首相官邸前は静かだった。
【ナイトウォッチ】の隊員は総理大臣を守る義務がないため応援に駆けつけることもなく、官邸警備隊の面々が首相官邸を守る「最後の砦」であったとしてもそれはあくまでも対人。魂技を使って戦う【ナイトウォッチ】の一員である颯真たちの敵ではない。
一応はクーデターの対処のためにとフル装備の官邸警備隊がバリケードを築いているが、そんなものは颯真たちにとって意味はない。
ただ、だからといって強引に突破すれば官邸警備隊側に被害が出る。できることなら無傷で突破したいが、相手は決死の覚悟で抵抗するだろうと考えるとそれは難しい話かもしれない。
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そんなことを考えていては裏をかかれる、やはり全力でぶつかった方がいいか、と颯真は車から降りながら考えていた。
「どうする」
颯真の隣に立った誠一が颯真に確認する。
「世論を背負っている相手が一番厄介ですね。多分今回のことで【ナイトウォッチ】は悪者にされるでしょうし官邸警備隊も無能だと叩かれるでしょうし」
実際のところ、颯真たちが起こしたのはクーデターだ。これで総理大臣を引きずり降ろせたとしても世論をうまく操作しないと民衆の反感を買う。いくら靖の野望が問題のあるものであったとしても今の内閣支持率を考えれば自分たちに非難の矛先が向くのは必至。
だが、たとえ民衆の非難を浴びたとしても靖の野望を達成させてはいけないと思ったのではなかったのか、と颯真は自分に言い聞かせた。
靖を告発し、全てがうまくいけば自分たちはある種の英雄として安全は保障されるだろうか。せめて自分以外のメンバーは無事であってほしい、と思いつつ、颯真は口を開いた。
「あとは僕が行きます。相手がチップを埋め込んでいない人間なら僕の敵ではないし、皆もここで離脱してくれた方が今後の身の安全は確保できると思う。だから——」
「なーに水臭いこと言ってんだ、颯真。瀬名もなんか言ってやれよ」
颯真の言葉を遮り、卓実が割り込んだ。
卓実が口を挟んだことで、冬希もそうだ、と大きく頷く。
「少なくとも私は颯真が正しいと思ったから付いてきた。今更離脱しろと言われてもそんな気はないし、それ以上言うなら殴るけど」
「……こわ」
ドスの利いた冬希の声に、卓実がわざとらしく震え上がってみせる。
「ってなわけで今更離脱する気はないんですけど颯真くん? 俺たちはプロジェクト【アンダーワールド】を止めに来た。最後まで付き合うぜ」
「卓実君……冬希も」
こんな危険なことにまで付き合ってくれるとは、と思いつつも颯真は以前の自分、【ナイトウォッチ】に入隊する前の自分だったらここまで付いてきてくれる人はいなかったのではないか、と考えた。
自分の人望がどれほどあるか、ということには興味はない。多くの人間に注目されたいという承認欲求も薄い方だろう。ただ、冬希さえ自分を見ていてくれればそれでいいと思っていた。
だが、今の自分にはこんなにも付いてきてくれる人間がいる。自分を信じて支えてくれる人間が、【タソガレ】がいる。
下手なことはできない、と颯真は身が引き締まる思いだった。皆の期待に応えるために、靖を止めて、そして【タソガレ】との架け橋を作りたい。
「……分かった、じゃあ行こう。その先のこと、政治のことなんて僕には分からないけど、井上総理は止めないといけない」
「だったら、そこは大人に任せてもらおうか」
それまで黙ってやり取りを聞いていた誠一が突然そう口を開いた。
「政治の話は大人の話だ。日本政府は夜を隠蔽し続けていた、【ナイトウォッチ】は隠蔽されていた秘密を告発する、それだけの話だ」
そう言った誠一の目は真っすぐ首相官邸を見据えていた。
「君たちは自分が信じる道を行け、我々大人はその後始末をする」
「神谷さん、一応俺たちも成人してるんですけどねえ」
卓実がそう軽口を叩き、両手の拳をぶつけ合わせる。
「ってなわけでもうひと暴れだ。【ナイトウォッチ】が魂技を見せつけたら官邸警備隊もチップを埋め込んだりするか……?」
卓実の軽い口調に、颯真は肩の荷が下りたような錯覚を覚えた。
大丈夫、皆を信じればいい、そう自分に言い聞かせ、颯真は刀に手をかけた。
攻撃するなら受けて立つ、そう覚悟を決めた颯真の目の前で、官邸警備隊がざわざわと騒ぎ出す。
「……?」
何が起こっているのか理解できずに全員がバリケードの様子を窺っていると、官邸警備隊はバリケードにしていた車や防弾盾を左右に避け、道を作る。
「井上総理はお前たちを通せと言っている。まぁ、我々が何をしても【ナイトウォッチ】には勝てないんだがな」
やや諦めの色を含めた官邸警備隊の声に、一同は顔を見合わせるが、すぐに頷いた。
「行こう。向こうが迎え入れてくれるならたとえ罠でも踏み込むしかない」
そう決断した颯真の声は緊張を孕んでいた。
ここからは敵の本拠地、なにが出てきてもおかしくない。それこそ徹流が持ち出したような制御装置付きの【あのものたち】が現れることも十分に考えられる。
警戒を怠らず、一同は官邸警備隊の間を抜けて首相官邸に踏み込んだ。
【ナイトウォッチ】の一部がクーデターを起こしたという報せは靖の耳にすぐに届けられた。
徹流が「プロジェクトをよしと思わないメンバーが【ナイトウォッチ】本部を攻撃した」という連絡を受けたからだが、靖はそれに対して打てる手を持っていなかった。
SATを投入するにしても到着までに時間がかかるし、相手は魂技を使える【ナイトウォッチ】の隊員だ。人間をはるかに凌駕する【あのものたち】と戦う【ナイトウォッチ】を相手に生身の人間が勝てるはずがない。
だからこそ、靖は徹流がクーデターを起こした張本人を制圧することを期待したが、それもすぐに無駄だと悟ることになった。
クーデターを起こしたのはわずか一隊であったはずなのに、精鋭ぞろいの【ナイトウォッチ】の本部が突破された。本部には制御装置を取り付けて命令に従うよう調整した【タソガレ】もいたが、どうやらそれも止められたらしい。
らしい、というのは「本部のバリケードが突破された」という連絡を最後に徹流からの通信が途絶えたからだ。徹流が従える【タソガレ】の部隊がクーデターの実行犯を無力化したのなら連絡が入るはず。そうならなかったことを考えると、【ナイトウォッチ】は完全にクーデターの実行犯の手に落ちたと判断するのが妥当である。
そうなったらもう消化試合であることは靖も理解するところだった。クーデターの実行犯を誰も止められない今、靖はどう足掻いてもプロジェクトを完遂させることはできない。できることがあるとすれば持ち前の話術を利用した説得だけだろうが、果たしてどこまでそれが通用するか。
そう思っているうちに官邸警備隊よりクーデターの実行犯が到着したという連絡が入り、攻撃の許可を求められる。
「無駄だ、警察如きが【ナイトウォッチ】を止められるわけがない」
通せ、と靖は指示を出した。
ですが、と言葉を濁すSPに、靖は大丈夫だ、と答える。
「殺す気で来ているなら警備隊はとうの昔に全滅してるよ。あちらとしても自分たちの力を理解しているからこそ無駄な血を流さない」
そう言い、靖は立ち上がった。
ゆっくりとデスクの周りを歩き、ため息をつく。
「……ここまで、か」
折角、プロジェクトも大詰めを迎えたというのにここで水泡と帰すのか。
クーデターが起こったという報告は受けた。しかし、【ナイトウォッチ】の誰が反旗を翻したという情報は靖には入っていない。
一体誰が、と考え、靖は何人かの名前を思い浮かべた。
一人は誠一。先手を打って軟禁はしたが、クーデターの実行犯は真っ先に誠一を救出したと聞いている。それならば、誰が誠一の救出を計画したのか。
靖が机の正面に回り、手を置いたところで執務室のドアが開け放たれる。
「——まさか、君が人類を裏切るとは思っていなかったよ」
そう言って靖は振り返り、クーデターの実行犯——その先導者である颯真を見据えた。
「そんなにも【タソガレ】が大切なのか、南颯真!」
颯真に付き従う他のメンバーには目もくれない。
自分の敵は颯真ただ一人だ、と言わんばかりに、靖は颯真を睨みつけた。
颯真もその視線をまっすぐ受け止める。
「人類か【タソガレ】かではありません。僕が大切だと思っているのは今を一生懸命に生きる全ての命です!」
靖の言葉に怯むことなく、颯真はそう言い切った。