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第4話「よるのめざめ」

 初めは、ただの耳鳴りだと思った。


『諦めるのか』


 もう一度、声が聞こえる。

 今度ははっきりとした音声で、人間の声として認識できる。


「誰!?」


 颯真が声を上げた。

 ここには自分と冬希しかいない。そして、この声は冬希のものではない。

 冬希の声は女子にしてはやや低めで静かな声質だが、今聞こえた声はそれよりも低い——男性のもの。


 それなら一体誰が。【ナイトウォッチ】の仲間が助けに来たのか。

 颯真の声に、冬希が周りを見る。


「まだ誰かいるの?」


 だとしたらここで止まっていてはいけない、保護しなければ、と冬希が自分に鞭打って立ち上がろうとする。

 無理しないで、と颯真は言いたかったが、今戦えるのは冬希しかいない。


 だが、冬希の動きは鈍く、今この瞬間は戦えないだろう。


『戦え、颯真』


 また、声が聞こえる。


「戦えって、無理だよ!」


 颯真が反論する。

 自分には何の力もない。棒を握って抵抗はしたが、【あのものたち】に傷一つ付けることができなかった。


 冬希が持っていた刀なら戦えるか、そう思い刀に視線を投げるも、それは冬希がしっかりと握りしめていて奪い取るなどできそうにない。


『お前には、力がある』

「力って、なんなの!」


 颯真が叫ぶ。

 さっきから聞こえるこの声はなんだ。一体何が言いたい。


 同時に気付く。

 冬希が不思議そうにこちらを見ている。

 と、いうことは冬希にこの声は、聞こえていない——?

 幻聴なのか、と颯真は考える。


 死を目前にして、死にたくないという気持ちか、またはもうだめだという絶望が、颯真を致命的な結末へと導こうとしているのか。


 【あのものたち】が爪を振り上げる。

 冬希が何とかして受け止めなければと刀を握るが、それを持ち上げる体力は残っていないらしい。


 このまま殺されるのか、そう聞こえた声は颯真の思念か、それとも幻聴か。

 いやだ、と颯真が呟く。

 少なくとも、自分の目の前で冬希が殺されるのは嫌だ。

 冬希には頑丈な装備がある。爪で切り裂かれても軽傷で済むほどの丈夫な衣装がある。


 だったら——。


 【あのものたち】が冬希に向けて爪を振り下ろす。

 深く考えることなく、颯真は飛び出した。


「うわああぁぁぁぁ!!」


 【あのものたち】の爪から冬希を庇うように前に立ち、爪を受け止めるかのように腕を頭の前で交差する。


「南!」


 自分の前に立った颯真に冬希が叫ぶ。


——瀬名さんは、死なせない——!


 闇色の爪が、颯真に叩きつけられた。


「あ——」


 冬希がかすれた声を上げる。

 今の一撃を、何の装備もない人間が喰らえばひとたまりもない。

 守れなかった、死なせてしまった、そんな後悔が冬希を襲う。


 だが、


「瀬名さん!」


 颯真の声にはっとする。

 目の前の颯真を見る。

 颯真は死んでいなかった。それどころか、傷一つ付いていない。


 颯真の両腕は【あのものたち】の爪を受け止めている。


「な——」


 冬希が息を呑む。

 目の前の颯真は、金色の光に包まれていた。

 まるで、夜を切り裂く夜明けの光のような、希望の光。


 その両腕が特に光り輝き、しっかりを爪を受け止めている。


「うおおおおおおおおっ!!」


 颯真が全身の力で爪を弾く。


「南!」


 どういうことだ、何が起こっている、と冬希は事態を見守るしかなかった。


 颯真が【あのものたち】に向かって一歩踏み出す。


『行け!』


 颯真の脳裏に声が届く。

 これは幻聴かもしれない、だが、颯真を、そして冬希を明日へと導く道標でもある。


 武器はない。だが、戦う力はある。

 何故か、颯真は理解する。

 自分には力がある、冬希と同じ、戦う力が。


 颯真の両手に集中した金色の光が、【あのものたち】とは対照的な光の爪を形作る。

 戦い方なんて分からない。それでも、無我夢中で颯真はその爪を【あのものたち】に叩きつけた。


 ただの光であるはずなのに、その光はまるで質量を持っているかのように【あのものたち】に突き刺さり、引き裂いていく。


「こんの、ぉぉっ!」


 颯真が爪を振り回す。

 その爪に引き裂かれた何体もの【あのものたち】が霧散していく。


「そん、な——」


 立ち上がることも忘れて、呆然と冬希が呟いた。


魂技たましいわざ……? どうして、チップもないのに!」


 颯真が力を使うとは考えられない。そんなことはあり得ない。

 何故なら、颯真はただの一般市民なのだ。【ナイトウォッチ】ではない。

 それなのに、颯真は色こそ違えど、冬希と同じ光を纏っていた。


「これが……南の魂……」


 今まで視えなかった「可能性」が、可視化されている。

 南は一体何者なのだ、と冬希は再び呟いた。


 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 いくら颯真に【あのものたち】と戦う力があったとしても多勢に無勢、戦闘服もなしで長時間戦えるはずがない。


 颯真が時間を稼いでくれたことで、冬希も少しだが体力が回復した。

 刀を握り、冬希も立ち上がる。


「南、右だ!」


 そう叫びながら、冬希は颯真の背後に回っていた【あのものたち】を両断した。


『颯真、先に右を狙え』


 幻聴が颯真に指示を出す。

 その声を聞き終える前に颯真が右の【あのものたち】に爪を振り下ろす。

 霧散する【あのものたち】を見届けることなく、次に向けて爪を振るう。


——瀬名さんには、指一本触れさせない!


 爪を振るう颯真の頭の中には【あのものたち】を殺したとか自分が殺されるかもしれないという考えは全くなかった。

 ただ、冬希を傷つけたくない、その一点だけだった。


 瀬名さんは僕を守ってくれた。僕を守ったから傷ついた。

 それなら今度は僕が瀬名さんを守る番だ、と颯真は爪を振るう。


 颯真を包む金色の光、光で構築された巨大な爪。

 原理なんてものは分からない。分かるわけがない。

 それでも分かることはあった。


 これは、自分たちを守る、そして【あのものたち】と戦うための力。

 自分の心の内から溢れる「ここで死ぬわけにはいかない」という思い。


——絶対に生き残る! 瀬名さんと、二人で!


 颯真の爪が【あのものたち】を切り裂く。


——二人で明日を見る!


 明日を見ることができたとしても逮捕されるのは分かっている。自分が社会的に抹殺されるのも理解している。

 それでも、本当に死んでしまえばそこで終わりだ。

 生きていれば、たとえ社会的に抹殺されたとしてもまだ道は続く。


 だから生きる。生きて、道を切り拓く。


「僕は——負けない!」

「南!」


 【あのものたち】を前に吠えた颯真の隣に冬希が立つ。


「瀬名さんは無理しないで!」

「馬鹿、無理をしてるのは南の方だ!」


 肩で息をする颯真を冬希が叱咤する。


「頼りないかもしれないけど、私を頼れ!」

「瀬名さん——」


 蒼白い光に包まれた刀を構える冬希と、金色の光を身に纏う颯真。

 背中合わせに立ち、二人は周りを取り囲む【あのものたち】を見据える。


「南、」


 後ろに立つ颯真に、冬希が声をかける。


「もうすぐ夜明けだ、夜明けまで耐えて」

「——? 分かった」


 冬希の言葉に颯真が頷く。

 夜明けまで耐えろ、ということは夜明けと同時に【あのものたち】はどこかへ行く、ということか。

 確かに、昼間には見かけないのだからいなくなる時間があっても不思議ではない。


 ちら、と腕時計を見る。夜明けまではあと少し。

 【あのものたち】が襲い掛かってくる。


 颯真が爪を振るい、冬希が刀を振るう。


「南、伏せて!」


 冬希の指示に颯真が身を落とし、それを乗り越え冬希が【あのものたち】の爪を弾き、斬り捨てる。

 夜明けが近いからか、【あのものたち】の数は明らかに少なくなっていた。


 もう少し、と息を切らしながら颯真が前を見る。

 もう少し体育の授業でちゃんと身体を動かしておけばよかった、と思いつつも戦いの手は緩めない。


 その状態で、どれくらいの時間が経過しただろうか。

 ショッピングモールの出入り口のガラス越しに、光が差し込んだ。


 夜明けだ、と颯真が気付いた瞬間、【あのものたち】が一斉に後ろに下がる。

 それを追撃しようとするが、その肩を冬希が掴んだ。


「深追いしなくていい。私たちの勝ちだ」


 冬希の言葉に颯真が動きを止める。

 その視界の先で【あのものたち】の姿がふっと掻き消える。


「……」


 終わった、と颯真はその場に座り込んだ。


『よくやったな、颯真』


 そんな声が、聞こえてくる。


「や……やった……」


 肩で息をしながら、颯真が呟く。


「ああ、よくやった、南」


 颯真の横に腰を下ろし、冬希が颯真をねぎらう。


「しかし……。南、どうして君が戦えた……?」


 投げかけるべき質問が颯真に投げかけられる。


「分からない……。瀬名さんを助けたい、って思って無我夢中だったから……」


 実際のところ、何故戦えたのか、あの光は何だったのかは全く分からない。

 ただ気が付けば光に包まれて、【あのものたち】を切り裂いていた。


「……そう、」


 冬希が呟き、座ったばかりなのに立ち上がる。


「とりあえず君は家に帰って。夜が明けたなら警らドローンも回収されてるし、家に帰れる」

「でも……」


 逮捕するんじゃ、と言いかけた颯真を冬希が遮る。


「本当は逮捕だけど、少し思うところがある。今は帰って」


 相変わらず冷たい声音だが、何故かほんの少し温かみを感じて、颯真が少しだけ赤くなる。


「う、うん」

「ちゃんと登校して。今夜のことは、誰にも知られてはいけないから」


 それはそうだ。夜に出歩いていたことが発覚すればその時点で逮捕される。

 分かった、と颯真も立ち上がった。


「瀬名さんはどうするの?」

「私はこれから【ナイトウォッチ】本部に戻る。多分、お小言貰う……」


 そう呟く冬希が妙にしおらしくて、颯真は思わず笑みをこぼした。


「な、何笑ってるんだ」

「瀬名さん、意外と可愛いんだなって」

「かっ……」


 冬希の赤い目が泳ぐ。

 どう返せばいい、と迷ったらしく、ほんの少しキョロキョロと視線をさまよわせ、それから冬希は、


「と、とにかく君は帰りなさい!」


 そう、颯真の背中を押した。

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