでにいなくなっていてくれ……」

 祈る思いで憂喜はつぶやいた。


 通りすがりの友人知人とあいさつを交わしながら3階の教室につくころには、それでも気分はかなり上向いていた。

 ここは安全、安心だ。

 教室の後ろのドアをからりと開ける。

「はよーっす」

「よーっす」

「よお! いいとこ来た! これ見ろよ!」

 斉藤の返事にかぶせて、田中が勢い込んでスマホの画面をこちらに向けて振ってきた。遠くて何が映っているかは分からないが、にやついた表情からしてよほどいい物なのだろう。

「何?」

 肩からスクールバッグを下ろしながらそちらへ向かっていた憂喜の足に、そのとき椅子の脚が引っかかった。

「っと、悪い」

 がたんと揺れた椅子の背もたれを手で押さえ、謝罪を口にして、それから椅子の主がクラスでも一目置かれる存在、安倍あべ 隼人はやとだと気付く。


 購買横の自販機で売られている紙パック牛乳のストローをくわえたまま、こちらを仰いできた安倍に、内心「しまった」と思ったが顔には出さなかった。安倍も気付いていないはずだと思うが、鼻先まで下りた長い前髪で顔の上半分が隠れているせいでよく分からない。

「牛乳、こぼれなかったか……?」

「……ん」

 ぼそり。応えた声にも感情は乗っていない。全くの無。リアクションに困る。

「そっ、か。良かった」

 えーと。

「んじゃな」

 へらりと愛想笑いで取り繕って、憂喜は彼の前の自分の席にスクールバッグを置くとそそくさと田中たちの元へ行った。


「どうかしたのか?」

 斉藤に、「いや別に」と肩をすくめて見せる。斉藤は納得できなかったのか、憂喜の肩越しに安倍のほうを伺おうとしたので、気をそらすように「それより、何だって? 田中」と話を向けた。

「これこれ! ピリポのSSRだぜ! ついにゲットー」

 興奮した田中が突き出すスマホに映っていたのは、『Origin Sin』で人気のサポートキャラクターだった。

 ふわふわと露出高めな衣装を揺らしながらポーズを決めた少女の杖から放たれる炎の極大魔法。キラキラ輝く7色のエフェクトが付いた、見るからに豪華な動く1枚絵だ。

「へー、すごいじゃん。確率0.8%だっけ」

「そう! 先月もらった詫び石と今月の小遣い全部突っ込んだけど、悔いなし! ピリポちゃーん!」

 田中は心底うれしそうな顔でスマホのピリポに頬ずりをする。対して斉藤は少し呆れ気味だ。

「ばかだろ、こいつ。まだ6月入ったばっかだぜ」

 同意を求めるように憂喜を見てくる。正直、憂喜も内心では斉藤に同意だったが。

「まあまあ。いーんじゃない? 本人が悔いはないって言ってるんだから」

とりなすようにそう言った。

 たぶん田中は割とすぐに後悔するだろう。例えば、帰宅中にの買い食いとか、ゲーセンで遊ぶ仲間たちに混じれないと気付いたときなんかに。

 が。

(そんなこと、俺の知ったこっちゃない)


 誰だってそうだろ?


 田中は「そーそー」と笑い、斉藤は本意か疑うように見返してきたが、憂喜は笑んだまま何言わなかった。


 クラスのあちこちで友達同士で固まって似たような会話が聞こえる中に混じって、ズコーっとカラになった紙パックを吸う音が聞こえた。



◆◆◆



 昼食の時間。窓際の席で田中たちと弁当を食べていると、クラスの女生徒2人から話しかけられた。


「伊藤くん、進路票持ってきてくれた?」

「ごはん食べてるのにごめんね。山センがうるさくてさ。そんな、急ぐほどの物じゃないのに」

 進路票というのは進路希望調査票のことだ。学校側が、学生たちは高校卒業後にどのような展望を持っているかを把握するために調査する。そして学校側はそれをそれぞれの大学に伝え、大学側はそれでおおよその受験希望者数を把握するという物だった。

 高1高2と、年に数回提出を求められる物だが、高3になって出す物は重要度が増す。特にこの高校は大学進学率が高く、有名大学進学実績もそれなりにある。生徒の進路希望先は担任の査定にも通じるから、教師もしつこいくらいうるさい。


「あー、うん」

 憂喜は自分の席へ戻り、机の中から引っ張り出した紙を手渡した。

「遅くなってごめん」

「ううん。ありがと」

 特にこれといって行きたい大学があるわけでないが、昔から「悪いことは言わん、大学は出ておけ」と父親から言われていた。

 憂喜の父親は田舎育ちで、離婚を機に10年前、憂喜を連れて実家を離れて東京へ出てきた。本人に直接聞いたわけでなくあくまで想像だが、田舎の無名の高卒学歴な上、7歳の息子を抱えていたのだ、父親は相当苦労したに違いない。

 そんな父からの提言を無視できるほどの将来の夢があるわけでもない憂喜は、言われるまま、父が「例えば」と口にした三大学の名をつらつらと書いてきていた。


 高1高2はともかく、こうして高3になって受験が遠い話でなくなった今、憂喜自身、本当にこれでいいのかと思わないでもない。だから白紙の紙を前に3日ほど考えてみたが、やはり行きたい大学や専門学校、入りたい就職先など1つも浮かんでこなかった。

 流されてるなあと我ながら思うが、でも世の中こんなもんだろう、とも、思う。

(ま、さすがに全部は無理だろうけど、1つくらいは受かるんじゃないかな)

 そんなことを考えながら昼食の席に戻ろうとしたときだ。

 憂喜の進路票を出席番号順に並べた束の所定位置に突っ込んで、憂喜の名前の横にチェックマークを入れた女生徒が、とんでもないことを言いだした。


「ねえ伊藤くん。安倍くんからもらってきてよ」

「は? なんで俺が?」

「あと安倍くんだけなんだけど、彼、どこにも見当たらなくて」

「あー。そういやあいつ、お昼時はいつも教室にいないよな」と田中。「どこか別んとこで食べてるんだろうけど」

「伊藤くんなら知ってるんじゃない?」

「いや、だからなんで俺が」

「だって友達でしょ」


 女生徒は当然のことを言うように、あっさりと言いきった。

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