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第62話「よるにしずむ」

 ——颯真が消えた。


 状況から、裏の世界に引きずり込まれたのだろう、としか考えられれない。


 車の中で、冬希が嫌だ、と繰り返し呟く。

 今まで、裏の世界に引きずり込まれた隊員は誰一人として帰還しなかった、と聞く。周りも気を遣ってはくれるがその言葉の端々に「諦めろ」という意味合いが含まれているのは、普段他人と積極的にコミュニケーションを取らない冬希でも分かった。


 裏の世界は【あのものたち】の世界だ、一人で迷い込んでは生きては帰ってこれまい、諦めろ、という空気に冬希の心は引き裂かれそうになっていた。


——嫌だ、颯真、帰ってきて。


 何度も、そう、何度も願う。

 颯真は強い。下位の、いや中位の【あのものたち】に囲まれたとしてもきっと負けない、だから帰ってくる、そう信じたいのに、状況が信じさせてくれない。


 冬希は全ての装備を奪われたうえで両隣に警察の権限も与えられた隊員に挟まれるようにして座っていた。冬希の父親である芳郎が【あのものたち】の信徒——【黄昏教会】に情報を流していたとして逮捕され、それに伴い、冬希も機密漏洩の可能性を疑われ、拘束された。


 拘束されたとはいえ、それはあくまでも立場上のものであり、身体的な拘束は行われていない。その点では任意同行に近いものではあるが、それは冬希が抵抗するそぶりを見せなかったからだ。もし、冬希が抵抗するようであれば冬希を拘束した隊員は肉体的な拘束だけでなく、魂技の仕様を禁じるために管理者アドミニストレーター権限を使用してチップを停止させていただろう。


 冬希も、自分の拘束が最低限のものであることを理解していた。抵抗しようと思えば抵抗できることも分かっていた。

 しかし、そうしなかったのはそうする意思がなかったからだ。


 颯真が裏の世界へ引きずり込まれ、父親も【黄昏教会】との関与を疑われて逮捕され、今の冬希には何も残っていない。信じていたものが全て、一瞬にして冬希の手から零れ落ちてしまった。


「どうして……」


 膝の上で拳を握り締め、冬希が絞り出すように呟く。


——どうして颯真は深追いした。どうしてお父さんは人類を裏切った。


 そんな思いばかりがぐるぐると冬希の頭の中を駆け巡る。

 自分が拘束されるのは構わなかった。自分のことに、冬希は興味を持っていなかった。国会議員である芳郎の娘でありながら、冬希は全く期待されていなかった。


 冬希自身も全く気にかけていなかったが、冬希には歳の離れた兄がいた。長男だからと両親は兄にだけ期待を寄せていた。スキャンダルを避けるために冬希も厳しく躾けられたが、冬希がどれだけ好成績を収めようと両親は冬希に真正面から向き合おうとはしなかった。


 だから、冬希も自分自身に期待するのをやめていた。他人と交流すればどこでトラブルに巻き込まれ、スキャンダルが発生するか分からないからクラスメイトとの交流ですら必要最低限にとどめていた。


 それが、いつしか他人と関わるようになったのは冬希本人ですら意外なことだった。

 ある春の日に突然声を掛けられ、モデルの類のスカウトだったら断ろうと思っていたら【ナイトウォッチ】のスカウトで、君には力があると言われて、気が付けば入隊していた。


 ただそれだけを聞けば冬希には【ナイトウォッチ】としての素質、強い魂があったようには見えない。

 それでも冬希が【ナイトウォッチ】からのスカウトに応えうるポテンシャルを秘めていたのは冬希の内で強い炎が燃え盛っていたからだ。


 周囲には一切笑わず、冷たい態度で接することから「氷のプリンセス」と呼ばれていた冬希。そんな冬希は誰よりも強い「願い」があった。


 誰か私を見て、私に頼って、私はここにいる、誰でもいいから認めて、という願いは炎となって冬希の心を焦がしていた。

 それを、【ナイトウォッチ】が見つけた。見つけて、君が必要だと言って、手を差し伸べた。


 冬希からすればそれはずっと待ち焦がれていた言葉だった。やっと見つけてくれた、その一心で冬希は差し伸べられた手を取った。

 そんな冬希を両親は止めなかった。芳郎は国会議員という立場から【夜禁法】の真実を知り、【ナイトウォッチ】がどのような組織か知っていたが危険だからと止めることはなかった。母親も夫が止めないならと口出しをしなかった。

 恐らくは、それで開き直ったのだろう、と冬希は後から考えた。


 「人々のためになるのなら」と両親が止めなかったことから、冬希は少しずつ自由になろうと動き始めた。

 その結果が、颯真との出会いであり同期との出会いだった。

 初めての繰り返しで周りに振り回された冬希だったが、少しずつ「一人の高校生として」の生き方を学んでいた。


 颯真との夏祭りの任務も、周りが仕組んだものだとは気づいていた。それほど、周りは冬希と颯真を懇意にしたいと願っていることに密かに感謝していた。

 颯真が自分のことをどう思っているかに関しては冬希は分からなかったが、少なくとも嫌われてはいないようだ、と認識していた。


 恥ずかしくて言葉にできなかったが、最終的に颯真とバディを組むことができて良かったと思っていた。

 それなのに。

 颯真は裏の世界へ引きずり込まれてしまった。止めたのに、自分の手からすり抜けてしまった。

 その事実が、ただただ冬希を絶望へと引きずり込んでいた。

 だから、芳郎の情報漏洩の巻き添えで拘束されても気にならなかった。


 どうでもいい。颯真が戻ってこないなら自分なんて生きている価値はない。

 そこまで考え、冬希ははっとして頭を上げた。


「? どうした?」


 隣に座った隊員が冬希に声をかける。


「いや、私は——」


 そう呟いた冬希の頬を水滴が伝う。

 気化熱でひやりとした頬に、冬希が頬を拭う。


「私、泣いて——」


 そう呟く間にも、冬希の目から涙がとめどなく溢れ、頬を濡らしていく。


「どうして——」


 今まで、どれほど辛いことがあっても涙は零れなかった。泣くなんて弱い者が逃げるためにすることだ、とずっと思っていた。

 それなのに、どうして今こうも涙があふれるのだろう、と疑問に思いつつも冬希はその涙を止めることができなかった。


「颯真……」


 お願い、帰ってきて、と冬希が呟く。

 そう願っているうちに、車は【ナイトウォッチ】の本部に到着し、両隣に座った隊員が冬希に降りるよう促す。

 一切抵抗するそぶりを見せず、冬希は指示に従って車を降り、導かれるままに本部へ入り、その中の一室へと案内された。


 一応は独房としての用途なのだろうが、ごく普通のワンルームのマンションのようなその部屋に冬希は「一応は丁重に扱うつもりなのか」と考える。

 脱走防止のために窓はない。あるのはベッドとシャワールームと机と椅子、そして着替えが入っているらしき箪笥。


 清潔感漂うその部屋はまるで病院の個室のようなイメージを冬希に植え付ける。


「お父上が情報漏洩で逮捕されたことから一応拘束という形を取らせていただきますが、事情聴取と調査が終わり、問題がないという結論に至れば復帰してもらう、というのが八坂司令の判断です。今はご不便をおかけしますが、余計なことをしなければ拘束解除も早くなりますので今は大人しくしていてください」


 一応、我々は外で待機していますので、と隊員に言われ、冬希は部屋に足を踏み入れた。

 ドアが閉まり、外から鍵が掛けられたのを確認し、箪笥を開ける。


 中には動きやすそうな室内着が用意されており、冬希は身に着けていた戦闘服を脱ぎ捨て、室内着を手に取った。

 拘束されるまでは普通に戦闘があったため、着替える前にシャワーを浴びようとシャワールームに入り、シャワーを浴びる。

 熱めのシャワーで体を流しながら、冬希はどうしよう、と呟いた。


 どうするもこうするもない。事情聴取は受けなければいけない。だが、それよりも颯真のことで頭が埋め尽くされている。

 颯真、早く帰ってきて、と呟いて、そこで冬希は漸く自分の心に気付いた。


——私は、颯真のことを。


 どうして今まで気づかなかったのだろう、と自分を呪いたくなる。

 周りが必死になって颯真とくっつけようとしている、とは思っていたが、周りはとうの昔に気付いていたのだ。冬希が颯真を意識していることを。その感情がただの仲間意識ではないということを。


「はは……」


 乾いた笑いが冬希の口から洩れる。

 どうして、今なのだろうか。

 もう、戻ってこないかもしれないのに、と冬希は自分を責めた。

 もっと早くこの気持ちに気付いて、颯真に伝えていたら、あるいは。


 そんな、考えても仕方のないIFを考え、冬希は改めて自分が深い絶望に陥っている事実に気が付いた。

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