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第72話「よるのかくせい」

 颯真の全身を闇が包み込んだことで、ミツキは完全に勝利を確信した。


「はは、やはりキミもそう思うか! そうだろう、ニンゲンはキミに何も言わずにただキミを利用していただけなのだから!」


 高らかに笑いながら、ミツキは颯真に向けて差し出した手を近づける。


「さあ、ワタシと一緒に行きましょう! キミはキミが憎む全てを殺せばいい。殺せば、キミの感情も魂もより強いものになる」

「……な」


 ミツキの言葉に、颯真が何かを返す。


「? よく聞こえませんでしたが?」


 颯真の言葉があまりにも低く、唸るようなものだったため、ミツキが思わず聞き返す。

 それでも、差し伸べる手を引っ込めることなく、一歩颯真に歩み寄る。


「ふざけるな!」


 颯真が吠えた。

 吠えると同時に、まるで刀を振り抜くかのように腕を振る。

 ぼとり、と何かが床に落ち、次の瞬間、闇となって霧散する。


「!?」


 驚きの声を上げたのはアキトシだった。

 ミツキによって心を折られたように見えたのに、颯真は戦う意思を見せた。

 全身を包み込んでいた金色の光は颯真の魂が可視化されたものだが、今颯真を包み込んでいる闇はアキトシも理解できる。あれは高位の【タソガレ】の感情が昂った時に発生するものだ。つまり、今の颯真は人間としての力ではなく、【タソガレ】としての力を使っている。


「な——」


 呆然と、ミツキが声を上げる。

 差し出していたはずの右手の、肘から先がなくなり、闇が血液のようにこぼれ落ちている。

 溢れた闇はそのまま床に落ちると同時に霧散し、床を汚すことはない。


「僕が貴方に付くとどうして思ったんですか! 僕の生まれなんて、リュウイチ——父さんが【タソガレ】だと分かった時点で何となくは分かってた!」


 真っすぐミツキを見据え、颯真がはっきりと言う。


「ソウマ……」


 ミツキ同様、呆然としてアキトシも声を上げる。

 アキトシは全容を知っていたわけではないが、それでもリュウイチに子供が、いう時点で颯真の生まれは何となくだが把握していた。「ミツキに対抗できる可能性を生み出す」という言葉も踏まえれば、当然ごく普通の人間としては生まれていないはずだということは研究者として長年魂を研究してきたアキトシには容易に想像できた。


 だからこそ、真実を知ることで颯真の心が折れることを恐れたし颯真が知るべき事実ではないと判断し、根拠もなかったから颯真には伝えていなかった。

 それをミツキに告げられ、真の敵は無責任に生み出し利用した側にあると唆された颯真がミツキに付く可能性は十分にあった。もしかすると自分が颯真の立場ならミツキの手を取った可能性すらある。


 それなのに、颯真はミツキの言葉を一蹴した。自分の出自に気付いてなお、リュウイチを憎もうとしなかった。


「僕が人間に復讐するって? 笑わせないでください、僕の敵は人間でも【タソガレ】でもない!」


 はっきりと、決意に満ちた声で颯真が宣言する。


「ミツキさん、貴方の言葉で僕は自分の敵がはっきりと分かりました。僕の敵は人類でも、【タソガレ】でもない——人間も【タソガレ】も、無辜の人々に刃を向ける奴が僕の敵だ!!」

「だったら敵は【タソガレ】ワレワレだろう! 【タソガレ】の大多数は人間の魂をエネルギーとすることに賛同している!」

「でしょうね」


 そう言い、颯真は右手を、その手に握られた漆黒の刃をミツキに向けた。


「でも、それは全て貴方が唆したからだ! 人間がどういう存在かわからない状態で『いいエネルギー源がある』と言えばそりゃあ食いつきますよ! 僕だって騙されるかもしれない!」

「ソウマ……」


 アキトシが、颯真が下した決断に思わず声を上げる。

 颯真がミツキの言葉に耳を貸すとは思っていなかったが、それでもこの決断を下すとまでは思っていなかった。

 何も知らされていなかった颯真に自分たちを恨む動機は確かにある。それでもなお、颯真がミツキを敵と認識し、それでいて【タソガレ】そのものを敵と認識していないことに驚きが隠せなかった。


 颯真は人間だけでなく、【タソガレ】も守るべき存在として認識している。そして、【タソガレ】を唆したミツキを敵だと認識し、宣言した。

 なるほど、とアキトシは納得する。

 これが、颯真の強さなのだ、と。


「僕は僕が信じたものを守るしそれを傷つけるやつは許さない。たとえ僕の判断が間違っていたとしても、僕は僕が信じたように動く。誰かに言われて操り人形なんかになったりしない!」


 どのような状況であっても、颯真は自分で考え、自分で結論を出し、自分の意思で行動する。その決断力の高さと、自分の決断は自分の責任とばかりに動ける力にアキトシは颯真の可能性を感じた。これが颯真の「可能性」なのだと、リュウイチが遺した「希望」なのだと。


 その颯真が、今この瞬間だけでもアキトシを敵ではないと認識していることに安心感を覚える。ミツキに対処した後、颯真が自分にもその刃を向けるのならその怒りは甘んじて受ける、とアキトシも刃を握り、ミツキに向けた。


「くそ……!」


 勝利を確信していたからこそ、それが覆されたミツキには打つ手がなかった。

 自分に対して憎しみを持っているならそれ以上の憎しみを別の対象に与えさせれば颯真は自分に付く、そう思っていただけに颯真がアキトシや人類を憎まなかったことに疑問を覚える。

 何故だ、何故憎まない? キミは全てのニンゲンから騙されていたのだぞ、と心の中で語りかけるが、颯真はそれを知ってか知らずか答えを出す。


「確かに誰も僕に何も教えてくれませんでしたよ? でもそれがなんなんですか! 人間なら知らなくていいこともたくさんある、神谷さんが真実を教えなかったのも、きっと僕が『ごく普通の人間として』生きることを望んだからだ!」

「そんなもの、キミの勝手な妄想でしょう! 皆、自分に都合がいいからキミを利用した、それが分からないのですか!」


 苦し紛れにミツキが颯真を唆す。しかし、真実を知れと言わんばかりのその言葉に、颯真は耳を貸さない。


「主語を大きくしても無駄です! 僕は、神谷さんを信じる!」


 そう叫び、颯真は床を蹴った。

 ミツキに肉薄し、刃を振り下ろす。

 それを辛うじて残っている方の手で握っている刃で受け止め、ミツキは低く呻いた。


「くそ——この分からず屋が!」


 闇を纏った颯真——【タソガレ】としての力を解放した颯真の力は予想以上に強かった。【ナイトウォッチ】の力が自分の意思に応じた魂の解放であれば、【タソガレ】の力は感情が強ければ強いほどその出力を上げる。

 押し切られる、とミツキは即座に判断した。

 判断して、全力で颯真を押し退け、後ろに下がる。


「こうなったら今のワタシでは分が悪い。ここは退かせてもらいます」

「逃すか!」


 押し退けられ、たたらを踏んだ颯真が即座に体勢を整え、ミツキに切り掛かる。

 しかし、ミツキの体は闇と化し、ふっと掻き消える。

 颯真の刃が空を切り、空振りに終わる。


「ミツキ!」


 颯真が叫ぶ。その声に反応するように、ミツキの声だけがあたりに響き渡る。


『まさか目覚めるとは思いませんでしたが——いいでしょう、そこまでワタシを敵と言うのなら受けて立ちます。然るべき時にね』


 その言葉だけを残し、ミツキの気配が完全に消え去る。

 同時に、家を取り囲んでいた敵意も霧散していく。


「……」


 ミツキの気配が消えたことで、アキトシはほっと息をついて手にした刃を霧散させた。それに合わせるかのように、颯真も刃を霧散させ、全身の闇をかき消す。


「……わたしを、敵とは見做さないのか」


 颯真から戦う意志が消えたことに、アキトシは思わず尋ねていた。


「どうして僕がアキトシさんを敵としなければいけないんですか?」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりに颯真が答える。


「僕の敵は、人間も【タソガレ】も利用すべき存在と思っているミツキですよ。【タソガレ】が敵なはずがない」

「……それがきみの答えなのか」


 敵は人間でも【タソガレ】でもない、ただ悪意を持つ存在だけなのだと。

 この結論に至るまでに、颯真は一体何を経験し、考えてきたのだろうか、とアキトシは呟いた。まだ子供だろうに、そんな達観した答えを出せるとは、きっと颯真を育てた人間は強かったんだろうな、と考え、アキトシは思わず颯真を抱き寄せた。


「アキトシさん……」

「わたしはきみのその決断を尊重する。そして、その真っ直ぐさを忘れないでほしい」


 だからきみは人間、【タソガレ】両方の希望であり可能性なんだ、と続け、アキトシは玄関を見た。


「ミツキが戻ってくることはないだろうが、ここに長居するのも危険だ。わたしが使っていたゲートを使ってきみの世界に戻ろう。わたしも同行するよ」

「危険じゃないですか?」


 いくら人間の姿に欺瞞するとしても、アキトシは人間が言うところの【あのものたち】だ。敵として拘束されるか殺される可能性が非常に高い。

 しかし、アキトシは笑って首を横に振る。


「まあ、殺されたらそこまでだが、【ナイトウォッチ】にはセイイチがいるだろう。彼ならわたしを知っているはずだし、なんとかなるだろう」

「……なるといいんですけど」


 そう言いながら、二人はボロボロになった家を出た。


「……惜しむらくはあの椅子、気に入ってたんだけどなあ……」


 結構高かったんだぞ、などと冗談めかして言うアキトシに、颯真も釣られて苦笑した。


「あんな感じのクッションは僕の世界にもありますよ。まぁ、あれほど立ち上がりやすくはないですが……」

「ははは、それは期待しているよ」


 話しながら、二人は裏手のガレージのような場所に入る。

 そこには一台の機械が置かれていた。

 表の世界では新進的なものに見えるが、それでも埃をかぶっていて、長期間使われていなかったことが伺える。

 アキトシが空中に指を走らせると、機械の各所から光が漏れ出し、起動したことが分かる。


「時間は——少し早いが、開かないこともないな。出力を上げれば二人くらいなら通れるだろう」


 アキトシの呟きに、颯真が時間を確認する。時間としてはちょうど通路が開き始めると言われる夕暮れ時、そう考えると今移動するのは人目もあり危険ではないかと思われるが、電磁バリアが展開される八時まで待つ方が危険だと判断する。


「行きましょう」


 もう少し待つか? と言わんばかりのアキトシに向かって、颯真が頷いてみせる。


「転送先はこのままならリュウイチが魂の研究をしていた研究所の近くになる。一応、緯度経度を指定してくれればその近くまで行くことができるが、どうする?」


 そう言われ、颯真は少し考えた。

 竜一の研究所も気になるが、颯真はその研究所がどこにあるか知らない。それを考えると自分が知っている場所に出た方が安全そうである。

 それなら、と颯真は耳にかけていた【ナイトウォッチ】のデータリンク用端末にアクセスし、そこに登録されていた日本地図を呼び出した。

 住所を入力、そこから正確な緯度経度を表示、アキトシに伝える。


「了解した、そこにいけばいいんだな?」

「お願いします」


 颯真が頷き、アキトシが分かった、と諸元入力、機械を作動させる。


「転送酔いに気をつけろよ」


 次の瞬間、機械から光が溢れ、二人を包み込んだ。

 颯真の視界がぐにゃりと曲がる。

 颯真の視界の範囲を光の奔流が埋め尽くし、まるで光のトンネルを抜けているような錯覚を覚える。


 その光の奔流が収まったとき、二人は、いや、颯真は見慣れた建物の前にいた。

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