深夜の住宅街を一台の自転車が疾走している。
誠一のガレージから拝借した自転車にまたがり、颯真は全力でペダルを漕いでいた。
深夜なので当然、電磁バリアは展開されているが颯真はその開閉権限を持つ【ナイトウォッチ】である。完全に個人的使用で電磁バリアを解除し、颯真は夜の街に飛び出していた。
——冬希さん!
誠一が用意してくれた時間は数時間しかない。少しでも早く、冬希の家に行き、無事だと知らせたい。
耳に掛けたままのデータリンク用端末によって視界に表示された地図には冬希の家がマークされている。冬希からどこに住んでいるかは聞いていなかったが、父親が国会議員であることから自宅の特定は容易にできた。それで得た住所を登録し、颯真は夜の街を自転車で爆走している。
今が【夜禁法】で外出を禁じられている時代でよかった、と颯真は心の中で呟いた。
もし、【夜禁法】がなく、人々が昼間ほどではなくても外に出ている時代なら自転車で自動車の法定速度超過並みの速度を出すわけにはいかなかっただろう。
そう、今の颯真は【
それだけ、早く冬希に逢いたいと思っていた颯真だが、冬希に対しての感情は完全に無自覚である。一応は「気になる」や「放っておけない」といった感情はあるのだが、その感情がどこから来ているのかは颯真自身分かっていない。
夜間で車も人も通らないため、設備の維持のためだけに点滅している信号をいくつも越え、颯真は一軒の屋敷の前に到着した。流石、国会議員を擁する家だけあって、誠一の家に負けず劣らずの広さと堅牢さを兼ね備えている。
電磁バリアを解除して保護エリアに入り、颯真は門の前に立った。
夜間なので本来なら来客などあるはずがない。むしろ下手にインターホンを鳴らせば「夜間に外を出歩いている人間がいる」と通報されてしまうかもしれない。
どうする、と考えた颯真はまずは冬希に連絡を入れることにした。自分の帰還をサプライズにする必要はないし、いくら深夜というほど夜遅くはなくても夜間に下手なことをして騒がれたくはない。
そう決めた颯真はデータリンク端末から冬希の携帯端末に接続した。
データリンク用の端末とはいえ、任務時に様々な連絡をやり取りするため通信機能はある。流石に一般の携帯端末に接続することは許可されていないが、通信機能自体は一般の通信キャリアと提携しているため【ナイトウォッチ】隊員間であれば接続することができる。
颯真の聴覚に呼び出し音が届いた——と思った次の瞬間、回線が開いた。
《颯真!?》
数日ぶりに聞いた冬希の声は焦燥しきっていた。
「うん、僕だよ冬希さん」
颯真が目の前の門を見上げながらそう告げる。
《戻ってきたの!?》
「うん、戻ってきた。心配かけてごめん」
颯真が謝る。
《どこにいるの?》
「冬希さんの家の前」
《は!?》
颯真が「家の前」と言った瞬間、回線の向こうで、そして屋敷の方から大きな物音が響いた。
「大丈夫!?」
何があった、と颯真が思わず声をかけると、通話の向こうから「いたたた……」という呻きが聞こえてくる。
《だ、大丈夫。今門を開けるから!》
その言葉を最後に通話が終了し、屋敷の中が騒がしくなる。
「いいから用意して!」という冬希の怒鳴り声が聞こえた気がしたが、気のせいだろうと自分に言い聞かせ、颯真が姿勢を正すと、門が開く。
「冬希さ——」
「こんの、大馬鹿者!!」
まさかのグーパンだった。
開幕直後の一撃に回避する間もなく颯真の左頬に拳が叩き込まれる。
「ふぐぅっ!?」
ここで後ろに吹き飛ぶ、とかその場に倒れる、といった無様な姿を晒さなかったのは颯真の今までの訓練の賜物だっただろう。いや、そんなことを喜ぶ場合ではない。
痛む頬をさすりながら颯真がいまだに拳を叩き込んだままのポーズでいる人物を見る。
普段は丁寧に手入れされたさらさらの白い長髪が乱れ、怒りに燃える瞳は血のような赤。
「冬希さん……」
やっとのことで颯真がもう一度、冬希の名を呼ぶ。
次の瞬間、颯真に冬希が抱きついた。
「颯真! よかった……」
颯真を強く抱きしめ、冬希が何度もよかった、と同じ言葉を繰り返す。
「冬希さん……。ごめん」
颯真もおずおずと腕を上げ、ぎこちなく冬希を抱きしめる。
心配してくれていたんだ、という考えがじんわりと胸に染み渡り、申し訳なさよりも嬉しさが心を満たしていく。同時に、戻ってこれてよかった、必要以上に冬希さんを悲しませることにならなくてよかった、と思う。
あまりにも心配をかけてしまったから平手打ちくらいは来るだろう、と覚悟していたが、まさか平手打ちではなく拳が飛んでくるとは。それだけ冬希も心配したのだろう、と思い、それだけで、自分は幸せ者だという考えが胸をよぎる。
「颯真が裏の世界に行って……今まで戻ってきた人がいないと聞かされていたから……。諦めろと言われたよ。だけど……信じて、よかった」
颯真の胸に顔を埋め、心のうちを吐露する冬希に、颯真はもう一度「ごめん」と呟いた。
「ごめん、冬希さん。お父さんがあんなことになって不安な時に、僕まで……」
「それはいいんだ、颯真が戻ってきてくれたから」
そう呟いた冬希の腕にさらに力が込められる。
「怖かった。颯真がもう戻ってこないかも、と考えたら嫌だった。お父さんが逮捕されたのは自業自得だけど、颯真だけは自業自得で終わらせたくなかった。だから、戻ってきて本当によかった……」
その言葉に、颯真は冬希がどれほど自分を心配していたのかを思い知らされた。冬希とは確かに【ナイトウォッチ】で共に戦うバディではある。しかし、それ以上に深い何かを颯真は確かに感じ取っていた。
「冬希さん……」
「冬希でいい」
名前を呼ぶ颯真に、冬希がそう答える。
「前から思っていたんだけど、颯真にさん付けで呼ばれるのはもやもやするんだ。だから、呼び捨てでいい」
「……冬希さ……冬希」
分かった、と颯真が頷き、改めて冬希を抱きしめる。
「心配かけて本当にごめん。もう、勝手に突っ走ったりしないから」
冬希を抱きしめて、ふと気が付く。
冬希を一人にしたくない、という思い。
それがどのような感情かはまだ分からなかったが、それでも大切にしなければ、と強く思う。
しばらく抱き合っていた二人だったが、冬希がふと我に返って颯真から離れた。
「とりあえず、夜にここにいるのはまずい。中に入って」
誰も外に出ないから近所の目というものもないが、それでも何が起こるか分からない。
颯真はアルテミスの予測が変わって、今夜の侵攻はもうないだろうということを知っていたから気にしていなかったが、冬希にその情報が伝わっているわけではない。
そのため、危険だと思い、冬希は颯真を家の中に迎え入れた。
「お手伝いさんにお茶を用意してもらったから」
そう言い、冬希が颯真の手を引いて屋敷に入り、応接室に案内する。
富裕層の家らしく高級そうな家具が置かれた応接室に通され、颯真は冬希に導かれるままにソファに座った。
冬希も颯真の向かいに座ると、冬希がお手伝いさんと言った女性が紅茶の入ったカップを二人の前に置く。
「……」
「……」
同じ体勢でカップを持ち、二人は気まずそうにそれぞれの飲み物を口にする。
そして、カップをテーブルに置き、
「……ごめん」
「ごめん!」
二人は全く同時に謝罪の言葉を口にした。
「え?」
「え?」
謝罪の言葉を口にした直後、二人の言葉が再び重なる。
「なんで冬希が」
「どうして颯真が」
しばらく押し問答するような形で発言を譲り合った二人だが、颯真が先に折れ、口を開いた。
「冬希、本当にごめん。あの時は僕もどうかしてた」
話を始めるとしたらまずはここからだろう、と颯真が改めて謝罪する。
「いや、颯真が謝ることじゃない。私が颯真の立場でもきっと同じことをしたと思う」
そう考えると颯真を悲しませなくてよかった、と冬希が苦笑する。
「裏の世界……座学で聞かされた話だととにかく危険な場所、だったのによく無傷で」
「そうだね……。でも、裏の世界もこっちとあまり変わりなかったよ」
冬希が裏の世界に興味を持っているようだ、と判断した颯真がそう言い、「聞きたい?」と尋ねる。
「うん、私が敵だと思っているものを、もっとよく知りたい」
冬希がそう答えたのは、母親を殺した存在が一体どのようなものかを知りたかったからだろうか。【ナイトウォッチ】として【あのものたち】と戦い続けていたが、冬希は【あのものたち】について何も知らなかった。知っていることがあるとすれば【あのものたち】は人間を襲う凶暴なもので、知性が高い個体は人間に擬態できるという程度だ。
だからこそ裏の世界に迷い込み、【あのものたち】と接触したはずなのに無傷で帰還した颯真から話を聞きたいと冬希は思っていた。
そんな冬希の言葉に、颯真はそうだね、と頷く。
「僕もほんの少し見た程度だからあまり詳しくは説明できないと思うけど」
そう前置きし、颯真は裏の世界のことを、そして【タソガレ】のことについて説明を始めた。
颯真自身は人類と【タソガレ】が共存できればいいという思いがあるため、少しはその思想が混ざってしまうかもしれないが、冬希に自分と同じ結論を出すよう強要する気はない。冬希が颯真の話を聞き、どう考え、どう結論づけるかは冬希自身が決めることだ。
冬希に促されるまま、颯真は説明をする。
願わくば、冬希が自分の意思で決めてくれることを祈りつつ。