「……プロジェクト【アンダーワールド】……」
颯真がその名称を繰り返したのは沈黙が室内を満たしてたっぷり一分は経過した後だった。
【アンダーワールド】、「地下世界」や「冥府」を指す言葉として使われているが、【あのものたち】が住まう場所が裏の世界と言われているならこれ以上に適した言葉は存在しないだろう。
【あのものたち】を裏の世界に封じ込めるプロジェクト、その切り札として生み出された颯真とそれをサポートするために不老の呪いを受けてまで原型チップを埋め込んだ誠一。
チップを開発した竜一はもうこの世にはいないが、颯真が真の意味で目覚めたことで人類側に切り札は揃ったと言えよう。
あとは【あのものたち】を封じ込めるだけだ、という意図を感じるそのプロジェクトに、颯真は身が引き締まる思いがした。
一体、どれほどの期待を背負うことになるのだろう。どれほどの願いを背負うことになるのだろう。【あのものたち】を封じ込めることに成功したら人類は夜を取り戻す。夜間の外出を禁じる【夜禁法】もなくなるだろう。颯真も知らない夜の活気が数十年ぶりに戻ってくることになる。
それが実現すればどれほどいいことだろう、とは颯真も思う。人々が自由に夜を出歩き、夜空を見上げ、夜を楽しむことができれば戦ってきた意味は確かにあっただろう。
しかし、それを手放しで望むことが颯真にはできなかった。
【タソガレ】が人間を襲う理由を知ってしまえば人類だけが幸せになる未来を望むことはできない。
【タソガレ】のエネルギー問題がどれほど深刻なのかは颯真も分からない。あくまでも聞きかじった程度の知識であるし、裏の世界に迷い込んだ際に見たあの賑やかな街のエネルギー全てが人間の魂で賄われているとは思えないし思いたくない。
人間の魂をエネルギー源として利用しようと画策したのはミツキだ。長に提唱したのもミツキの独断専行である可能性は高い。
そう考えてしまうからこそ、颯真は人類だけでなく【タソガレ】にも幸せになってほしい、と思ってしまった。もし、エネルギー問題が深刻であるなら人類が夜を取り戻せば【タソガレ】を苦しめることになってしまう。エネルギー問題が深刻なものでないなら——手を取り合うことはできないのか。
あの街を見て颯真は思った。一部の【タソガレ】が人類を模倣していたことから、全ての【タソガレ】が人類を憎んでいるわけではないのではないか、と。それなら人類と【タソガレ】は手を取り合うことができる。もしかすると人類の科学力は【タソガレ】を知ることで飛躍的に向上する可能性も考えられる。
それは颯真が人間と【タソガレ】双方の要素を持っているからなのか。
実際のところ、竜一が誠一をはじめとして人類と交流できていたのだから手を取り合うことは可能なのだ。それを、今の双方が考えられていないだけだ。
「……本当に、【タソガレ】を封じ込めていいんでしょうか」
ぽつり、と颯真が呟いた。
えっ、といった面持ちで誠一とアキトシが颯真を見る。
誠一としては【あのものたち】を封じ込めるのが最終的な目的だからそれが正しいのでは、という考えが、アキトシとしてはこの状況で自分たちのことを考えるのか、という考えが垣間見える。
颯真も「そうですよね」と呟きつつ、自分の考えを口にした。
「アキトシさん、【タソガレ】のエネルギー問題ってどれくらい深刻なんですか」
「それは——」
颯真の質問に、アキトシが言葉を選ぶように口を開く。
「……割と深刻だ。現時点で、今われわれの世界にあるエネルギー源はそう遠くない未来に枯渇するとは計算されている。それでいて、消費するエネルギーは年々増加している」
「エネルギー問題の深刻さはどちらも同じ、か」
アキトシの言葉に、誠一がぽつりと呟く。
「颯真君としては、人類が夜を取り戻せば【タソガレ】のエネルギー問題が解決できずに苦しめることになる、と考えたのか」
はぁ、と誠一が息をつく。
「互いの目的が可視化されるとこういう問題が出てくるのだな。颯真君はどちらも幸せになれる方法を模索したい、と」
「はい。【タソガレ】の生活を少しだけですが見たんです。【タソガレ】も僕たちと変わらない生活を送っています。それを犠牲にして人類だけが幸せになる未来を、僕は望んでいない」
「ソウマ、われわれの問題はわれわれのものだ。きみが気に病むことは——」
たまらず、アキトシが口を挟む。
いくら【タソガレ】の要素を持っているといっても颯真は人間だ。少なくとも、アキトシはそう認識している。それなら颯真は人類のために戦うべきだ。勿論、無辜の存在——人類も、【タソガレ】も、他者に害をなさない一般市民であるならばその幸せを願い行動することに制限はしない。それでも、颯真の「【タソガレ】も幸せになるべき」という考えはある意味人類に対する裏切りになる。
颯真は人類側の存在として人類の幸せを第一に考えるべきだ、とアキトシは颯真を止めようとした。今【タソガレ】が表の世界に侵攻しているのは【タソガレ】の問題だ。颯真がそこまで責任を負う内容ではない。
しかし、颯真は折れなかった。
「僕は人間だろうと【タソガレ】だろうとただ普通に、当たり前に生きたいというのならその思いを尊重したいんです。人間が幸せになるために【タソガレ】が苦しむことも、【タソガレ】が幸せになるために人間が苦しむこともあってはいけないと思うんです。どちらかだけ、なんてきっと父さんも望まない。父さんが【タソガレ】であったなら、きっと人間も【タソガレ】も両方幸せになるためにチップを開発しようとしたんだ、と思いたい……です」
「颯真君……」
颯真の言葉は誠一に響いていた。誠一も竜一という一人の【タソガレ】と共に生きた時期があったのだ。それを考えれば確かに竜一が人類の利益のためだけに魂を増幅させるようなことはしなかったはずだ。いつになるかは分からないが、人類と【タソガレ】の両方が発展するために、チップを開発しようとした。
颯真の言葉で誠一は気が付いた。プロジェクト【アンダーワールド】は人類のためだけに進められているものだ。【アンダーワールド】に携わった人間は全て【タソガレ】のことを知っている。それでいて、その【タソガレ】を徹底的に排除しようとしている。
それではだめなのだ、と颯真は言っている。人類も【タソガレ】も幸せになってこそ、本当の意味で発展していくのだ、と。
ほんの数日だったが、いなくなった間に颯真は多くの経験をしたのだな、と誠一はふと考えた。
裏の世界へ迷い込んでいなければ【タソガレ】のことを知ることもなかっただろうし、【タソガレ】の幸せを考えることもなかったはずだ。誠一が口にしたプロジェクトもその通りだと進めようとしたかもしれない。
颯真が異を唱えたことで誠一もようやく気付くことができた。【タソガレ】は確かに今人類を攻撃しているかもしれないがそれが総意ではない可能性を。
そして思い出す。十七年前のあの日、竜一を殺した参月のことを。
竜一を「裏切り者」と呼び、誠一の攻撃をものともせずいなし、参月は容赦なく竜一に刃を振り下ろした。あの時はただ竜一を殺された怒りや守り切れなかったという後悔に支配されていたが、今になって思い返せばいくつか見えてくる点はある。
参月は竜一を「裏切り者」と呼んだが、実際は参月の方こそが裏切り者だったのではないか、と。参月の考えを【タソガレ】の総意として考えていたのではなかったのか、と。
それを踏まえ、改めてプロジェクト【アンダーワールド】を考えてみる。
【タソガレ】を裏の世界へ封じ込め、人類に夜を取り戻すという計画。
——本当に、それだけか?
不意に、声が聞こえたような気がした。
竜一の声ではない。誠一自身の、疑問の声。
そもそも疑問点自体はいくつもある。
何故、【ナイトウォッチ】に【タソガレ】を伏せたのか。【タソガレ】を知りながら、何故人類のみが利するような計画を立てているのか。
——何かあるかもしれない。
それは、ほんの小さな疑問ではあったが。
誠一に疑念を持たせるには十分すぎるほどの綻びだった。