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第58話「よるをたいらげる」

「おーい、南、生きてるかー」


 不意に耳元で囁かれた大和の声に、颯真ががばりと体を起こす。


「お、起きた。もう放課後だぞー」

「ん……」


 眠い目をこすり、颯真が横に立った大和を見る。


「ああ、河部君……」

「なんか疲れてるようだな、数学の谷部やべも諦めてたぞ」


 どうやら、昨日の疲れが出て授業中に眠ってしまったらしい。

 下校時刻になったから、と起こしてくれた大和に颯真がありがとう、と呟く。


 慣れてきたとはいえ夜間の戦闘と昼間の授業の二重生活はどうしても睡眠不足になる。今日、特に眠気が強かったのは増幅装置が実は身体に負担のかかるものだったのか、それとも負担が大きめの魂技を何度も使った反動なのか。


 いずれにせよ、午後の授業の記憶がないほど寝ていたのか、と思うと非番の今日はしっかり休むべきだ、と颯真は自戒した。


「で、南? ちょっと遊びに行かね?」


 あれだけ寝たらもう元気だろう、と言う大和に颯真はほんの少しだけ考える。

 ちょうど、今日は自分も冬希も非番で宿舎の門限も非番でない時よりゆるい。


 特にすることもなく、冬希とさっさと宿舎に帰ろうかと考えていたところだった。冬希には申し訳ないがありがたくその申し出を受けようかと思ったところで冬希が颯真の席に近寄ってくる。


「南、この後は——ああ、河部が先約だったか。私のことは構わなくていいから楽しんでこい」

「え?」


 冬希の言葉に颯真がえっと声を上げる。

 その言葉は想定できたが、こうもあっさりしていていいのか。

 そう、颯真が困惑していると、大和がにやりと笑って冬希に声を掛けた。


「瀬名さんもどう? 瀬名さんも来るなら俺お薦めのパフェがおいしい喫茶店紹介するけど」

「行く」


 即答だった。

 冬希の回答に颯真が再びえっと声を上げる。


「え、来るの?」

「なんだ、私が来ると不都合でもあるのか?」

「え、いやなんか意外で」


 普段はクラスメイトに声を掛けられても興味なさそうな顔をしている冬希が放課後の誘いに乗るとは。

 これは明日【あのものたち】の大攻勢でもあるのかと思いたくなった颯真だが、すぐに気が付く。


——冬希さんも遊びたいんだ。


 あの、夏祭りの日に冬希は言っていたではないか。「ごく普通の女子高生みたいに原宿でウィンドウショッピングとか、クラスメイトと放課後に遊んだりしてみたかった」と。

 その夢が、今叶うのなら、冬希だって勇気を出して踏み出したりするだろう。

 そう考えると、意外に思ってしまった颯真は少しだけ恥ずかしくなった。

 冬希のことを色々知ってきたはずなのに、何も分かっていなかった、と。

 同時に、冬希も女子高生らしく楽しむことができるのならと嬉しくなる。


「ごめん、一緒に行こう。僕も河部君のおすすめのパフェ食べてみたい」


 笑顔を浮かべ、颯真が言うと冬希はその紅い目をほんの少し見開いた。


「南……」

「はいはいそこいい空気作るのは二人っきりの時にしてくれ。早く行かないと閉店時間になるから急ごうぜ」


 いい空気になり始めた二人の間に大和が割って入る。


「瀬名さんが来るなら俺、張り切っちゃうぞ、パフェは俺が奢っちゃる。思う存分食いたまえ」

「河部君……」

「河部……」


 大和の言葉に颯真と冬希が顔を見合わせ、互いに頷き合う。


「それならお言葉に甘えて奢ってもらおうか」

「そうだな」

「……うぅ……俺はやっぱ脈なしか……」


 完全に二人だけの世界になっている二人に、大和はがっくりと肩を落とした。

 だが、すぐに気を取り直して颯真の肩を叩く。


「それじゃ、行こうぜ。ちなみに、イチゴとチョコと季節の果物だったらどれがいい?」


 大和に促され、颯真が慌てて筆記用具を鞄に詰めて立ち上がる。


「僕は……チョコかな」

「私は……そうだな、季節の果物が気になる」

「おけまる、どれも絶品だから覚悟しとけよ?」


 そんなことを話しながら三人が教室を出る。

 三人並んで歩きながら、颯真はえも言えぬ幸福感に満たされていた。

 【ナイトウォッチ】として戦っているうちに【あのものたち】に与する人間、政府や【ナイトウォッチ】に憎悪を持つ人間友であったが、それでもこうやって当たり前の日々を楽しみたいと思っている人間もいる。

 そう言った人々を守りたいし、一緒に夜空を眺めたい。

 ほんの少し涼しくなり始めた街を歩きながら、颯真はそう実感するのだった。



 どん、というオノマトペが聞こえたような気がした。

 目の前のパフェが存在感を放ち、それどころか颯真を威嚇している錯覚すら覚える。


「……え」


 パフェに圧倒された颯真が思わず声を上げる。


「ナニコレ」

「何って、この喫茶店の目玉商品のチョコパフェ」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりの顔で大和がコーヒーを啜る。


「……」


 颯真の隣に座った冬希も、表情こそはいつもの無表情だったが、明らかに引いていた。それは颯真ほど冬希を日頃から観察していない大和にも察することができたほどだ。


「……大きい」


 ぽつり、と冬希が声を漏らす。


「……うん、大きい」


 颯真も冬希に続いて声を漏らす。

 二人の目の前に置かれたパフェは二人が想像していたものではなかった。

 大ぶりの金魚鉢にこれでもかと詰められたカステラ、生クリーム、アイスクリーム。颯真の金魚鉢にはチョコソースがたっぷりかけられ、冬希の金魚鉢にはたっぷりの栗のペーストがかけられている。


 「季節の果物」というからてっきりぶどうか梨だろうと思っていた冬希はまさかの栗ペーストに驚いているようだった。


「さぁさ、召し上がれ。ここの金魚鉢パフェはほんと絶品だからさ、お前たちに食ってもらいたかったんだよ!」


 まるで自分が作りました、と言わんばかりの大和のドヤ顔。

 そこまでして食べてもらいたかったのか、と思うと同時に、颯真は大和がそれだけ自分のことをよく思ってくれている、という事実に胸が熱くなる。


 大和と仲良くなれてよかった、僕にも友達ができてよかった、その考えが少しずつ颯真の自身として蓄積されていく。

 今年の夏までは目立たないようにしよう、友達なんて僕には作れない、作ったところで裏切られる、と他人との関わりを避けてきた颯真。


 それが今では【ナイトウォッチ】に入隊して人々のために戦い、友達が欲しいと願うようになり、そしてその願いは叶えられた。

 誰かに頼んでその願いは叶ったのではない。颯真自身が自分の意思で掴み取ったもの。できないからしたくないと思っていたことが、気がつけばできている。


 こんな簡単なことだったんだ、と颯真は思った。

 それなのに、自分はただ目を閉じ耳を塞ぎ閉じこもっていたのだと考えると、今までの自分を殴りたくなってくる。


『成長したな、颯真』


 不意に、声が聞こえたような気がした。

 成長? と颯真が頭の中で繰り返す。

 自分は成長したんだろうか、そんな自覚全然ないけど、と思いつつも、それでもこの数ヶ月の自分の周りの変化は颯真が成長したと言ってもおかしくないものだった。

 人との繋がりがこんなに大切だったなんて、と颯真は噛み締める。


「どうした南、早く食わないと溶けるぞ」


 大和に声をかけられ、颯真が我に返る。


「南、食べるぞ」


 これは気合を入れて食べないと残すことになる、と呟く冬希に、颯真は「あ、これ【ナイトウォッチ】の意地にかけて食べるつもりだ」と察してしまう。

 何事にも全力で取りかかる冬希はパフェに対してもそのスタンスを変えないらしい。


 冬希の気迫に大和が「お、おう……」と頷く。

 颯真もスプーンを手に取り、小さく頷いた。


「お残しは許しません。全部、ありがたくいただきます」


 そう呟き、颯真はパフェを掬い、口に運んだ。


「あ、そういえばさ」


 無心でパフェを貪る颯真と冬希に大和が声をかける。


「ん? どうしたの?」


 一度手を止め、颯真が大和を見ると、大和は真顔で二人を見て口を開いた。


「そういえば家のポストに『【タソガレさま】こそ真実の鏡、【黄昏教会】』というチラシ入ってたんだ。他の友達ダチも声かけられたとか言ってるしなんか怪しい新興宗教っぽいからさ、南も瀬名さんも気を付けろよ」


 それは大和からすればただの親切心による忠告だったのだろう。

 だが、【タソガレさま】の名前が出た瞬間、颯真と冬希の顔が強張る。


 【黄昏教会】は大々的に活動を始めたのか。

 危ない、と颯真の心が警鐘を鳴らす。


「河部君は……どう思ってるの?」


 どうしても気になり、颯真が尋ねる。


「あー……胡散臭いよな。チラシも即捨てたよ。あんなん信じる奴いるんか?」


 大和の返答に、颯真も冬希もほっと息を吐いた。

 大丈夫だ、少なくとも大和は【あのものたち】派の思想に染まることはないだろう。

 それでも、身近なところにも【あのものたち】派の手が伸びていることに、颯真も冬希も不安を感じずにはいられなかった。

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